第10話「待ってる」
大伴市、浜に面した旅館
ここにはUGN臨時支部が設立されていた。
調査から戻った奏は、自分に分かった全てを四人に報告した。
いつみのこと、龍のこと、封印のこと。
全てを話し終えた後、杉木は腕を組んで考え込んでいた。
「………その話を、奏くんの見た幻だと突っぱねることは簡単だ」
「……」
奏はその言葉をひとつひとつ、真剣に聞き張り詰めた空気が流れる。
旅館の2階の一室。
そこから砂浜は一望できる。
陽はもう傾き、空は朱に染まっていた
「が、しかし、この世界は得てして不思議なことがとても多い。確かなもの、確実なものだけを信用している者に限って、足元をすくわれることが多いんだ」
そう言ってにっと杉木は笑い、一同の顔を確認するように眺める
「…杉木さん…」
杉木の答えを聞いて、奏は安堵する
「レネゲイドが関わるこちら側は特にね」
千年人を見てきた私が言うんだ、と彼は付け足した。
「事実、奏くんが知り得た情報は、今回の調査で得た結果の核心部分との類似点が多い。
これは妄想や思い込みで得られるものではないね。
ならば私は、この現象はレネゲイドがなんらかの作用を起こし、
結果として奏くんがそれを知覚したもの、と捉えるよ
……みんな、異論は無いかな?」
杉木はそう結論付けて、みんなを見やる。
「……問題、ない。」
「言わずもがな?」
「私は支部長の判断と、そして奏さんを信じてます」
舞が、ちび裕子が、ビディが、大きく頷いて杉木を、そして奏を見る。
「…みんな、ありがとう…」
奏は信じてくれる仲間たちに、心から感謝した。
「何より、彼女は今回の事件のもう一つの濃度上昇の原因だ…
…さて。それでは我々はこれより、龍宮殿いつみの調査と彼女の安全の確保を目指し調査を行う!」
立ち上がりながら、杉木はそう指揮を執った
「彼女は非オーヴァードだ。そして、彼らの日常を護るのは、我らUGNの役目だからね?」
杉木は自分に合った小さなスーツを着直すと、ウィンクしながらそう言った。
「はい!」
「…………了解。」
奏も舞も、それに習って立ち上がる。
「裕子さん、彼女の現在地は抑えているかい?」
「もっちもちもちチーズもち! お餅食べたい!」
「……おもち?」
杉木が机の上で飛び跳ね、ビディもライフルの準備をしながら裕子のジャンプを見ていた
「……冗談はさておき、皆さんそちらの窓をごらんくださいな」
「?」
「…」
ちび裕子に指し示され、奏も舞もいつもの窓辺から外を覗いた。
部屋から一望できる、夕方の砂浜。
そこには人影がひとつ、静かに佇んでいた。
龍宮殿、いつみだ。
彼女はこちらに背を向けて、先に見える島に視線を送っていた
「いつみちゃん…!?」
奏はその姿を見て驚愕する。
“こちら側”にいる彼女は、何も知らない普通の少女のはずなのに。
「…偶然とは思えないが、行こう。彼女に会わなければ何も始まらないから」
「はい!」
一行はすぐさま支度をして、旅館を出て裏手の砂浜に降りていく
さくさくと乾いた砂を踏みしめる4人分の足音が、波のさざめきの合間合間に聞こえる
誰が話しかけるよりも先に、口を開いたのは静かに背を向けた龍宮殿いつみだった
「あなた達が、龍を倒せるくらい心強い、お兄さんの仲間ですか?」
それに対し、杉木は彼女の背中に向けて声をかける。
「……ああ。こんな見た目ではあるが、実は君と同じくらい長生きしているんだよ」
ビディもひとつ頷いて答えた。
「ふふふ、私は実はさっきもいたのよ?」
ちび裕子も小さな体で得意げに言う
「……………」
舞は、何も言わずただいつみのことをじっと見つめていた。
「…いつみちゃん…」
奏は、彼女の背中に心配そうな言葉を投げかける。
本来、彼女の深層にいる「もう一人の彼女」が表層に出ている。
それはつまり、もう「その時」が近いということなのだろう
「残された時間は少ないけれど、私に聞いておきたいことでもあるのかな?」
「そうだね、時間がないのなら簡潔に済ませなくてはならないね」
杉木は、こほんとひとつ咳払いをしてから続ける。
「実は、だいたいの予想はついてるんだ。だから、君に確認したいことは、私からは一つだけ」
メンバーの中で、最も背の低い杉木が、最も自信に満ちた語りで彼女の背中へ言葉を投げかける
いつみは、驚いたように瞳を丸くして振り返り、杉木たちを見た
「…………何かしら?」
「龍を殺したら、『龍の頸の珠』は、そして『龍の身体』はどうなる?」
「…………」
いつみは未だに驚いた顔で、その小さな少年のような老人を見つめる
「言っただろう? 生きてきた年月は『君』あまり大差ないんだ」
杉木はそう言って、不敵に微笑んだ。
「……龍は。
死んだら、その身は徐々に崩れていくわ。でも、『龍の頸の珠』は消えない。
あれは、龍の気の塊だもの。全てが無くなっても、あれだけは残るわ」
「………ありがとう! わかったっ!!」
と、彼が全て納得したように言葉を返したところで…
一瞬、ゴォンと鈍い音と地響きが、砂浜に響き渡る。
「! 今の…!」
「…!」
奏も舞も、突然の揺れにとっさに警戒した。
震度はあまり高くないようだが、しばらくカタカタと揺れた後、揺れは収まる。
しかし
いつみは再び振り返る
彼女の視線にある島から、ギャアギャアと、鳥たちが一斉に木々を飛び出し、陸地の方へと飛んでいった
まるで、何かから逃げるかのように
「……時間、だね」
いつみは島を眺めながらそう呟いた。
「…いつみちゃん…」
「私は、行かなきゃ。最後に少しだけできることがまだあるから」
いつみは振り向かず、ちゃぷ、と足だけ海に浸かる。
「……お兄さん」
「何?」
振り返らぬまま、いつみは奏に語り続ける。
「私は、ずっとあの夜の島に一人でいたの」
「…うん」
そして、顔だけ少し振り返り、微笑みながら告げた。
「まさか、最後の最後で誰かと楽しく会話して過ごせる時が来るなんて思わなかった。あの時間は、本当に楽しかったよ」
奏いつみのを見ながら軽く俯いた。
「…そんな、悲しいこと言わないでよ」
奏の言葉に、いつみは振り向いてどこか哀しげに微笑むだけだった
「お兄さん」
いつみは、全てを、死を、受け容れ笑う
「ありがとう」
奏は、その笑顔を見て苦しくて仕方なかった。
「いつみちゃん…」
ほんの数秒だけ、間が空く。
「ばっっっっ
っかもーーーんっっっ!!!!」
波の音だけが響く砂浜に、杉木の叫び声が空気を震わせた
いつもとは全く違う杉木の怒号に、奏はビクッとして杉木を見る。
「す、杉木さん!?」
彼の顔はだいぶ険しく、真剣な顔をしていた。
そして、やがて大きな声で続ける
「秋家舞! 我々はなんだ!?」
「…ユニバーサル・ネット・ガーディアン。通称UGN」
変わらぬ無愛想な顔で、舞は淡々と答える
「ブリジット・マーティーン! 我々の使命はなんだ!?」
「レネゲイドの脅威から、人々を、平和を護る」
にこっと笑って、ビディが答える。
「谷城裕子! 我々の信念はなんだっっ!?」
「うふふふふ。そりゃあ、あなたも私も、みーんな幸せ♪よっ♪」
ちび裕子も、舞の肩で腕を組みながら答えた。
奏もいつみも、杉木のその様変わりした雰囲気に唖然とする
「……と言うことだ、龍宮殿いつみ。私たちは、この街とこの街の人々を護る。そう、この街の人間である貴女を含めて」
杉木は、そう言うと奏に向かって一歩踏み出す。
「……だから、奏くん。あそこの格好つけたがりの女の子に、言ってやれ」
「……はい」
奏は杉木に対して強く頷いたあと、海に立ってるいつみちゃんに近づいた
「……いつみちゃん」
軽く肩に手をおいて、まっすぐに言葉を伝える
「僕たちを、信じてほしい。絶対君を死なせたりしない。
約束したじゃないか…君を助けるって。だから、最後とか、終わりとか言わないでよ」
優しい言葉を、目の前の彼女に
支えてあげられるような、言葉を
「最後の一瞬まで、生きるのを諦めないで」
君の瞳を、真正面から見つめる、いつみの瞳が潤む
「………し」
掠れた声が、彼女の口から漏れる
「信じても、いい?」
「もちろんだよ」
それを聞いて、いつみは、微笑んだ
今にも、泣き出して崩れてしまいそうな顔で無理矢理
そんな笑い方をするから、彼女の目から一筋
涙が溢れて、海に落ちた
「…いつみちゃん。もう、耐えなくていい」
奏は、いつみの顔を見ながらやさしく言葉をかける。
「君は千年間ずっと孤独に耐えてきたんだ。もう、何も我慢することはない。
……だから」
「思い切り、泣いてもいいんだよ。誰も、君を咎めたりしないから」
少女の眼から、大きな涙が一粒、また一粒と、溢れる速度を速めながら落ちていく。
「お兄さん、格好つけすぎだよ…」
「君に言われたくないよ」
奏は、そんないつみに対しくすりと笑った。
ぽろぽろと、いくつもの涙を溢れさせながらいつみは言う
「……待ってる」
そうとだけ、彼女は告げて、奏の手を取った
その束の間の後に、いつみの姿はそこになかった
ただ、波が静かに押しては引くだけだ
「……」
こんな時間がこのまま続きそうだと錯覚を覚えるほどだ
だが
少しの時間を空けて、またズンと地響きが鳴る
「さて」
数秒間、そのまま海を眺めて
そしてくるりと振り返る
「行きましょう」
裕子が、
ビディが、
杉木が、
奏の顔を見つめる
そして、
「いいや、まだだ…!」
ええーっ!?って顔で、ビディと裕子は杉木に振り返った。
「『助けたい』と叫んで誰かが救えたら苦労しない。
時間はない。だが、『時間がない』と言って時間のせいにしても何も解決しない」
奏は、そういう杉木を見ながら、問いかける。
「…まだ、このままじゃいけないんですね?」
「ああ。助けたいんだろう?」
「はい」
奏は、強く頷いた。
「なら、探そう。その答えを」
「……はい」
かくして、夕暮れの砂浜で、彼女を救うための作戦会議が行われた。
杉木は自分の体から枝を生やし、砂浜に図を描き始める。
「これが、私の見極めた龍宮殿いつみの魂の状態だ。」
そう言いながら杉木が書き記したのは、対極図だった。
丸の中がふたつに区切られ、その二つの中にひとつずつ小さな丸がsる。
「まず、龍の魂…もとい、龍の頸の珠を封じる彼女の魂は膨大なものだ。
龍の魂を押さえつけるために、彼女は龍の魂と同じだけの力、つまり、龍の倍の魂を持っている。
この半分が表のいつみさん、この半分が封じられた龍の魂。
そして、この二つの莫大なエネルギーだが、これを封印として成り立たせてるのが、この二つの丸。
これが二つ合わさり、「裏のいつみさんの魂」になっています。」
杉木の説明を、みんなは真剣に聞いていたる。ただ、ビディはまだよくわからなくて、目をぱちくりさせながらもついてこようと必死だった。
「ですが、1000年の時を経て、裏のいつみさんの魂は磨耗していき、今この瞬間これ以上魂を留める楔としての力が足りなくなろうとしている。
太極図の両方が別れ、表いつみの魂はパカッと真っ二つになってしまう。
こうなるとほどなくしていつみさんは死んでしまうでしょう。」
「……欠けた龍の魂を、埋め直せば…」
奏が必死に考えてる中、裕子が杉木の説明に付け加える。
「それに厄介なことに、この魂には、表層のいつみちゃんと深層のいつみちゃんの二つの魂が存在しているの。
欠けた部分の魂を埋めただけでは、表層のいつみちゃんしか助からないわ。」
私にわかるのはここくらいまでね。と裕子は腕を組みながら答えた。
「……魂は、レネゲイドの力があれば補えるんですよね。」
「えぇ、そうですね。何せ彼女の魂の半分…もとい、龍はレネゲイドビーイング。レネゲイドの塊ですから。」
奏は、それを聞くと、少し悩んだ顔をして、石を隠している手袋を取った。
石があらわになって、夕日に光が反射してきらりと光る。
「レネゲイドがあれば助かると言うのなら…僕の、この石は使えないのかな?
この石には、未知なるレネゲイドの力が宿っているって、前に裕子さんは言ってた。
なら、少し分け与えることくらい…」
奏は石に触れながらそう言った。
しかし
「それは無理だわ」
そう告げたのは、他ならぬ裕子だった。
「奏君の右手のその石は、確かにただの賢者の石ではないわ。
でも、その未知数の力の大部分は、石自体の力を制御するために使用されている。
もし石を使うんだとしたら、その石から彼女の魂分だけのレネゲイドを引き出せる保障はないわ。
そもそも、その引き出し方すらわからないのに。」
裕子がそういうと、奏ははっと気づいたような表情をして、次の瞬間落ち込んだような顔になる。
「そっか…確かに…」
「それがわからないから、君は舞ちゃんと組まされてるのよ…?」
「使えるかもしれないって思ったのにな…」
ま、何か使えないか、って思ったとこはわかるけどね。と裕子はつぶやいた。
「……表のいつみさんを救うだけなら、少なくとも方法はあります。」
杉木はそう言い、続きを言う。
「先ほど、彼女は龍の頸の珠は残り、身体は崩れるといっていました。
恐らくそれは、ゆっくりと、徐々に崩れていくのでしょう。
さっきも言った通り、龍の身体はレネゲイドの塊です。
そのレネゲイドを、いつみさんのウロボロスの能力で喰らえば、恐らく救えます。
ただ、崩れる身体なので、少しばかりの処置は必要になりますが…」
杉木の話を、皆は真剣に聞いている。
「復活した直後の段階では、この方法は難しいでしょう。
だから、一度アレを倒して弱体化させる必要がある。
……ただし、これだけでは、恐らく表のいつみさんしか救えない。
裏のいつみさんの魂をも支えられるレネゲイドは、あの龍には持ち合わせていない。」
奏はそれを聞いて、再び悩み始める。
「何か…二人とも救える方法は…他にないのかな…」
奏と裕子と杉木は、三人そろって腕を組んで考え込む。
およそ数一分の沈黙の後、口を開いたのは舞だった。
「……封じられている『龍の頸の珠』は、賢者の石、なんですよね」
「えぇ。そうですよ。」
杉木からの返事を聞いた舞は、案外あっさりと、
最初からそう思っていたかのように告げる
「……奏の石は無理でも、龍の頸の珠は、使えないのかな」
その一言で、三人ははっとした顔になり舞を見る。
「「「それだーーーーーー!?」」」
三人の声が重なって砂浜に響く。
三人同時の声は大きかったのか、ビディの身体がびくっと跳ねた。
「ね、ねえ! 支部長!」
「ああ…! その珠もまたレネゲイドの塊。そちらに裏のいつみさんを定着させれば…
おそらくいけるはずだ…!」
「……うんっ!」
奏は突破口を見つけたことで希望を見出した。
みんな、助けられる。そんな希望がみんなに生まれたその時。
再び島から聞こえる地響き。
そして海は、おかしいスピードで引き潮となっていった
島へ続く陸が顔を出す
「……行こう」
そう告げて道を眺めた奏の後ろから、両肩をポンと叩く人物が
「私も少しは力にならないとね」
「裕子さん…」
海水を摂取して、通常人型サイズになった裕子がそこに立っていた。
これで、準備はそろった。
あとは、龍に挑むだけだ。
「じゃあみんな…準備はいいね?」
杉木がもう一度、みんなの顔を見てそう尋ねる。
「…………ええ」
「はい!」
「勿論」
「おー!」
舞が、奏が、ビディが、裕子が。
杉木の言葉に大きくうなずいた。
そして一行は、杉木を先頭にして島に伸びた道を辿るために歩き出した。
しかし、奏はまた少し、島を眺めて立ち止まった
そして、舞が島に向かおうと歩き始めた時、奏は舞に話しかける。
「……秋家さん」
「…………何?」
舞は、軽く顔だけ振り向いて奏の言葉を聞く。
「ありがとう」
奏は、そう微笑みながら言った。
それに対し、舞は振り返っていた顔を前に戻して答える。
「…お礼は要らない。どうしてもお礼がしたいなら、これが終わった後にして。」
「……わかった。…勝とうね」
舞は、少しだけ間を開けたあと、ぼそりと
「………まぁ、信じているから」
と、呟いた。
その言葉に奏は一瞬面食らったようになるが、すぐにいつものまっすぐな顔になる。
「………うん、僕も」
返事を待たずに、舞は道を早足で歩きだした。
それから奏も、海の上の道を歩き出す。
夕日が海にかかって水面に揺れている。
龍の覚醒は、すぐそこまで迫っていた。