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第二話 龍の子と狼の母。


 アキトが生まれてから半年も足る頃には、アキトはそれ相応の竜へと成長していた。


 三十センチほどしかなかった体は日を追うごとに大きくなり、今では柔らかく丸みを帯びていた体格は無駄な肉の落ちたスリムな体形になり、その体格は二メートルを超えて角や爪などの部位はより鋭くなった極まった体になっている。


 背に生えた翼は鳥の様にしなやかな造りをして、既に体の半分ほどの大きさに達してはいるものの、未だに空を飛べたことは無い。


 それでも、すぐにでも飛ぶ事ができるようになるだろう。とは、アキトの母たる白銀狼フェンリルのチトセの言葉であった。


 アキトは、すっかりと巨大になった体をうねらせて森の中を走り掛けると、木々の合間に見える頭に八本の角を持つ八角鹿アクリスが見えたので、その獲物を捕らえようと一気に駆け抜けていく。


 すると、今まで呑気に草をんでいた八角鹿も、急にこちらに向けて駆け抜けて来るアキトに気付いたのだろう。


 途端に背を見せて逃げ始め、木々の密集する森の奥深くに向けて駆け抜け始める。


 木々の密集帯に入れば、障害となる木魏に邪魔されて速度が思うように出せず、直線的に駆け走るアキトには不利になる。


 何より、森の奥地はアキトでは近づくことを禁じられるほどに危険な自然現象や、気性が荒く強い獣や、気まぐれな精霊たちが住み、今のアキトでは足元に及ばぬほどに強力な獣たちが生息しているため、死の危険さえもある。


 そう言い聞かされているために、アキトはそこまで逃げられれば見逃すしかない。


 そうはさせじとばかりに、アキトは駆け抜ける足の力を強めて、急加速して八角鹿アクリスを仕留めようとするが、此処が正念場であると八角鹿アクリスも悟っているのだろう。


 アキトの追跡を振り切ろうと必死になって、森の奥へと向かって駆け抜けていく八角鹿アクリスは、遂にはアキトが禁忌とされている森の奥へと逃げ込んでしまった


 その状況にアキトは一瞬躊躇したが、もう、こうなっては意地だった。

 

 森の奥地に入り込んでしまったとしても、此処はまだ浅い。


 森の奥地に深入りする前に、すぐにでもでもあの獲物を仕留めてすぐに逃げれば、どうとでもなる。


 そうすれば、あの怒ればひたすらに怖い母様も、許してくれるかもしれない。


 そういう、淡い期待もありつつ、アキトは意を決して再び八角鹿アクリスを捕らえるために、森の奥深くへと初めて歩み出し始めた。

 



 ※※※

 


 

 八角鹿アクリスを仕留めるために森の奥地に足を踏み入れたアキトであったが、ほどなくして、自分の行動に後悔を感じていた。 


 森の奥深くは、今までアキトが育って来た静かで、暖かく、穏やかな風の流れる場所とは違っていた。


 冷たい湿り気を帯びた空気がどこか鎖の様に身体に纏わりつき、日影はまるで昼日中にも関わらず夜闇の様にいたるところに蟠っている。


 時おり見える陽だまりでさえも、世界を照らすための優し気な光と言うよりも、深淵を生み出すための悪意を孕んでいた。


 まるで誘い込みの罠のような底なしの泥沼の感覚を味わわせる森の空気は、何処か時空の違う異世界に迷い込んだようで、一瞬が一日のようにも、その逆に数刻が人瞬きのようにも感じる。


 吸い込んだ息ですら、吐きだした呼気でさえもが、まるで毒か鎖の様に体を蝕んでいるように感じた。


 早く獲物を仕留めて帰ろう。そんな思いのままに、アキトは焦りと不安の中で、この森に逃げ込んだ獲物の匂いを追って森の中を駆け抜けていく。


 そうして、アキトは八角鹿アクリスの匂いと気配を追って森の奥地を彷徨い歩いていた。


 やがてアキトは、森の奥地に流れる小川へと辿り着き、川べりに力無く倒れる獲物の八角鹿アクリスを見つけた。



 そして、「それ」を見た。




「それ」を見た時、一瞬アキトは猪だと思った。


 微妙にアキトの知る姿からは違うものの、その特徴的な体格と体毛は後ろ姿からでも見分けが尽き、それはほぼ間違いのない判断の筈だった。


 その猪が、何ゆえにかアキトが獲物として付け狙っていた八角鹿の傍に佇み、様子を伺っているように見得た。


 だが、次の瞬間にはそれが間違いであることを悟った。


「それ」はゆっくりとアキトに向けて振り返り、その瞬間にその姿は鹿へと変わった。


 八角鹿アクリスに似た数本の枝分かれした角を生やしたその姿に、歳経た猪のそれとは明確に違う姿であった。


 そしてその、鹿に似た姿をした「それ」は、アキトの存在に気付き興味を引かれたように一歩、アキトへ向けて歩み寄る。


 その瞬間に、その蹄の生えたのびやかな四肢を生やした姿は、鋭い爪と豊かな体毛に覆われた狼の姿へと変わり、草を食むけものから肉を喰うケモノへとその姿を明確に変えていた。


 絡み合い、捩じれる様に天に向けて伸びる頭の角は、まるで木々の枝の様に何処からともなく生えて来た花々や蔦を絡みつかせている。


 そして、もう一歩アキトへと足を踏み出した瞬間、その脚は、獣のそれから鳥の爪に変わり、いつの間にか前脚は巨大な翼となってその場に立ち上がり、また一歩アキトへと近づく。


 その瞬間、翼の先端は五指に分かれた手が生えて、脚は人か猿に似たものへと変化する。


 踏み出すごとに、歩み寄るごとに、その姿は異形へと変わりゆき、やがては「それ」は、複数の獣を混ぜ合わせた何かとなって、アキトへと近づいてきていた。



 そうして、「それ」を眺めている内に、やがて気付いた。



「それ」の足元では、まるで生と死が波打つ様に草花が生えては枯れ、石くれや土や水に至るまでもが削れ、砂になり、湿り気を帯び、乾き、一つの塊へと変わっていく。


「それ」は紛れもなく、此の森を支配していた。


 木々や草花、それらを糧に生きる獣たちだけでなく、石や土、水、風に光に至るもでもがその足元に傅く、巨大な力。


 まさしく、神に等しきその力を目の前にして、アキトは知らず知らずのうちに呼吸が浅くなっていることに気付いた。


 逃げたい。否、逃げなければ。


 間近に近づいて来るその存在の、神々しさとも禍々しさともつかぬ得体のしれない存在感に、頭と心は恐怖と焦燥からとるべき行動を導いている筈なのだが、体は一向に動かないし、動こうとしてくれない。


 やがて、「それ」はアキトに向かってアト一歩か二歩の距離まで近づき、そっとその長い首をアキトへと寄せようとしてきた。


 ――――――――助けて、母様。


 アキトが、恐怖と焦燥から思わず、そう思ったその時だった。


 アォオオオおおううううううううううンンンンン!!!


 そうして、巨大な咆哮が森の闇を切り裂く様に轟き、流石の「それ」でさえも一瞬動きを止めたのだった。


 次の瞬間、白銀の輝きが森の中に閃いた。


「母様!」


 アキトは、その姿に安堵して体から力が抜けると、そのままへたり込んでしまったが、チトセはそんなアキトを庇う様に「それ」の前に立ち尽くすと、何ごとか口の中で呟き、再び咆哮を上げた。


 その瞬間、今まで静まり返る様に穏やかだった森の中に、竜巻のような暴風が吹き荒び森の中を薙ぎ払う様に荒れ狂う。


 巨大な暴風の遮りに乗じてチトセはアキトの首筋を加え込むと、そのまま逃げだした。


 チトセが巻き起こした暴風に取り残された「それ」は、特に何の反応も見せずに棒立ちに立ち尽くすと、ただゆっくりと一度だけ瞬きをした。


 その瞬間、森の中に吹き荒れた暴風は一瞬で吹き止んで、森の中には倒壊した木々や打ち砕けた岩が其処かしこに転がっていたが、「それ」はそんなことにもまるで気を止めずにゆっくりと歩を進め、その瞬間に、「それ」の足元から波だった力が瞬く間に樹や草花が生え茂らせ、水は澄み切り岩が丸味を帯びていく。


 再び静けさを取り戻した森の中には、闇のような濃く黒々とした日影と、その合間に蟠る陽だまりだけが残った。


 その中を「それ」は何を考えているのか、ただ小さく小首を傾げて森の奥深くに再び戻っていくのだった。


 



 ※※※




 

「このバカもの!!」


 自分達が巣にしている洞穴の中で、人の姿をしたチトセは、同じく人の姿に変えたアキトを激しく叱り飛ばしていた。


 暫くの間、「それ」から身を隠す様に森の浅瀬を逃げ惑っていたチトセとアキトは、「それ」が森の奥から出てこないことと、自分達を追いかけて来ないことを確認した後に巣の中に戻ったが、安全を確認したチトセは、まず最初にアキトを人の姿に戻して激怒したのだった。


「私はいつも言っていただろう!森の奥には絶対に近づくなと!!何が起こってもおかしくない!お前よりもはるかに強大な獣がいると!いつ死んでもおかしくないと言ったろうが!」


「ごめんなさい……」


「ゴメンで済むような話ではない!そなたの命があったのは奇跡なのだぞ!下手をすれば、そなただけでなく、此処の周辺の生き物たちが死んでもおかしくなかったのだ!そなたの軽薄な行為がどれだけの被害を巻き起こすことになりかねないのだぞ!!その意味を分かっているのか!」


「……ゴメン、なさい」


 幼女の姿となったアキトに激怒するチトセは、漸くの事で気が済んだのか怒りの表情を収めると、肩を竦めながら独り言のようにふと呟いた。

 

「……そなたにはまだ早いと思っていたが、これは先に教えていた方が良さそうだな」


「教えるって何のこと?母さま?」


 チトセの独り言を聞いたアキトが小首を傾げると、チトセは僅かな逡巡の末にその質問に答える。


「……魔法だ。この世に真理に触れる法、そして何よりも神に近づき、何よりも神から遠ざかる恐るべき力だ」


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