後編
紅茶を入れて、横にあった焼き菓子もお皿に乗せる。
気になったので棚も開けてみると、なぜか中が冷たくなっていて、良く冷えたジュースや、牛乳も入っていた。
これって魔法かな? 凄い。後で飲もうっと。
王子様の前に持ってきた物を並べていく。王子様は動かないので、失礼は無かったのだと思う。
(お前も座れ)
この場合正面だろうか? それとも右? 絨毯だから床でもいいけど。
「そう緊張せず、どうぞ正面に座ってください。勇者様」
慌てて正面の椅子に座った。なんだろう、王子様に丁寧な口調で勇者様って言われると逆らえない。
王子様は紅茶を口に含んで、一瞬目を見開いてからまたいつもの顔に戻った。どうしたんだろう?
(お前は魔物の国についてどれくらい知っている?)
なんだか前にも聞かれたなと思いながら話をまとめてみる。
(なかよし) (やさしい) (むぎくれる) (とおい)
あと、それから。
(ゆうしゃも)(まおうに)(あえてない)
王子様は僕の言葉に片眉をあげる。さっきから思ってたけど、どんな表情をしても王子様はかっこいいな。
(賢者に聞いたのか? それはちょっと違うな。会えてはいる。魔物の容姿については?)
見た目はお弟子様から少し聞いた。
(いぬ) (き) (ほね) (かげ)
後はと考えていると、王子様が止めた。
「勇者様は嫌いな物はあるか?」
突然話しかけられてびっくりしたけど、ちょっと考えて、ちゃんと答える。
「緑の野菜」
「……まあいい」
(魔物はお前の嫌いな物、気持ち悪い物、そのすべてを集めた姿をしていると思え。)
王子様が書いた光文字が消えるまで眺め続けた。嫌いな物と気持ち悪い物すべてを集めた姿ってどんなものだろう。
お母さんが僕の嫌いな野菜ばかりで作った食卓を思い出す。鼻に力が入ってしわが寄る。
(もっと嫌な想像をしてみろ。)
もっと? お父さんが野菜ばかりの料理を作って……。
(そうだ。なるべく嫌な物を思い浮かべておけ。魔物はその想像を上回る。)
王子様の話によると、魔物はまず絶対人間の形をしていないんだそうだ。そして魔王様は勇者様でも怖くなるほどの見た目らしい。
ますます想像がつかない。でも、お夕飯の想像は消しておいた。
(勇者を名乗るなら、覚悟しておけ。俺たちが耐えて、お前が小便でも垂らしてみろ。みっともないぞ?)
(へいき) (がんばる)
「さて勇者様。次は賢者の所にでも行ってこい」
(おせわは?)
(いらん)
「じゃあ、行ってきます」
立ち上がってお辞儀をする。犬にやるみたいにあしらわれたけど、大丈夫。きっと仲良くなれてると、思う。
部屋から出ると司祭様がいた。司祭様が僕に合わせて屈んで、目が合うと力いっぱい抱きしめられた。
「大丈夫? 痛いことはされなかった?」
「大丈夫!全然だよ」
(ぼく)(ゆうしゃ)(やるよ)
ああ、と司祭様が嘆いて、涙を流す。僕は泣いてほしくなくて背中を撫でた。
「やっぱり駄目よ。貴方は魔物と会っては駄目です」
「司祭様?」
それは声に出して良いの?
「仕方がないんです。司祭様」
大魔女様がそばにやって来て、僕と反対側に座って司祭様の背中を撫でる。大魔女様が歩いてきた所から、遅れて花の香りが漂ってくる。
「一時的に私の魔法で視力を奪う事も考えました。でも、それも司祭様も反対なさるでしょう?」
「そんな酷いこと出来ません。万が一、視力が戻らなかったら」
「ええ。そんな事、私もしたくない」
大魔女様と目が合った。顔が熱くなる。
でも、大魔女様がいつもと違って悲しい顔をするから、僕は微笑んでみた。
(こえに)(だしても)(へいき)(なの?)
(声に出しちゃいけないのは、ボーヤが勇者では無かった事だけ。)
(魔物達は自分達が人間から見るとどれほど恐ろしいか知ってるから。)
(だから魔物に直接会うための相談なら別に聞かれても大丈夫よ。)
僕が良く分からなくて、首を傾げた。
(もうボーヤが正式に勇者って事よ!)
大魔女様の光文字をみて、僕は飛び上がった。
ズルだけど、本当ではないけど、でも僕は勇者に成れたんだ!
(私は正式に認めてなど)
(司教様。私はこの子ならやれる様な気がするのです。きっと、魔物と人間の架け橋となってくれます。そう、きっと。)
(それは、先見の魔法ですか?)
大魔女様は何も答えずに、立ち上がった。そして司祭様を優しく立ち上がらせる。
「私は、未来を見るのは本当は嫌いです。これは……女の勘です」
「ふふ、そうね。私も、この子を見ていると明るい未来しか思い浮かばない。祈りましょう。良い未来を」
僕の事を褒めてくれてるんだろうけど、目の前ではやめてほしい。
「司祭様を部屋まで案内してくるわ。ボーヤはどうする?」
「僕は賢者様の所に行ってきます」
「そう。一番奥の部屋よ」
「ありがとうございます」
廊下を端から端へ歩いていく。ドアは6個しかないのに凄く長い。
奥の部屋までいくと目の前の扉が開いて、騎士団長様が出てくる。僕の事を見ると紙を渡してきた。
[俺はお前が勇者でもいいと思う。勇者とは強さの象徴になっているが、本来は魔王にお礼を言うためにいるんだ。だからお礼だけは忘れるな。]
読み終わって見上げると、騎士団長様の大きな手が降ってきた。結構力強く頭を撫でられる。
「俺からアドバイスだ。……武器は持つな」
お祝いに来てるんだから武器は必要ないんじゃないの? そう思ったけど僕は黙って騎士団長様の目を見て頷いた。
それを見て、騎士団長様も力強く頷いた。本当は普通にかもしれないけど、騎士団長様がするとなんでも強そうに見える。
「ああ、もしかして賢者様に会いに来たのか?」
僕が頷くと騎士団長様がドアを押さえてくれた。僕が謝りながら入ると騎士団長様が苦笑いをする。
「殿下はああだがな、皆君を凄いと思っているんだ。恐縮はしなくていい」
「いえ、王子様は必要な事をちゃんと教えてくれます。かっこいいし。騎士団長様も尊敬しています」
「感謝する。君は本当に賢い。 ……内緒だがな、殿下に後でかっこいいといってやれ。面白いから」
騎士団長様は豪快に笑って、去っていった。ドアは音もなく静かに閉まった。
「失礼します」
賢者様は僕が来るのを待ってたみたいで、ジュースと焼き菓子をすぐに出してくれた。
「司祭様には会ったかい?」
「はい」
(ぼくが)(ゆうしゃで)(いいと)(いって)(くれました)
「そうか。それはよかった」
賢者様の右隣に座ってお菓子を食べる。凄く甘くて柔らかくてとても美味しかった。ジュースも果物をそのまま食べるより美味しいかもしれない。
王子様もきっと美味しかったから動きがとまってたんだな。
夢中で食べ切ってしまって指まで舐めていると、賢者様と目が合った。
そうだった。賢者様のお部屋だった。恥ずかしい……。
「魔物の国が豊かだからか、それとも調理の技術か。用意してある物全てが極上だ」
そして、少し考え込んでから賢者様は光文字を書き始めた。
(君に話しておかないといけない事がある。)
僕は背筋を正し、静かに頷いた。
(これは魔物にも、多くの人間にも伝えられていない。勇者の末路についてだ。)
そうだ。僕が知っているのは確かに、誰が選ばれたのかと、いつ出発したのかだけだった。
(魔物はとても恐ろしい姿をしている。)
それは王子様に聞いた。嫌いな物と気持ち悪い物全てを集めた姿だと。
(ゆうしゃも)(こわがるほど)
賢者様はすこし驚いてから頷いた。
(魔物は恩人だ。しかし、どうしようもなく恐怖してしまう。その2つの矛盾が勇者の心を蝕む。)
僕は賢者様の光文字の『矛盾』と『蝕む』の所を指して首を傾げた。
賢者様は顎を触って考えてからまた文字を書き始めた。
(お母さんは好きかい? 司祭様や大魔女は?)
(みんな)(だいすき)
(でも、大嫌いと言ってしまった事はないかい? 好きだと伝えたいのに言えなかった事とか)
ある。お母さんに言ってしまって、その夜は凄く苦しかった。
司祭様たちも、昨日は会いたかったけど自分の身分を理解して会いにいけなかった。
思い出して涙が出そうになったけど、なんとか堪えた。
(その辛さが心を蝕まれている状態だ。そして、勇者の心はそれに耐え切れず壊れてしまう。)
賢者様はずっと勇者様を見てきたそうだ。
魔王の城から転移されてくると、その時点で何人かはもう心が壊れていて、ずっとゴメンナサイと言い続けるだけになっている。
一番強い心を持っているはずの勇者様も、賢者様の問に答えるものの、ずっと何かを睨みつけているそうだ。そして、時折溢れる様に涙を流す。
先代の勇者様などは、魔王の特徴を伝え『任務は失敗した』と一言のこし、喉を切って自殺してしまった。
僕は時々涙で字が読めなくなりながら、最後まで教えてもらった。
身体も震えて止まらない。
そっか。皆知ってたんだ。『勇者』がどうなるのか。
王子様だけじゃ無い。きっと魔王様も分かってたんだ。だから、【死滅祭】が始まる寸前まで魔物に会わせない様にしてる。
悲しみとか、申し訳なさとか、恥ずかしさとか、皆の優しさとか、色んな思いが僕の中を吹き荒れてる。
それは僕が今何を考えているのか分からなくさせるほどだった。
「僕、僕は」
「怖ければ、目を瞑っているといい。魔王も魔物も声は優しかっただろう。……誰も咎めたりなどしない」
「……部屋に、帰ります」
「分かった。良く休みなさい」
「はい。お休みなさい」
賢者様の部屋を出て、階段を降り、最初の転移された場所に戻った。
どこの部屋が空いてるのか分からないなと思ったら部屋に入るのが嫌になった。
眠くはない。
「あれ? ここ玄関ホールみたいなのに外へのドアがない」
「どうかしましたか?」
「あ、えっと、ドアとか窓って無いんですね」
魔物のお姉さんの声が聞こえたので、なんとなく上を見ながら聞いてみた。
「外への干渉は明日までお待ちください」
「いえ、気になっただけなので。……あの!」
「何でしょう」
何を聞く? 何を言う? 今まで何も知らなかったのに。
「……あの」
びっくりした。お姉さんの方から話しかけて来た。初めてじゃないかな?
「はい!何ですか?」
「申し訳無いのですが、その、くすぐるのをやめて頂いてもよろしいですか?」
くすぐる? そういえばいつの間にか壁に頭を預けて、癖で壁に指付けて動かしてたけど。
試しに壁に指を這わせてみる。
「ひぁ! あの、ゆ、勇者様」
「あ、ご、ごめんなさい」
「いえ……」
「もしかしてだけど、壁の魔物さんなの?」
「はい。壁と言うか家の」
「え! そうなんだ。凄いね!」
「あ、ありがとうございます」
「そうだ、あの中が冷たい棚! あれも凄いね! ジュースとっても美味しかった。ありがとう!」
「喜んで頂けて、私も嬉しく思います」
「お姉さんは目も見えるの?」
「……」
「お姉さん?」
「見えます」
「そうなんだ。 ……っ! ……そうなんだ」
「……はい」
「僕は」
「貴方は、間違いなく勇者様です」
「ごめんなさい」
「貴方は! 賢く、優しく、そして心の強い。間違いなく勇者様です」
僕は。
次の日。
僕らは家の魔物のお姉さんの中にある広間に集められた。一方の壁が布で覆われているだけで家具なんかは何も無かった。
広間にはいつも勇者様が持ち帰ってくれる穀物などがあった。お土産らしい。
つまり、今回はこの家の中で全て見て、一歩も出ることなく帰っていいらしい。
これが上手く行けば今後もこうして会談をしようと魔王様に言われた。
僕はとても良い案だと思うけど、賢者様や王子様がそれでは申し訳ないと言っていた。
ちなみに、お姉さんが目が見えるのも、勇者様のその後も二人だけの秘密にした。
「それでは、カーテンを開けさせていただきます」
お姉さんがそう言うと布が真ん中から左右に分かれて開いていく。
眩しさに目を瞑ると、まず凄い歓声が聞こえてきた。割れんばかりとはこう言うことかな、と思った。
「そのまま目を瞑ってろ」
王子様の声がした。いつもの自信に溢れた声じゃ無い。少し震えていた。
ごめんね、王子様。それじゃ駄目なんだ。
僕は、勇者だから。
緊張しながら、少しづつ、少しづつ目を開けていく。小高い丘にでも建っていたのか、窓の半分は空だった。そして。
眼下に広がるのは、歪で不規則な建物たち。
そして、そのすき間を埋める、異形の群。
反対側の正面に金の冠を被った黒い巨塊があった。巨塊が上下に割れ、赤い中身が覗く。そして細かく上下に動いた。
「人間たちよ。ようこそ、死滅祭へ」
最初に聞いたあの幼い声だった。
魔物達の歓声は聞こえるけど、誰も何も喋らない。横を見ると大人達は固まっていて、大魔女様と司祭様は口を手で覆っている。
歓声はまだ続いている。
「この度は!」
僕は声を張り上げた。
お姉さんが声を増幅させてくれたのか、窓の外にも問題なく聞こえたみたいだった。
歓声が止み、皆が一斉に僕を見たのが分かる。
「大事なお祝いの席にお招き頂き、ありがとうございます! 僕は…… 僕が、勇者です!」
胸に手を当てて、精一杯笑う。歓声はさっきよりも大きくなって、鳴り止まなかった。
僕はずっと手を振り続けた。
魔王様が死滅祭の説明をしてくれた。
魔物には病気も怪我も寿命もなく、沢山生きて、満足して子供に力を分け与えようと思った時に死ぬのだと言う。
普通の魔物は子供に魔力を与えて終わりらしいけど、魔王様の力は膨大なので、全魔物に分け与えられるのだそうだ。
だから、【誕生祭】ではなく【死滅祭】としてお祝いをする。
「では、先代の魔王の登場です!」
進行は別の魔物らしい。思ったよりも軽いノリだ。
そして、魔物達が一斉に歌い始めた。中には踊っている人もみえた。
熱気と共に空に何かがやって来た。
ソレは薄いピンクとオレンジを混ぜた色をしていて、大きさは魔王様の2倍か3倍はあった。とても大きい。
形は……そうだ、クルミに似ている。
そこから一本、しっぽの様な物が垂れている。でも、上じゃ無くて下から生えているのでしっぽじゃないかも知れないけど。
「人間の、脳?」
賢者様がそう呟いた。ノウってなんだろう?
見ると皆がまた青褪めて、細かく震えている。
騎士団長様までも。
僕は先代魔王様に向ってお辞儀をした。
先代様は答えるように上下に揺れ始めた。
歓声と歌とが混じり合い、肌に感じるほどに大きくなる。
それに合わせてますます先代様は揺れる。
どんどん、どんどん。
まるで、伸ばされたみたいに見えるほど激しくゆれて。
「イヤッ」
破裂の魔法の様に弾けて、周囲に飛び散った。
大魔女様も司祭様も目を背けている。王子様は大げさに転んでいた。
魔王様の話では、このまま下にいる魔物達に肉片が降り注いでいくはずだった。
そう。いく『はずだった』んだ。
傘の様に広がって落ちていく肉片は、途中で方向を変えて真っ直ぐにこちらに向かってくる。
まるで鳥の群のように意思をもって。
「ヒィ、ヒャァ」
濡れた肉片が叩きつけられる何百、何千という音と、誰かの悲鳴が聞こえる。
その時、僕は別の何かも聞こえていた。
「そうです。僕はここにいます。魔王様!」
「何を言っている! 何を言ってるんだ、勇者!」
賢者様に肩を揺さぶられる。そんなに強く掴んでは痛いです。
「もう……もう、駄目です。われちゃぅ」
お姉さんが悲痛な声をあげるとともに、窓ガラスも砕け散った。
別に頑張らなくても良かったのに、と思いながら僕らは吹き飛ばされた。
目を開けると、そこは真っ赤な部屋で、僕は、ああ、お姉さんは無事だったんだな、と霞がかった頭で考えた。
周囲には、木片と、水溜りと、虫と、骨と、トカゲが、いた。
それらは皆、服を着ていて、知ってる人と同じ服で。
「うああああ!」
トカゲが叫んだ。
鎧を着た大きなトカゲは、力強く、隣にいた骨を砕いた。
余りにもたくさん叩くので、僕は、やめなよ、と言った。
すると、トカゲは壁の模様になった。壁は、より赤くなった。
僕は、骨を組み立てながら、ずっとかっこいいと思ってたんだよ、と言った。
信じてないのか、反応がなかったので、頭の骨を持ち上げると、殺してくれ、と言われた。
殺してあげた。
面白い事はとくに無かった。
水溜りは弱々しく動いていたので、大丈夫?と聞いた。
抱きしめると暖かくて、とても気持ち良かったので、飲み干した。
なんだか、とても力が湧いてきたから、回復魔法の一つかもしれない。
虫は、自分の手を見つめて呆然としていた。
近付くと怯えて後ずさりをして、可愛かった。
僕の好きな、顔と花の様な香りはそのままだったので、動けなくなるように足をもいでおいた。
後でね。
「何を、しているんだ」
木片が喋る。
「何が、何故、どうして、私は」
ああ、あんなにも聡明だったのに。
「僕たちはね。魔物になったんだ」
木片は動かなくなった。
大丈夫かな?
「そうだ。確か、一番強い魔物が魔王になるんだったよね」
「そうですね」
「お姉さん。僕は強いかな?」
「はい。今の魔王様よりも」
「そっか。じゃあ、僕が魔王だ」
この時から『死滅祭』は無くなった。
魔物のいう願った時にだけ訪れる安らかな死が無くなったから。
ある者は僕を暴虐の王と呼び、ある者は創世の王と呼ぶ。
この世を僕が、渾沌に変えた。
僕は勇者で、魔王だから。
魔物と人間が仲良くなれれば良いなと
勇者と魔王に
そういうふうに皆、願ったでしょう?
いつから少年の心に自我が無くなったのでしょうね。
今回は勇者が次の魔王になるという王道を元にした話でした!