第二章 宿世
9歳で祖国を追われた劉煌は、22歳で国を取り戻した。
しかし、祖国は以前のような秩序だった国ではもはやなく、今度は国の立て直しという使命が彼を待っていた。
彼の初恋の人である小春が暇を持て余しているのとは裏腹に、彼は祖国復興のため脇目もふらず日々皇帝として邁進していた。さらに、祖国の政治だけでなく医療もお粗末になっていると気づいた医師としても一流な劉煌は、ひょんなことから自ら御典医長も兼務することになり、仮面をつけている時は皇帝、素顔の時は御典医長の小高蓮と、二重生活を送ることに。そんな余裕のない彼の前に皮肉にもそういう時に限って運命の女性が現れる。
果たして、劉煌は祖国を復興できるのか、そして彼の恋の行方はいかに。
登場人物の残忍さを表現するため、残酷な描写があるのでR15としていますが、それ以外は笑いネタありのラブコメ
検死の為の解剖部屋は、どこでも薄暗くジメジメとした場所にある。
そしてここ西乃国靈密院の解剖部屋も例外ではなかった。
劉煌と張麗は、ともに準備室で黙々と解剖準備をすすめ、最後に面紗をつけると、解剖部屋に入っていった。
「いつもどうやって検死を行っているのか見せてくれる?」
劉煌はそういうと腕をくねらせながらメスを張麗に渡した。
”まったく、机上だけは立派だけど、検死ですぐにメスを渡すなんて、素人ね。”
彼女は首を横に振りながらあきれた表情でメスを受け取ったが、すぐにそれをテーブルの上に置くと、死体の外観をろうそくで照らしながらつぶさに見ていった。
だんだんと彼女は彼女の検死におけるゾーンに入っていき、そこに新しい御典医長がいることすら忘れて、死体の胸元をろうそくで照らしながら、一人で呟いていった。
「まず、この女性の胸には焼印がある。ここでの検死なので、この国の囚人だった訳ではないだろうし、法捕司も見たことのない焼印。。。私は焼印や刺青には詳しくないから、よくわからないけれど、女性であることから、どこかの家の…私物的扱い…奴隷的な扱いを受けていたのかも。ただ、その割には、この女性の手足の筋肉は発達していない。。。普段はそれほどの肉体労働を強いられていたのではないのかも。それに、見るからに栄養失調。
両膝には打ち身と思われる青丹があり、身体全体のうっ血と膝の状態を見ると、亡くなる際、膝から落ちるように前に倒れたのかも。。。」
彼女はろうそくを死体の右手の先に置き、死体の右手指先を照らした。彼女はテーブルの用具入れから千枚通しを取って、死体の爪と指の間を器用に掻くと、朱色の紙のような細かい繊維を取り出した。
「何だろう?」と劉煌が呟くと、彼女はそこに劉煌もいたことをようやく思い出し、ゾーンから出て「さあ…」と困惑した声をだしながら、その朱色の繊維を懐紙の上に置いた。
その後、彼女は両手を死体の髪の中に滑らせると、手で頭皮を探り始めた。
張麗の1歩後ろに立ち、劉煌は両手を組みながら、顎を突き出して、彼女の様子を見守っていると、しばらく静かに目を閉じながら手の感覚に集中して頭皮を触っていた張麗の手の動きが、ある時点でピタッと止まった。その瞬間、彼女は目を大きく見開いた。
”やっぱり!”
彼女は死体から手を外すと、今度は剃刀を取り、髪の一部を剃った。するとそこには、やはり膝と同じような内出血があった。彼女は生え際にそって頭皮をキレイにはがし始めた。メスを進ませるにつれ、死体の側頭骨には、外側からでは熟練した者だけしかわからない陥没が現れてきた。
彼女は劉煌の方を振り向くと、
「他のところはまだ見ていませんが、10中8.9、これが死亡原因です。」
と頭部の外傷部位を指さした。
劉煌が張麗の前に踊り出て、身体を屈めて陥没部を見ていると、その背後に立った彼女は、「他殺です。」と付け加えた。
その言葉に驚いて振り向いた劉煌の目を見て、彼女は「陥没の形状を見てください。」と静かに言った。
劉煌がろうそくの火を近づけ陥没部を覗き込むと、張麗が「力は、」と言った瞬間に、
「後方斜め上方から加わっている…」
「後ろ斜め上から…」
二人は同時につぶやいた。
劉煌は立ち上がると、張麗の真ん前に移動し、両手を組み、首を左に少し傾け、目を細めながら、
「張麗先生、あなたは私が出会った医師の中でもトップ3に入る優秀な医師だわ。あなたと出会えて光栄です。」
と真摯に言いながら、自分でも何で、”あなたと出会えて光栄です”等と口走ってしまったのかと驚いていた。
張麗は、張麗で、医師として、今まで女というだけで馬鹿にされ、誹謗中傷されてきたことはあっても、師以外から容認すらされたことがなく、ましてや称賛されたことなど全く無かったので、この言葉に彼女自身も面食らってしまった。
張麗は薄暗闇の中で口を少し開いたまま彼を見つめた。
彼女は先ほどのクラスでのディスカッションからも、彼が前任者とは異なり、指導医として及第、いやそれ以上の実力を持っていることはわかっていたが、なよなよした女性的な仕草は別として、人柄的にも極めて謙虚で、少なくとも医師の世界では稀有な人物だと思った。
そして今初めてしっかりと彼の顔を見た張麗は、薄暗い部屋の中でもはっきりとわかるほどの端正な顔立ちに気づいてしまうと、彼を見つめながら彼女の頬はどんどん赤く染まってくるのがわかるほど熱を帯びてきたが、それでもなぜか彼女は彼から目を逸らすことができなかった。
見つめ合った目を逸らしたのは、劉煌が先だった。
「後はどうする?」
遺体を見ながら彼女に尋ねると、
「念のため、体幹内も確認します。」
張麗はそう答えると、すぐに慣れた手つきで遺体の胸から腹へメスをYの字に入れていった。一般解剖の手順に沿って、次々と各臓器を確認していた彼女が、突然ハッとして息を止めた。その瞬間に彼女の手が止まり、そこで彼女は何も言わずに固まってしまった。
何が起こったのかと劉煌が怪訝そうに張麗の顔をチラッと見た後、彼女が見つめている遺体の部位に視線を向けた。
「身ごもっていたのか…」
劉煌はそうつぶやくと、目を見開いたまま肩で呼吸をしている張麗を見た。
”なんだかんだ言っても彼女は年頃の女の子だ。これはかなりショックだろう…”
「まあまあ。後は私が引き継ぐから、君はもう帰りなさい。」
と優しい声で諭すように劉煌がそう言った瞬間、張麗は、これ以上開くことはできないと思われるほど目を大きく見開き、首を横に振りながら劉煌の顔を斜め下からキッと見上げると、
「冗談を言わないでください!」
と叫んだ。
”えっ?”
あっけに取られている劉煌を、頬を興奮で赤く染めながら、張麗は、右手にメスを持っていることを完全に忘れているらしく、右腕を大きく振りかざしながら、メスで遺体を指し、
「こんな貴重な検体、一生に一度出会えるかですっ!」と叫び、
視線を遺体の子宮の中に移すと、メスをバンと放り投げた。放り投げられたメスは、鋭い軌道で劉煌の鼻先をかすめたかと思うと、彼のすぐ後ろの柱にグサッとつき刺さった。
張麗は、しずしずと子宮の中の胎嚢を愛おしそうに胎盤ごと取り出した。
「大きさからしてこの胎児は12週位じゃないでしょうかっ!?」
台の上に胎児を恭しく乗せると、指で優しく胎児を包む胎嚢を広げてみて、
「すごい、僅か1寸でちゃんと人間の形をしている!」
「本では読んでいたけど、本当なんだ!」
劉煌は、張麗を横目でみながら、柱に突き刺さったメスを指でピンピン踊らせていたが、やがて体の向きを、解剖遺体と摘出した胎児の間でルンルンしている張麗の方に変えると、
”あの小春より変わった女の子がこの世にいるなんて、、、本当に思いもしなかったわ…”
と思った。
そして、そう思った瞬間、自分がとても優しい笑顔になっていることに、劉煌は全く気づいていなかった。
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