希代の魔女
軽くコンコンとドアをノックする音が部屋に響いた。
薬の制作を一時中断し、椅子から立ち上がった。
来客がある時は魔法の杖を常備するのが習慣になっていた。
妙齢の女が一人暮らしするには警戒しすぎて損することはない。
「はい」
警戒しながらドアを若干狭く開る。
来客者は肩に着くかどうかという中途半端な黒髪に、黒目という何処にでもいるような容貌をしている。
品がある綺麗めな服の上からマントを羽織り、いかにも金持ちの放蕩息子といった感じの青年がドアの前に立っていた。
「すみません、私はバルトバルク国第6王子、シュリンク・ド・バルトバルクというものです。こちらに果ての魔女がいらっしゃるとお伺いしたのですが…」
「申し訳ありません。果ての魔女は半年前に亡くなりました。あの人の力を借りたいということでしたら、少し遅かったようですね」
無表情のまま、言い慣れた台詞を感情をのせずに淡々と述べると、目の前の男は驚愕して暫し言葉を失ったようだった。
これも見慣れたリアクション。
この後は大抵すごすごと引き下がるか、更に言い募ってくるかのどちらかである。
目の前の男は後者だったらしい。
「そうですか…。では、貴女は魔女の弟子ですか?」
「いいえ、違います」
きっぱり言い切ると、また目の前の男が驚愕する。
一体なんなのだ。
「ですが、貴女も魔法使いではありますよね?測定器では確かにここには、かなりの魔力を持った人間がいると示しているのですが…」
ひょいっと目の前に出されたのは小型の魔力測定器だった。
私に向かって標準が固定されている。
ついつい出そうになる舌打ちをどうにかおさめる。
この世にいくつもない小型測定器なんて持ち出してくんじゃねーよ。
「そうですね、確かに私は魔力持ちかもしれません。魔女の孫娘であれば当然かと思います。しかし私は魔力を操る術を習っておりません。制御もできませんので、私がご協力できることはないと思われます」
これで帰れば良し。
これ以上しつこく絡んでくるようであれば実力行使だ。
男が落胆の色を見せたので、やっとこの押し問答から解放されると喜んだ矢先、良いことを思いついたと言わんばかりに輝かしい笑顔に変わる。
顔を取り繕うのを放棄して盛大に顔をしかめてやる。
ろくでもない事が起きる予感。
残念ながら私の勘は外れたことがないのだ。
次に備えて杖をぎゅっと握った。
「良いことを思いついた!!魔女には私がする魔力を扱えるように指南してもらうつもりだったんだが、貴女が魔力持ちなら問題無い」
馬鹿王子は、さりげなく隠していた手を強引に引き寄せて、手を握る。
「私と結婚してくれ!!」
王子からの求婚に、うっかりときめきそうになって我にかえる。
落ちつけ、落ち着くんだ私!!
消え去ろうとしている理性をなんとか保ち、穏便にすまそうと自分に言い聞かせる。
こんなんでも、自国の王子にかわりはない。
「お断りします」
「何故だ!?」
「何故と言われても……王子である貴方様から結婚を申し込まれる立場でも、謂われもないからです」
握られた手を振り払い、素早くドアノブに手をかけた。
家に侵入不可の魔法をかけて、暫く閉じこもろう。
けれど、私のなけなしの良心を無下にするように、後ろから悲痛な絶叫がした。
「待ってくれ!君と結婚しなければ、王宮で地獄のような訓練が待っているんだ。それに雌狐のような女とも結婚させられるかもしれない。それより君と結婚したほうが数倍ましだ!!」
ビタリ、と音がしそうなほど体を急停止させて、後ろを振り向く。
「……まさか、それだけのために私に求婚したの?」
「ああ!!」
掌に爪が食い込むほど強く握った魔法の杖を、振り上げながら叫ぶ。
「ふざけるなぁー!!」
強い光と共に王子の姿が消え、私は荒々しくドアを閉めた。
***
馬鹿王子の出来事を思い出しても腹がたたなくなったある日、ドアを叩く音が聞こえた。
小さな村で薬師を生業にしているので来客は珍しくない。
一応用心のために魔法の杖を持ってドアを開けると、二度と顔を見たくないと思っていた男が目の前にいた。
無言で杖を振り上げる。
「ま、待ってくれ」
馬鹿王子は慌てたように振り上げる手を止めて、一通の手紙を取り出した。
薄紫に独特の模様が隅に小さくデザインされている封筒に見覚えがあったので、仕方なく引ったくって中身を確認した。
その内容に、読めば読むほどに眉間にしわがより、やっと最後まで読み終えると、怒りに呼応したように手紙が燃え上がる。
「お前は馬鹿か!!どんな魔女と契約したのか分かってる!?悪名高い『黒の魔女』よ。ろくでもない術しか使わないのに!!」
「酷い言われようねぇ~」
妙齢の女性の声が聞こえる。
鼻にかかった甘える声音に忌ま忌ましく手紙を睨む。
炎に包まれたにも関わらず、手紙には焦げ目ひとつなかった。
「きちんと願いを叶えてあげてるのにぃ~。なのに迫害されるのよ。酷い話じゃなくて?」
手紙が淡い光を放ち、段々と範囲を広げてうねうねと波打つ。
それが、あっというまに漆黒を纏った妖艶な美女の姿を模す。
「毎っ回、対価がエグすぎるのよ。今回は何を請求したわけ!?」
「寿命ぉ」
真っ赤な口紅をはいた唇が、三日月の形をつくる。
「あんたが、そんなことばっかりやってるから、魔女の評判が悪くなるのよ!!」
「うふふっ」
全然堪えない様子に頭を抱えたくなり、八つ当たりとばかりに、我関せずと成り行きを眺めていた王子を睨みつけた。
怒りのあまり、普段の無表情を取り繕えなくなっている。
「あんたもなんとか言ったらどうなのよ!?」
「いや、俺は君と結婚できたら、それでいいし」
「魔法をかけられる度、無効化する変わりに寿命が縮んでも!?」
「ああ」
事の重大さを理解してない、のほほんとした顔を殴り倒したくなる。
「この魔女の呪いは、そんなに親切にできてないの。治癒の魔法でも無効化され、寿命が縮まるわ。それでもいいの?」
諭すようにゆっくりと説明する。
「今なら私が呪いを解いてあげる。そのかわり対価を貰うわ」
王子は少しばかり驚いた顔をする。
やっぱり深く考えてなかっただろう。
「……対価、とは?」
「二度と此処に来ないで」
冷たく突き放すように言うと、王子は視線を泳がせた後、惚れ惚れするような笑顔を見せた。
「だったら、このままでいい」
「はぁ!?」
断られるとは思わなかった。
せっかく人が親切に忠告して、尻拭いまでしてあげようとしてんのに!!
呪いを解くのがどんだけ大変か、分かってないでしょ。
「言っとくけど、そうそう『黒の魔女』の呪いを解ける人なんて、いないからね。私の申し出を断ったら、最後だと思いなさい」
王子は怯むどころか、相変わらずにこにこしている。
ええい、腹が立つ!!
「もう!! 勝手にすれば!?」
「おーほほほっ」
『黒の魔女』が、耐え切れなくなったかのように、笑い声をあげる。
苛々してる私のカンに障るには充分だ。
「なにがそんなにおかしいわけ?」
「貴方達、良いわ。相性抜群よ」
猫のようなしなやかさで、後ろから抱きしめられる。
幻影のため、抱きしめられた感じがしない。
「是非、結婚式には呼んでね。とっておきの祝福をしてあげる」
「お気持ちは有り難いけど、遠慮しておくよ。貴女の祝福は怖い」
「うふふっ」
楽しそうに笑う魔女と、困ったように笑う王子。
私の意思を無視して話しは進んでいく。
つい手に持っていた杖を振り上げようとして、途中で止まる。
さすがに王子の寿命を縮めては、露見した時に面倒なことになる。
「お前ら、帰れ!!二度と来るな」
「嫌だ。貴女に結婚を承諾してもらうまで、通い続ける」
「うふふっ、久しぶりに楽しめたわ。お邪魔なようだし、もうそろそろ帰るわね。また来るわ」
パチンっと音がして、妖艶な美女の姿が消える。
王子が一歩進み、私との距離を縮めた。
手を伸ばすと触れられるくらい近い。
後ろに下がるのも癪なので、怒りを込めて睨みつけた。
王子は情けない表情を、初めて真剣な顔つきに変えた。
その表情は、不思議と王子に見え、気品と威厳に溢れていた。
「何回でも言おう。私と、結婚してくれ」
「い、いや……です」
やっとのことで返事をする。
ときめくな、ときめくな。
「結婚するなら、君とがいい」
今でも近いのに、王子はさらに距離を縮め、やさしい手つきで胸の前で組んでいた手をとる。
「イルゼ」
覗き込ようとしたので、咄嗟に顔を背けた。
ドクンと、一際大きく心臓が跳ねる。
顔に熱が集中した。
誰よ、私の名前を教えたのは!!
「君とだったら、楽しい結婚生活が送れそうだ。決して、地獄のような訓練にも、雌狐にも捕まらない」
「……」
「『後世に魔法を残すべし』なんて王家の馬鹿げたしきたりなど、面倒なだけだ。君となら!!」
王子の仮面は剥がれ、だんだんと素の姿に戻っていく。
――はい、夢見た私が馬鹿でした。
「断固としてお断りします。もう二度と来るな!!」
先に諦めるのはどっちなのか。
どちらにしろ『黒の魔女』の高笑いが聞こえるのは覆しようのない事実だった。