第二章 宿世
9歳で祖国を追われた劉煌は、22歳で国を取り戻した。
しかし、祖国は以前のような秩序だった国ではもはやなく、今度は国の立て直しという使命が彼を待っていた。
彼の初恋の人である小春が暇を持て余しているのとは裏腹に、彼は祖国復興のため脇目もふらず日々皇帝として邁進していた。さらに、祖国の政治だけでなく医療もお粗末になっていると気づいた医師としても一流な劉煌は、ひょんなことから自ら御典医長も兼務することになり、仮面をつけている時は皇帝、素顔の時は御典医長の小高蓮と、二重生活を送ることに。そんな余裕のない彼の前に皮肉にもそういう時に限って運命の女性が現れる。
果たして、劉煌は祖国を復興できるのか、そして彼の恋の行方はいかに。
登場人物の残忍さを表現するため、残酷な描写があるのでR15としていますが、それ以外は笑いネタありのラブコメ
西乃国の首都である京安では、劉煌の父の時代から、試験を受けて合格した者にだけ医業を行う権利:医師開業免許を与え、その免許更新のためには、週に1回2時間ほど、靈密院(西乃国皇宮の皇宮医院)において継続研修の受講が義務付けられていた。
そのため、劉煌は、西乃国の、、、少なくとも京安の、、、医療水準はかなり高いはずだと思っていた。
しかし、この医師の継続研修も劉操の時代ですっかり”形式的なもの”になり、(劉煌のレベルからみた場合)内容は全く無いに等しいものに成り下がっていた。
劉煌が、研修講師の小高御典医長として初めて靈密院に立ったのは、先週の金曜日であった。
靈密院の医師研修は曜日ごとに対象が異なり、そのうち月曜日、火曜日、金曜日は以前から試験に合格したてのインターン研修の日であった。
劉煌は、元々細身ではあったが、たった1日数時間の研修で奴らを相手にしただけで、彼の身体は更に細まり、細長い顔になってしまった。
何しろ、劉煌からみれば、これで試験に受かったことも驚きなら、何で医師になりたいのかさえもわからないような連中を相手にしなければならなかったからだ。
でも、それでも彼らはましな方であったのだ!土曜日のベテラン開業医向けコースの連中に比べれば!
”中ノ国の伏見村の村民が受けているのが、先進医療に思える日がくるとは…”
本日水曜日で、小高御典医長として勤務し始めて約1週間が過ぎる。
すなわち今日が終われば、京安の医師全員と対面したことになる。
更に細まった身体に鞭打ちつつ、顔はさすがに自分の作った美容クリームのおかげで、
くまひとつなく、くすみひとつなく、勿論吹き出物一つなく、
完璧にカッコイイ男であることを顔を四方八方に傾けつつ手鏡で確認し、髪を撫でつけ、自分の中で美の合格レベルに達してから、劉煌は教室に入った。
いつも通り、当然のことながら、野郎どもばかりである。
テキストを左手に持ち、右手を空中にランダムに泳がせながら、
「あー。じゃ、時間になったから始めるわね。」と言った瞬間に、劉煌は思わず眩しさで顔をそむけた。
何事かと顔をしかめ、手を目の上にかざして、目を細めて光の元を見てみると、そこにはぼさぼさの髪を躍らせながら、息せき切って一番後ろの座席にまさに飛び込んでいる娘がいた。
たぶんずっと走ってきたのだろう、頬は赤く染まり、肩で息をしている。
年頃なのに、髪を無造作に後ろで一つに束ね、髪飾り一つせず、化粧っけは全くない。
勿論耳飾り等髪飾り以外についても装飾品は一切つけておらず、服は庶民の娘がよく着ている至ってシンプルな物だったが、淡い鶯色が似合っているのか、着こなしが上手いのか、ぼさぼさの一つ束ね髪にノーメイクなのに何故だか品さえ感じられた。
それにしても、ここは開業している人のクラス、医療のプロとして一人前の医師向けのコースである。
白凛が女性初の将軍となり、彼女の存在そのものが西乃国新時代を生きる女性のインフルエンサーとなってはいるものの、伝統的に男尊女卑思考が強い西乃国にあっては、女医も女兵士と同じくらい極めて珍しい存在だ。
そんな性別的にも大きなハンディーがあるというのに、しかも見るからに年少であり、インターン研修であればまだしも、ベテラン開業医クラスに入ってくるなど、間違って入室したのではあるまいかと思ってしまうが、入室には受付が必要なので、間違いなく京安(首都)で開業している女医であった。
”中ノ国でもお目にかかったことのない女医が京安で開業したとは聞いていたが、こんなに年少だったとは、、、”
劉煌は、好奇心からもその娘に目が釘付けになってしまった。
まず彼女は席に着くと同時に持ってきたカバンをさぐり始めた。
すると、彼女の前に座っている若い男の医師の一人が後ろを振り向くと、ニヤニヤしながら彼女に話しかけはじめた。彼女は、カバンから目線を上げ、その男をキッと一にらみすると、その男から目線を外さず、カバンからおもむろにトリカブトをとり出し、無言で自分の机のその男よりの場所に、バーンと派手な音を立ててそれを置いた。
若い男の医師はそれを見ると青ざめ、慌てて彼女から目線を外し、隣の男に肩をすくめて見せた。
「だから彼女に話しかけるのは止めろって言ったろう」
ひそひそと後ろをチラチラ見ながら大の男二人が、小娘相手に小さくなっているのを見て、劉煌は今までのダルな1週間の記憶が吹き飛び、何故か妙に胸がワクワクした。
それも束の間、クラスを始めると、土曜日の研修クラスと同じこと、すなわち自分の受け持ち患者のことすらわかっていない医者がここでも続出した。
すっかり心が折れて、顔つきまでどんどんどんよりしてきた劉煌は、全く期待せず一番最後の彼女を面倒くさそうに次の人と言って前に呼び出した。
彼女はサッと席を立ち、劉煌の方に向かって真っすぐ歩いてくると彼の前1mの地点で立ち止まった。
お粗末な報告を聞き続けてきた為に、妙に疲れてしまった劉煌は、演台に半分もたれかかっていたため、彼の前に立った彼女の顔の高さと、劉煌の顔はほぼ同じ位の高さになり、偶然お互い顔と顔が真正面に向き合うこととなった。
何の気なしに彼女の顔を近くで見ると、ぼさぼさの髪の奥に見えるのは全く化粧っ気のない顔だが、顔の作りはまずまず、、、いや、かなり整っていて、どちらかというと、美容整形の得意な劉煌からすると、目標とする顔に近いというか、むしろ全く整形の必要のない顔立ちと言っていいほどだった。
彼女の顔を見ながら自分の顔がだんだんと火照ってきていることに気づいた劉煌は、すぐに演台にもたれかかるのをやめ、姿勢を正しゴホンと咳払いをして自分を落ち着かせると、上から目線で今までの開業医たちへした質問と同じ質問、すなわち氏名開業場所と年数並びに現在の受け持ち患者の人数・性別及び年齢割合・疾患傾向、その中で指導を受けたい症例等についてを彼女に向けた。
彼女は自分の名前を張麗と名乗った。
他の医師とは明らかに異なり、張麗は見事によどみなく劉煌に回答してきたが、受け持ち患者の性別割合を答えた時、部屋中の医師たちが皆一斉に鼻でせせら笑った。
「ほら、でた!男嫌いの張麗!張麗の診る男は皆既に死んでいる。」
その誰かの一言で、部屋中は、露骨に相手を蔑んだワハハという嘲笑に溢れた。
そんな状況でも、彼女はそれに少しもひるむことなく、毅然とそして静かに、淡々とその後の質問に回答し続け、更に手に持った紙を劉煌に差し出した。
「これが指導を受けたい症例です。」
劉煌はその紙を受け取ると、すぐに目を通し始めた。
それは、診療録だった。
なるほど、その症例は実に興味深く、これは(本当のプロ)何人かで検討すべき症例であると劉煌も思った。
しかし劉煌が驚いたのはそれだけではなく、彼女がその症例に実際行った治療の数々であった。それは古代から現代の医学にとどまらず、東域医学、西域医学だけでなく、今ではその効果が懐疑的といわれてすたれてしまった鍼灸や医療気功等多岐に渡っていたからである。
”こんな若い娘が、どうしてこんなに知っているんだ?”
診療録に目を通しながら、劉煌は無意識に何度も頷きながら、低い唸り声を出していた。
彼女の前の医師までは、一人でペラペラしゃべりまくっていた『小高御典医長』が、診療録を食い入るように読んでいて何も言わないことにしびれを切らした張麗は、内心”前評判は高かったけど、この人も今迄の医者と同じね、男尊女卑で知ったかぶり。師匠とは大違い。”と思いながら、劉煌に挑戦するように声をかけた。
「私の知っている限りの手を尽くしました。小高御典医長、他に何か手立てがあれば是非教えていただきたいのですが。」
張麗の皮肉まじりの言葉に、ようやく劉煌は診療録から目線を外すと、張麗の目をしっかり見て、まず、彼女の医師としてのスタンスを褒めた上で、本症例について、どう見立てたのか、そして何故その治療法を選んだのかについてゆっくりと優しい口調で尋ね始めた。
張麗は、無表情で無駄なく的確に劉煌の知りたい情報を伝えると、劉煌はニッと笑い、目を細めて大きく頷きながら、
「私は、あなたが絶対そう言うと思っていましたよ!」
と診療録を持った左手を自分の胸に押し当て、右手の人差し指を回しながら彼女を指さし、彼女の方に顎を突き出した。
そして、とても嬉しそうに何やら小指を立てて紙にささとしたためると、それを彼女に見せて、
「じゃあ、こういう可能性について考えたことはあった?」と全く嫌味のない素直な笑顔で彼女に聞いた。
張麗は劉煌から紙を受け取り、つまらなそうに一瞥した後、彼女はそれをよくよく見て驚愕した。
それは彼女としてはうかつにも見逃していた部分だった。
今迄無表情だった張麗は目を見開いてゴクリと唾を飲み込んだ。
「それもあるかもしれませんが、、、」そう言いながら張麗の目は泳いでいた。
”この人若いけど、、、女みたいになよなよしているけど、、、今迄会った医者の中でも知識はダントツだわ。師匠と同じ位、あるいはもっとかも。ただ腕が知識について行っているかはわからないけれど、、、”
張麗は自身で診療録をもう一度読み直し、自分の記憶と照らし合わせ頷きながら「この症例は、やせではないのでそれは無いのではないかと思いますが、、、」と一言一言しっかりと考えながらも小さな声で答えた。
「なるほど。そうね。でも、例えば、、、」
「、、、もし、そうだとすると、おっしゃる通りやせでも当てはまります。だとすると夕盞木が、、、」
「そうね。それでそれをどういう剤型、、、」
「通常は煎じますが、、、」
劉煌は本当に興奮していた。勿論嬉しさでの興奮である。
今まで中ノ国の皇宮医院にいた多くの医師たちでさえも、こんなに羽付きのようにポンポンと的を得た返事が返ってくるほど、ディスカッションが白熱したことはなかった。
それからは、その教室はハイレベルな会話の男女と、それについていけない人々とに完全に分断され、嘲笑していた医師たちは皆一様に口をポカーンと開けて、まるで異星人をみるかのような目で二人を見守った。
「あ、あの。。。小高御典医長、もう帰っていいっすかね。」
しびれを切らした他の医師の一人が、劉煌に恐る恐る話しかけた。
劉煌は、ハッとして扉の外を見ると、西日が低く差し込んでいた。
「継続研修は終わりだけど、まだ司法解剖が残っているじゃない。」と、劉煌が滅茶苦茶楽しんでいるディスカッションに水を差した医師に向かって、思いっきり嫌な顔をして一オクターブ下げた声でブスッとそう言うと、
「司法解剖は今まで希望者だけがやってましたけど。」とムッとした声が部屋中から聞こえてきた。
「これからもそれに変わりはないけれど、誰も希望しないの?」と、劉煌が怪訝そうに身体をくねらせながらクラスに向かって言うと、
「希望者はいつも一人いますよ。」と皆が苦笑しながら、それぞれ手を使ったり、目を使ったり、顎を使ったりしながら、張麗を指さした。
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