第六章 謀略
東之国にも、中ノ国にも危機が迫る
東之国皇宮では、先帝の3周祭(仏教でのところの法要に当たる)のための準備が粛々と進められていたが、皇宮の6か所の門前では毎日毎日ひっきりなしに国民のデモが繰り広げられていた。
国民のデモは、大きな看板までご丁寧に掲げられていて、そこには、
『巫女は不要!皇女と西乃国皇帝の婚姻は必要!』
やら
『東之国安泰の為に西乃国皇帝と東之国皇女の婚姻を!』
等、全て簫翠蘭の願っていた通りのことを書いて、思惑通りのシュプレヒコールをしていた。
はじめはこれに無視を決め込んでいた摂政の簫翠陵や東之国の官職たちも、あまりにも毎日大規模なデモが繰り返されることから、とうとう根負けして、朝政の議題にまで登り議論が繰り広げられたが、官職たちの意見は真っ二つに別れ、何日も平行線のままだったため、本件は皇族規範の問題ということから、結局どうするかは皇族に委ねられた。
そこでまた緊急皇族会議が開かれることになったのだった。
翠陵は翠蘭が部屋に入るなり、怒り心頭で「翠蘭、これはいったいどういうことか!」と翠蘭に詰め寄った。
翠蘭はこれは完全に想定内だったことなので、
「どうもこうも、国民の皆さまは、私が巫女になることよりも、西乃国皇帝と婚姻関係になることを望んでいるということですわ。」
としれっと言うと、自分とは全く関係ありませんというような顔をしてみせた。
翠陵はこれでさらに頭に血が上ると、説教モードに突入し、翠蘭の前に来ると人差し指を立てながら、「しかし、東之国の皇女は、」と言ったところで、翠蘭が間髪を入れずに、
「巫女になれということでしょう?でも叔父上、論理的に考えてみてくださいませ。私が千年以上空席で問題なかった巫女になるよりも、西乃国皇族と姻戚関係になる方が、東之国にずっとメリットがあると思いますけど。しかも劉煌殿は私を皇后に迎えてくださるとお申し出なのですよ。」
と逆ギレならぬ逆説教した。
それに翠陵は破れかぶれになって、両手を拳にして両肘を曲げると天を仰いで「論理的とか、現代的とか、そんなことは関係ないのだ!東之国皇族の掟なのだ!」と吠えた。
それに翠蘭が何か物いう前に、初めて東之国皇帝が口を開いた。
「朕は、蘭姉さんを支持します。常識的に考えて、東之国にとってこれほど良い話は無いと思います。第一、西乃国と婚姻関係が結ばれることにメリットは山ほどあれど、デメリットは何かありますか?他の国の皇族なら政略的に婚姻を推し進めるくらいですよ。それなのに、政略どころかお互いそうしたいと願っているなんて、こんないいお話はないと思います。」
翠陵は皇帝がこのような発言をするとは想定外で、「しかし、陛下!」と皇帝を窘めようとすると、皇帝は全くそれに屈せず落ち着き払って「なんなら朕は聖旨を書きます。」とサラッと言った。
皇帝が賛成してくれるとは思ってもいなかった翠蘭は上機嫌で「皇帝陛下ありがとうございます。」と嬉しそうにお辞儀をしながら言った。
だが、それと同時に翠陵が、「陛下!東之国の掟は、」と言いいだしたまさにその瞬間に、皇帝は先ほどとうって変わり翠陵をギロっと睨むと冷たい声で聞いた。
「まさかあなたから掟の話が出るとは。あなたは掟を遵守しているのですか?」
翠陵はこの言葉を聞いた瞬間、仮面を被らなければならない状態になったことを初めて有難いと思った。何故なら、彼の仮面の下の顔は真っ青になっていたからである。
グウの音も出ず、そこに茫然と俯いて立ち尽くす翠陵と、その前で皇帝の意図が読めず眉間にしわを寄せ口元に左手を寄せている翠蘭を見ながら、上座に座っていた皇帝は、「これで公平です。」と言うと、サッと立ち上がって部屋から出て行ってしまった。
しばらく二人はそのままの状態で立っていたが、翠蘭が思いだしたように翠陵にお辞儀をすると静かに「叔父上、お先に失礼します。」と言って、部屋から出ていった。
翠蘭は、この皇族会議がもっとモメることを予想していたので、この展開に少し拍子抜けしながら、東尋御所に向かって歩いていると何か小さい物が頭にポンと当たった。彼女が頭に当たって下に落ちたものを見るとそれはどんぐりで、すぐに小さい頃、弟と従弟がよく彼女の気を引きたくて彼女の頭に向かって投げていたことを思い出すと、そのどんぐりが飛んできた方向に振り向いた。
すると、木の影から皇帝が、小さい時のように、えへへと笑いながら出てきて、「蘭姉ちゃん、ごめんなさい。」と言って照れながら冕冠の下の頭を掻いた。
翠蘭は弟のふりをし続ける簫麒麟に、いささか困惑しながらも、「どうして?」と聞いた。
「どんぐりぶつけたし。」と言いながら皇帝は翠蘭の横に立つと、声を潜めて「袁袁って呼ばないのは、僕が翠袁じゃないってわかっているんでしょ。」と囁いた。
その言葉に翠蘭は驚いて皇帝を見つめると、皇帝は目に涙を浮かべていた。
しばらくそこで二人は黙ったまま立っていた。
翠蘭は沈黙を破ると皇帝に「池の所に行こうか?」と言った。
皇帝は顔をあげると、うんと頷き、二人はとぼとぼと池に向かって歩き出した。
麒麟は顔に幼さが残るものの、14歳ながら大柄で、もう翠蘭とほぼ同じ背丈になっていた。黙々と目的地に向かって歩いている中、麒麟は、突然翠蘭の方を向いて「僕はまだ2回しか劉煌殿に会っていないけど、男から見てもとってもカッコイイよね。あのマントの翻し方、何度もやってみたけど、あんな風に様にならない。蘭姉ちゃんが劉煌殿と結婚したら、僕に教えてくれるかな?」と、先ほどの皇族会議の部屋での皇帝とは180度違って、昔からの従弟の口調でそう聞いた。
翠蘭は内心、”あんたのカッコイイ基準はマントの翻し方かい!”と呆れながらも、とりあえず「そうね。」と言うと、麒麟は今度は正面を向いて「成多照挙殿も10頭身でハンサムだけど、劉煌殿は姿だけじゃないんだよな。言うことも成すことも全てカッコイイ。蘭姉ちゃんのことを東之国の宝って呼んでたよ、成多照挙殿は自分のモノ扱いだったけど。」と淡々と言った。
その言葉にすっかり吃驚した翠蘭はそこで歩くのをやめ、その場に立ち尽くしてしまった。
それを少し先に行ってしまった麒麟が気づいて振り返ると、「蘭姉ちゃん、話したいことがいっぱいあるんだ。早く池の所に行こうよ。」と言って、翠蘭に向かって手を差し伸べた。
東之国の皇宮の北西の一角には、人工的に作った小さな滝と大きな池があるのだが、小さい滝とは言えど、勢いよく流れているため、小さい割りにはゴーと派手な音を立てて池に流れ落ちる。そのため、ここでの会話は、まず側に行かない限り他者には聞こえない。そういうことから、皇族の子供3人は幼い頃から、何かというとこの池に行っては話をしていたのだった。
二人が池の所に着くと、麒麟は、まず3か国の条約締結時の話をし始めた。
「僕も親父もなんか狐につままれた感じだったよ。劉煌殿が蘭姉ちゃんが生きているって教えてくれただけでなく、無条件で蘭姉ちゃんを国に返してくれるって、そんなことが本当にあるのかなって。そうじゃなくても西乃国の先帝は傍若無人な人だったから、東之国に着くまで本当は西乃国が罠を仕掛けているんじゃないかって気が気じゃなかった。でも本当に蘭姉ちゃんを無条件で帰してくれた。しかも皇女の正装まであつらえてくれてさ。そういえば、あの席で成多照挙殿が退席された後、劉煌殿は仮面を取って僕たちに素顔を見せてから、蘭姉ちゃんと結婚したいって言ったんだ。正々堂々としていて本当に凄い人だと思う。」
「・・・・・・」
「あの席で、成多照挙殿がキレてさ、劉煌殿に剣を振りかざしたんだけど、劉煌殿はそれを全然見てないのに、気配だけでサッとかわしたんだ。あれも劉煌殿と蘭姉ちゃんが結婚したら僕に教えてくれるかな。」
「・・・・・・」
「さっき言った通り、僕は劉煌殿と蘭姉ちゃんのことは、この上ないほどの良縁だと思っているよ。勿論蘭姉ちゃんが嫌なら無理強いはしないけど。もっとも、中ノ国で再会してからの蘭姉ちゃんを見ていると、嫌とは全く思えないけど。」
麒麟はそう言うと歯を見せて笑った。
翠蘭はまだ黙ったままでいたが、麒麟はあたりをよく見まわしてから誰もいないことを確認してから語り始めた。
「僕は袁袁と小さい頃から約束してたんだ。こんなにそっくりに生まれてくるなんてきっと訳があるって。だから僕は袁袁の影武者になって袁袁を守るって約束してたんだ。だけど、あんなことになるなんて思ってもいなかったんだ。袁袁は3週間頑張ったんだ。」
なんとかそう言い終わると、麒麟は大粒の涙を次から次へと怒涛のように流した。
「僕は絶対袁袁が治るって信じていたんだ。治るまでの代わりのつもりだったのに、こんなことになってしまって。」
なんとかそう言い終わると彼は声を詰まらせ、後は顔を歪ませ必死に嗚咽の声が漏れるのをこらえようとしていた。
翠蘭も麒麟と共にしばらく黙っていたが、「麟麟はそれでいいの?」とぽつっと聞いた。
麒麟は今度は眉間にしわを寄せて「いいも何も誰かがやらないと。」と言うと、翠蘭は間髪を入れずに「でも、ずっと翠袁として生きるのでいいの?」と聞きなおした。
麒麟は振り向いて翠蘭の目を見据えると真剣に言った。
「簫麒麟は火事から3週間後に病気で死んだんだ。可哀想なのは袁袁だ。死んだ上に墓まで不当な扱いだ。それに比べたら僕は生きているだけまだマシだ。誰として生きようが、皇帝をやりたくないなんて、絶対にそんな弱音は吐けないよ。袁袁の名前を汚すわけにはいかないからね。だから僕は、蘭姉ちゃんには国の掟に縛られずに、生きてほしいんだ。本当に幸せになってほしいんだ。」
わずか12歳で自分の人生を他者の為に犠牲にする選択をした現皇帝の言葉の重みに、翠蘭は息をのみ、心の底から敬服した。そして中ノ国の3か国の祭典以来、ずっと彼女の心の片隅にあった麒麟への不信の念がスーッと昇華してゆき、代わりに、弟と二人で自分の後を追いかけまわしていた無邪気な彼女の記憶の中の麒麟と現皇帝の姿が、彼女の心の中で統合されていった。
翠蘭はフッと笑った。
「劉煌殿は教えて下さると思うわ。」
彼女はそう言って、麒麟に向かって優しく微笑んだ。
「え?」
「マントの翻し方と剣のよけ方。」
翠蘭がそういたずらっぽい顔をして言うと、麒麟はそれを聞いて本当に心の底から嬉しそうに笑った。そして、翠蘭に劉煌との馴れ初めについて、あれこれ聞きはじめた。
翠蘭は照れながら「誰にも言っちゃだめよ。」と念を押すと、「劉煌殿と私が初めて会ったのは、、、」と嬉しそうに話し始めた。
麒麟は左掌に顎を乗せながら、目をキラキラさせて翠蘭の話に聞き入った。
~
一方、中ノ国では皇帝の意識が完全復活したものの、朝議の席で祈王派の臣たちからチクチク言われ続けていた。
小春は横で黙っていたが、チラッとみた照挙の手は、机の下でギュッと握りしめられ真っ白になっていた。彼は始終顔には一切だしていなかったが、小春には照挙が針のむしろにいると痛いほど伝わっていた。
時間という概念は、興味深い。
世の中でこれほど正確なものはないはずなのに、人の気分によって感じる長さが違うのだ。
そして、照挙も小春も、今日の朝議ほど時間が長く感じたことはなかった。
その実は、いつもより早く終わったというのに。
ようやく朝議が終了すると、照挙は間髪入れずに席を立ち、わき目も振らずさっさと大理殿を出て行った。
その後を追って小春も慌てて立ち上がったが、もうだいぶ大きくなったお腹の重さで思うようにならず、そこではああと大きな溜息をついた。そしてふと横を向いた瞬間、宰相と目と目が合った。小春が顔を引き締めると、彼らは無言でお互いにただ一度だけ頷くと顔をそらした。
小春が照挙よりだいぶ遅れて皇帝楼についた時、中からは大きな何かが壊れる音が鳴り響いていた。
案の定小春が中に入ると、北宦官が慌てて側にやってきた。
「皇后陛下!お身体にさわります。今は中に入られない方が、、、」
「大丈夫よ。」
そう言うと、小春は照挙の居室の扉をバーンと開けた。
その拍子に扉は外れ、床は波打ち、照挙は立っていられず手に持っていたものを投げ出して机に捕まった。
それまでの暴力的な状態とうって変わって小春は、照挙に向かって優しく言った。
「照挙!お出かけするよ♡」
「お出かけ?」
それから3時間後、照挙と小春は伏見村の亀福寺に着いた。
小春は、照挙の手を取りそっと裏口から出ると、そのまま手を引き裏山を登って行った。そして劉煌がnid d'amour(愛の巣)と名付けた洞窟を通り過ぎ、天辺までくると彼女はいきなり亀福寺と反対方向を向いて、
「平中鬨蔵のバカヤロー!!!!!」
と叫んで石を思いっきり投げた。
平中鬨蔵は財政のトップで、今朝の朝議では照挙に一番嫌がらせ的な発言をしてきた奴だった。
それをかわきりに、彼女は今朝の朝議で敵と感じた人物の名前を次から次へと叫んでは石を投げていた。
それを横でみていた照挙は、はじめは呆気にとられていたが、だんだんと笑みを浮かべ最後は一緒になって石を投げていた。
「スッキリした?」
「ああ。」
「よかった。。。朝議に出て思ったの。照挙がかわいそうだって。」
「ありがとう。そう言ってくれるのは小春だけだ。」
照挙にそう言われた瞬間、小春は2月に起きた中ノ国の危機のことを思い出した。
劉操が皇帝楼に攻め入った時、小高蓮を乗せた黄金色の龍が突風を起こして、万といる敵を一瞬になぎ倒したあのことを、、、
それで思わず小春は呟いた。
「照挙にも蓮みたいに龍がいたらよかったのに、、、」
そう小春が口走った途端、照挙は閃いて叫んだ。
「そうだ!それだ!小春、ありがとう!」
そして身重の小春をその場に置いて、一人山道を転がるように降りて行った。
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