モンタージュ・ビヨンド
1日もかけないビヨンドスピード作業を見終えたあと、まどかは思わず一言つぶやいた。
月城市内の某所ファミリーレストランにて、ドリンクバーを飲みながらパソコンを操作するビヨンドと、そんな彼に微妙な顔を向けるまどか。
「……早すぎて引くわ」
「うん? まぁ、正解までの道筋を知っていれば一瞬だからね」
涼しげな顔でパソコンを打つビヨンド。報告書を作っているのはもはや確定なのだが、しかしそれを作り上げるまでに一日経っていないうえに、肝心の依頼をまだ受けていない。
いや、まだ、というのが文字通り正解なのかは怪しいところだが。
十川美香。ビヨンドが飛び降りを助けた少女である。彼女から依頼のメールが来てから、実に一日すら経っていない。にもかかわらず圧倒的な速度で調査を終えた上に、依頼を受けていないのに「第三者から」ちゃっかりお金を受け取っているあたり、この男、手慣れていやがる。
いや、別に法外な方法でお金を得たわけではない。得たわけではないのだが、それでもなぜか釈然としないまどかだった。
ちなみに彼女は、ビヨンドに買ってもらった真っ黒なワンピースを着用している。どこまでいっても黒く黒く黒いのは完全にこの少女の趣味でしかない。
「……あ、思い出した。あんた、人の心とかってわかんないのよね? なのになんで、こんなプリミナティブぽい問題とか解決できるのよ」
「んー、うちでは失せものさがし、失せ人探しについで多い案件が身辺調査なんだよ。だから慣れというか、当たりはつけられるってところかな。業者によっては、ことこういった『男女の身辺調査』のみに重きをおいているところだってあるくらいだし。
あと、勘違いをしてはいけない。人間の心が理解できないというだけであって、動物的な行動については予測できる」
「?????」
「人間とて動物だからね。精神とか心以前の問題として、認識、認知、行動の取捨選択には限界があるだろう。そこから考えれば、おおむね結末は三つに一つだ」
「何の結末よ」
「事件について、だね。
被害者がむくわれ、被害者が幸せになる解決。加害者が救われ、加害者が幸せになる解決。被害者も加害者も誰しもが不幸な結末」
要するに解決っていうことはだね、とビヨンドは続ける。
「『解かったような決着がつく』ってだけだ、と僕は思う。結局、わだかまりが発生した時点でそれは取り返しがつかないんだよ。もちろん、気にしないように調整してあげることはできるけど、それをやろうとする人間はまれだし、その決着で納得できるほど人間は鈍感には出来ていない。
覆水盆に返らず。自分が被害者だと思っていたら、それ以上の加害者だったってこともよくある世界だからね、うん」
「……抽象的すぎて何言いたいかわかんないんだけど」
「顔で仲良くしていたって心に傷を負っていたらどうにもならないってことだよ。それを飲み込むか、飲み込まないか、というのがこの話の争点になると思ってる。
というわけで、今回の解決編だけど、ついてくるかい?」
きっとマルメガネには良い刺激になるんじゃないかな。
涼しげに笑うビヨンドに、彼女は「悪趣味」と悪態をついた。
しかしはたして、少女、十川美香は現れた。休日に再度会いましょうと連絡をし、件の自殺未遂からは数日経過。目を少しこすっているあたりを見れば明らかに消耗しているのがわかるが、それでもここに来た以上は、それなりに覚悟を抱いているということだろう。
「お、お待たせしました……」
「いえいえ。そこまで待ってはいないかな? ちょうど報告書も上がったところですし」
提出自体は後日になりそうですが、とビヨンド。
涼しげな笑顔を浮かべる青年に、美香は戸惑う。なぜ戸惑っているのか、どうしてこう妙に照れくさいのか、察するにはまだ彼女とて経験は足りていない。足りていないが、それとなく青年、つまるところ葛城葵ことビヨンドは、少しだけ肩をすくめた。
と、美佳の視線がまどかに向く。
「そちらの子は……?」
「妹です。こう見えてませてるんで、たいがいのことはお気になさらず」
「い、いえ、そういうわけに……」
「……じゃあ、席を外してます」
まどかがドリンクバーのコップだけを片手に席を立つ。どこに向かうのか、とそのあとを美佳が視線で追うと「とりあえず続けましょうか」とビヨンドの声にさえぎられた。
簡単な挨拶だけ済ますと、ビヨンドは「では状況を整理すると」と、やはり様子を変えずに続ける。
「依頼としては、本当のお父さんを探してほしい、と」
「お父さんじゃありません。父親です」
「うんうん。『血縁上の父親』を探したいということだね。当然、よくわかる話ですね。
まぁ先ほど言ったとおりに整理すると、もともと、十川さんのご両親は離婚なされている。十川さんは幼少期に母親に引き取られる。今まで聞いていた話としては父親の暴力が原因だったといわれていたと。
そして先日、父親と母親が会うというのを聞いて、どんな顔をしているのかを見に行った、と」
「……」
「そこで、聞いてしまったのが、離婚の実態だと。んー、僕の口から直接話したほうがいいですかね?」
「……いえ、話します。私が葛城さんい依頼するんだから、私が、正面から、言わないと」
「うん、なるほど」
美佳は咳ばらいをして、深呼吸をして、そしてためらいがちに続けた。
「…………養育費が払われていたのは知ってました。母と父がおんなじ職場で、父が仕事をやめて、転職してからもお金を払ってくれているって知ってました。でも母は、暴力のことがあるっていって会わせるつもりはなかったみたいでした」
「ふむふむ」
「だから気になったんです。で、お母さんとお父さんの話を聞いて……、わたしが、お父さんの子じゃないって知りました」
浮気してたんです、お母さん。
明らかに気落ちした彼女に、ビヨンドはうんうんと頷くばかり。やはり涼し気な表情を変えることはない。関西人とかがいれば「喧嘩売っとるんかい」と言われそうな様子だが、おそらく当人に他意はないはずだ。
「それから、お母さんが私に言い聞かせてきたことが全部信じられなくって……。もともと、お母さんとお父さんって駆け落ちしていたらしくって、その話さえももうわかんなくなって」
「ふむふむ」
「だから、……、せめて、私の血縁上の父親だけでも、ぶん殴ってやらないと気が済まないって思って、だから……」
一通り話を聞き終えて、ビヨンドが言ったのは次の一言だった。
「でも、残念ながら君と売買の契約は結ぶことはできないんだよね」
え? と。
大きく目を開く彼女に、ビヨンドは涼し気に続ける。
「いや、正確には不可能じゃない、ってところかな? ただ本来、その契約っていうのは親が取り消すことができる類のもので、おまけに『普通に探偵に依頼した場合』、そのお金っていうのは、中学生とかからすれば結構馬鹿にならない金額となる。
ざっくり概算すると三十万は超える計算になるから、お年玉が毎年1万円だと仮定してもたりない金額になるね」
「…………っ、でも、だけどだったら、なんで名刺を――――」
「そりゃ、僕は『そういう存在』だからね。困ってる相手には手を差し伸べようという設計にはなっている。もちろん無料というわけにはいかない。
だけど様子を見る限り、そこまでの金額は無理そうに見えるよね」
「お願いです、それでも……、借金してでも」
「それもそれで犯罪になるから、僕はそれをさせることはしない」
「だったら、私は……」
どうしたらいいかさえもわからない様子で、彼女は手を握り、膝の上にのせている。そんな彼女の服装を見て、彼はやはり微笑んだまま。
「制服のままだね」
「……………………」
「ひょっとして、ここ数日は友達の家に泊めてもらってたとかかな? というよりは家出っていうのが正解か」
「……………………っ」
「家に帰りたくない気持ちはわかるし、君の心境も察するところだけど。家に帰らないとお母さんが心配するよ? 友達のお母さんの方はずいぶん度量が広かったのかは知らないけど、そっちの方も黙っていてくれたみたいだね」
「……でも、私もう、あの人のことをお母さんなんて思えなくて……、もう……」
震える彼女の肩を、ビヨンドは軽くたたく。
「とはいっても、戸籍上は君のお母さんはお母さんだ。血縁上もお母さんはお母さんだし――――彼女もまた君の母親であることを放棄はしていない。
というわけで、いじわるはここまでで済ませてあげよう」
へ? と顔を上げる彼女に、ビヨンドは軽く手を叩く。と、どこからともなくまどかが、ドリンクバー片手に、二人の男女を連れてきた。
「美佳……」
「お……、お父さん、お母さん」
二人の出現に、困惑する少女。そんな彼女に種明かしをする前に、ビヨンドは立ち上がり奥の席を両親に譲った。
席につくと、母親は言葉を続けることができなかった。父親もばつが悪い顔を浮かべている。目の前で娘の自殺未遂を止められなかったことが後ろめたいというところもあるだろうが、それ以上に、二人そろって反応が芳しくない。
「実はお母さんの方から、僕の方に君がどこにいったかって依頼が出てね。学校から家に帰ってないってことについて何も言われなかったの、不自然に感じなかったかい? 実態としては母親の方に既に連絡がいってたってことだ。
君の調査自体は一日もかからなかったけど、せっかくだからおんなじ料金分で君の依頼もこなしてしまおうという、まぁそういう話だね」
「お母さん……」
「…………」
母親は言葉を続けない。いや、続けられないのだろうか、その理由までは娘もわからない。
だがビヨンドは、涼しい顔のまま、続けた。
「ちなみに、君が知りたい情報もすでに出そろってる。僕が話しましょうか?」
「……いえ、それは――――」
「いや、僕の方から話します。あいにく、傷をえぐりなおす趣味はない」
母親が続けようとした言葉を、ビヨンドはさえぎった。一瞬父親の方をちらりと見たうえで、彼は微笑みながら続ける。
「どちらにせよ傷のえぐり直しにはなりますが、自分で話すのと、僕が話すの。どっちがいいです?」
「…………私は別に、どちらでも」
「では、僕から話しましょう。
君の父親は君からすればおじいちゃんにあたる人――――君のお父さんの、お父さんだね」
美佳が、自分の肩を抱いた。それを見て父親は少し頭を下げる。
「ここの話については、実はすでに書類が残っていた。詳しいものについては後で見せてもらうか、こちらの報告書を後日送るんでそちらを確認してもらえればと思います。
それによれば、DNA鑑定の結果からすれば君は、血縁関係だけでいえば、このお父さんの妹にあたるわけだ」
「……………………ッ!」
「ちなみにお父さんが君に暴力をふるってしまったというのは本当だ。君が知らない時系列も、まとめて説明してあげましょう」
涼し気に笑いながら、ビヨンドはいっさい、ものごとを隠すということをせずに話を続ける。
もともと、少女の両親はなかなか子供に恵まれなかった。不妊治療に夫婦ともども取り組み、ようやく娘が生まれた。それゆえに両親ともにたいそう少女、美佳を可愛がった。
だが幸か不幸か。遺伝病がないかどうかの確認のために、夫婦そろって娘ともども遺伝子検査をした。なにごとにも万全をきっするべきという父親の考えから、家族のことを思っての確認だった。妻もとくに問題なく受け、そして娘も(注射でいやいやしたものの)、三人そろって確認をした。
結果、娘は彼の子供ではなかった。ただ、それでも容姿に似ているところが大きく存在した。それゆえに父親は、一時期実家にいたこともあり、唯一疑わしかった自分の父親のDNA検査を受けさせた。
「まぁ、それがビンゴしたわけだね。
経緯としては、君のお爺さんがお母さんを酔わせて、前後不覚にした状態で襲ったと。ちょうどお父さんが残業のときを狙ってね」
「そ、それって……、」
「もともと君たち家族が実家を離れることになった原因もそれらしくてね。お母さんが身の危険を感じたから、というのを直接は伝えず、お父さんにお願いをして家を出たと。
肝心の、君のお爺さん、つまり『本当の父親』が何を考えてそんなことをしたのかまでは僕も調べられなかったけど……。まぁ、そちらは二人とも知ってるみたいだし、そっちから聞くのが妥当だね。
でも、君のお父さんは再構築をしようとした。お母さんに非がなかったと納得できたんだろう」
ちらりと父親の顔を見て、そして無表情の彼を一瞥し、母親の顔を見る。ばつの悪そうなその顔を見たうえで、再び美佳の方を見た。
「それでも、ダメだった。なぜか」
父親はどうしても、自分の娘でなかった少女、美佳に、暴力を振るってしまいそうになったから。
「実際、一度暴力をふるってしまったみたいだしね。君は覚えていないだろうけど、それは事実。結果として、お父さんは君と一緒にいたら危なくなりそうだと判断して離れることを決心した」
「それは……、…………」
「心境は、まぁ、中学生だっけ? くらいだったらわかるんじゃないかな。駆け落ちっていうのがウソだったにしても、ご両親、恋愛結婚だったらしいし」
望まれない子供。本人がどうしようもなくても、そういった経緯があったのは事実であると、彼女は理解した。
「離婚したのは君を守るため。実家と縁を切ったのは、君に事実が知られないようにするため。職場をやめたのは、女性のほうが今どき働き口が少ないっていうのが原因かな? そこらへんはあと七、八年くらい法整備とかが追い付かないとどうにもならないだろうけど」
まぁ男女雇用機会を本当に均等にするのが、子供にとっていいことかどうかはわからないけれど。あれって要するに、家で暇にしている人間も働いて金稼げっていう国の傲慢でもあるし。
それにお父さんも親権はとれないわけだし、どうあがいてもロクなことにはならないからね。
涼し気な顔のまま続けるビヨンドに、まどかは正直、正気を疑った。いや、本人の代理人格云々の話自体は、半ば信じてはいたが。しかし人間が理解できていないというのを、ここにきて初めてまどかは正面から納得させられた。
良心をとがめている様子がない。
相手の心境をおもんぱかっている様子がない。
だが、それでも誰しもが怒り、叫んでいる様子がないあたりをみるに、衝動的な、つまり「動物的な範囲の部分については」うまくかわしているように見える。
婉曲的に母親を咎めているものの、まったく感情的な様子も何もかも入っておらず、微笑んでるにもかかわらず結果的に事実を淡々と述べているのと変わらない。そのくせに何かしてものれんに腕を押すような反応しか得られないだろうというのが、このビヨンドの様子から理解できてしまうのだから、性質が悪い。
「結局、一番割を食らっているのはお父さんになっているけど、それでもお母さんは、娘さんについても話してるし、ときどき会っている。お金だってお父さんもちゃんと出してあげてるしね。
直接、君がその事実を知っているかどうかはわからないけど」
さて、と。ビヨンドは人差し指を上げる。
「どうしたい?」
「どうしたいって……」
「君の本当の父親、殴りたいんだろうけど、実はすでに亡くなっている。
ちょうど君のお父さんが離婚したあたりで、その情報がお父さんの実家の方にも飛んだらしく、まぁ、ろくなことにならなかった。おばあちゃんは現在、介護施設で寝たきりだ。さて、とすると、結局君の怒りのぶつけどころがなくなってしまうんじゃないかと思ってね。
衝動的に自殺したのとも違って、今回は明確に『自殺しかねない理由がある』。ともすると、僕としてはアフターフォローとしてそこのところを聞いておかないといけないと思うんだけど、さて?」
「……ケンカ、売ってるんですか?」
他意はないよ、と涼しい顔のビヨンド。実際そうなんだろうなとわかっているまどかだが、相手にそれが伝わるかは別だ。
ただ、それでも怒鳴り散らさなかっただけ少女はちゃんと、まともに育っているのだろう。怒りをぶつける場所がない上に、この態度で応対してくる男相手に自制心をきかせているのだから、それはつまり、事の善悪がどこにあるかを判断できているだろうことに他ならない。
「……お父さん、お母さん」
「……なんだ?」
「また、一緒に暮らすことってできる?」
はっ、と。両親は大きく目を見開いた。
「…………正直、いきなりこんな話されて戸惑ってるけど。でも、お父さんたちがきちんと納得してるっていうんなら、私は、それでもいいと思う」
「美佳……」
「だけど、俺は――――」
「今更、お父さんから暴力振るわれるかどうかなんて、あんまり意味ないよ。私、これで柔道部だし、お父さんより強いと思う」
それはそれで理由としてどうなのよ、と思いはするが、まどかは何も言わない。三人の話し合いは続くが、総合すれば娘の要望を前に、二人が折れそうになっている。
ちらり、とビヨンドを見れば、彼はなぜか涼しい顔のまま、父親の様子をうかがっている。終始表情の変わらない父親を見ている。それはくしくも、表情の作りこそちがうが、ビヨンドのそれを思い起こさせた。
「それで、いいですか?」
ビヨンドは、父親だけに、なぜかそんな確認をする。彼はしばらく目を閉じて、そして、頷いた。
「でしたら、僕からの解決案の提示は控えておきます。今後とも何事か大変だと思いまし、ぎくしゃくもするとは思いますが、あとはお任せいたします。
では、また何かありましたらお渡しした名刺にお願いします」
お金はすでに振り込み済ですしね、と涼しい顔をして立ち上がろうとするビヨンド。
「――――――おもしろくないですね。せっかく、ギルティアにしたというのに」
聞き覚えのある少女の声が聞こえたのは、ちょうどそんなときだった。
決着は今話。
解決は次話に持ち越し。




