第3話 おまけ
※第3話 を一通り見てからを推奨します
改めてだが、新陽彩は婦警である。少なくとも本人はそのつもりだし、そうなるために努力をしてきて現在に至る。少なからずそれは「職業や資格としての公僕」であるというよりも、彼女の一本木な人格がそうあるべしという覚悟を彼女に決めさせているといえた。
だからこそ、不可解なことがあればきちんと確認しないと気が済まない。それが、なんだかんだ自分が閑職……ではないが、面倒な仕事を引き受けさせられている原因であることを自覚していてもだ。
「……で、アンタなんで無表情なってんのよ」
婦警の疑問はそれに集約された。
ガソリン車がファミレスに突っ込んで爆発した、という類の、異様にディティールが雑な事件が月城であったという情報が流れた瞬間、とっさに「ああ例のあれか」と察した婦警である。夕食の時に問い詰めてやろうかと思いきや、しかしその当日、食卓についていた二人の様子に言葉をかけられなかった。
片や、なにか思いつめているようなまどか。
片や、今までならあり得ないだろう「無表情の」ビヨンドである。
まどかのフォローも何かしら必要だろうと判断こそしていたが、しかし深夜、まどかが寝付いた頃合い。一人でベランダに立つ男を、婦警は先に問いただした。
「っていうか、何? ヤニ臭いんだけど。タバコでも吸ってた?」
「…………チョコだよ、ほら」
こちらを振り向かず、背中だけで話すビヨンド。右手に持っているそれを向けてくる。見れば確かにシガレットチョコのようではあるが。それでもあの独特の刺激臭までは消せるものではない。消せるものではないのだが……、少なからずこの人格が嘘はつくまいと判断し、彼女は嘆息した。
「じゃあ何? 喫煙所とかまでずっとそのコート羽織ってるとか、そんなくらいかしら? 別にどーでもいいけど」
「そうかい」
「で、なんでアンタそんな顔してるわけ? 普段でさえウザったいけど、その顔はなんか、気持ち悪い」
「葛城葵の造形は整っている方だと判断していたけど」
「そういうことじゃなくて、アンタの挙動として普段通りじゃなくて、しっくりこないってこと」
ああ、と。ビヨンドは手すりに背を預け振り向く。表情は確かに無表情そのもので。そしてこころなし、そのせいか声のトーンも暗い。
一瞬ぎょっとして目を見開き、動きが止まる婦警。いや、はたして本当にぎょっとしたから動きが止まったかまでは、本人しか知る由はないだろうが。
「…………一本、くんない?」
「いけないねぇ婦警も。うん。歯を健康的に最後まで使いたいなら、この時間帯に甘いものはダメだろうに」
「うっさ。こーゆーのは風情だろ、風情。あんたタバコ吸わないし。私もタバコ吸わないし」
「まぁ、葛城葵はヘビースモーカーだったみたいだけどねぇ」
肩をすくめながら、左手に持っていた箱を彼女に向ける。そこから一本取り出し、婦警はビヨンドの隣に行く。
「どうでもいいけど、寝間着姿で夜中に男の目の前に現れるのは歓心しないけどね。相手がいくら僕といえど、そういうのは他所で出るよ?」
「たいていの相手なら殴り倒せるし、問題ないし」
「佐村刑事が聞いたらいろいろ泣き出しそうな見解だねぇ」
「あン? なんで佐村関係あんのさ」
「他意はないよ。彼もなかなか大変そうだねぇ」
何があったの? と婦警から催促されるビヨンド。ことのあらましを、および自分が何をしたのかを、そのまま語る彼に。
「…………」
「そういえば婦警、そういう話大っ嫌いだったっけ。不倫とか、浮気とか、寝取り寝取られ、裏切りとか」
「そりゃ当然でしょ。ごくごく当たり前な、一般的な感性でしょ」
「当然ではあるだろうけど、婦警のそれは正直、殴り殺す勢いで怒り心頭してるんじゃないかい? ……ほら、そんなに握ると手、べたべたになるよ? チョコで」
おっと、とあわてながら、手のひらについたチョコをなめとる婦警。「そういうところは無防備に見えなくもないんだけどねぇ」と、ここでわずかに苦笑するビヨンド。実際問題、無地のパジャマ姿という婦警のその格好は、世闇、街灯のぼんやりとした光に照らされながらも彼女のスタイルの良さを如実に示している。ある意味でシンプルイズベストの極地といえるのかもしれない。
「婦警はこう、社会正義が私怨になってるところあるよね。いわゆる『法律第一』ってことじゃなくって、道徳的というか、理想主義的というか。遠山の金さんとか、わかる?」
「あン?」
「んー ……。水戸黄門とか、暴れん坊将軍とか好きでしょ」
「水戸黄門はわかる。うん、あれ、好き」
わかりやすいし、と激しく首肯する婦警。
「で、アンタは自分の感情を使って、その、ギルティア? を倒したってことね。……って、アンタってそもそも感情とかあるの?」
「だから、これは『葛城葵の感情』だって」
自分の胸を指示しながら、ビヨンドはくわえていたチョコを口の中にすべて入れる。
「葛城葵という評価対象があるから、僕という人格は機能している。逆に言うと、葛城葵という人格に異常が認められれば、正常動作はしないのさ」
「あ゛ン……?」
「まぁ、全部使いつくさなければそのうち回復するだろうしね。基本的に、感情っていうのは振り子みたいなものだし」
「まぁ、理由はよくわかんないけど、問題はないってことね。
……でも、早いうち戻りなさいよ。気持ち悪いし、不安になるし」
「確かにマルメガネも不安がるかな? 今は、今日のことで思うところがあったっていうレベルみたいだけど」
「いや、まどかちゃんもだけど、私も不安になるわって」
ビヨンド、無表情のまま婦警を見る。じっと見つめられて、婦警は視線を逸らした。
「……何よ」
「婦警こそ何だい。熱でもあるんじゃないか? いや、夏風邪は長引くからしっかり対策しないと――――」
「そこまでかいって。単に、アンタが不調だとまたもっと面倒なことやらかすんじゃないかって気が気じゃないってだけよ」
なんだびっくりした、と、ビヨンドは大げさに自分の胸をなぜた。
「たださ、どうでもいいことなんだけど、一つ気になることあるのよね」
「何だい?」
「アンタ、その、美香ちゃんのお爺ちゃん……、あえてお爺ちゃんで通すけど。
お爺ちゃんについて『ロクなことにならなかった』とかお茶濁してるけど、それ、うそでしょ」
「なぜだい?」
「どう考えても、文脈的に何もなかったわけがないじゃない。怒り心頭して、殴るための拳を、スーパーパワー的な何かで作り出すような父親で。
どうしてもってときに暴力を抑えられなかった父親だっていうんなら。
――――――――彼女のお爺ちゃん、階段から落下して頭打ったってなってるけど。それってさ。アンタさ、」
ビヨンドは無表情のまま。ただ、排ガスで曇った空を見上げて。
「情報確認のために、施設にも連絡したんだけどね。お婆ちゃん、すごくはきはきしていたよ。どう考えても施設に入る必要さえなさそうなのにさ。
まるで、あえて施設の中にはいているみたいにね。少しボケが入り始めていたけど」
「…………それ、答えになってるつもりなの?」
「さぁ? ただ、別に依頼されてるわけじゃないからね」
「当時でさえ立件できなかったんなら、今更じゃもっと立件も難しいだろうし……。既に本人にも責任能力を問える状態でもないだろうし、あー、もう……」
やっぱアンタ、クズだわ。と。チョコレートをかみ砕いて、婦警はベランダから去る。
その背中を見ながら、ビヨンドは「微笑みながら」。
「うん。その調子で適度に嫌ってくれていると、葛城葵はきっと嬉しいんだよ」
そう呟きながら、次のチョコレートを取り出して咥えた。