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第五章 真成

無事政略結婚を回避できた劉煌

しかし、ベビーブーム問題、未だ結果の出ない鉱山の問題等を抱え国内の問題山積なのに、

中ノ国は両国間の不可侵条約案も提示してきて、、、

さらに、翠蘭のこともあり、劉煌の心は乱れ、、、

 翠蘭は少しでも劉煌の負担を減らそうと、インターン研修の合間を縫って、京安唯一の御産婆:朱明との連絡窓口としても奔走していた。


 何しろ妊婦の数が多いので、朱明のところに行ってもなかなか会えず苦労したが、有難いことに朱明がとてもやる気で、忙しいスケジュールの中でも、翠蘭が再度訪ねた時には産科施設案も産婆養成案も既に出来上がっていた。


 朱明は、産科施設の設計図にシンプルな導線を描き、結果、現在稼働待ちの医療施設のように中央が水回り、それを囲むように外側に向かって、数十の産室がぐるっと囲むようなものを提案してきた。


 翠蘭は、これなら後々産科施設が必要なくなっても医療施設として再利用できそうだと思うと、「朱さん、ありがとうございます。これを持ち帰りますね。あと御産婆養成はどうでしょう。」と聞いた。


「それなんだがね、私が教える理論なんて、ほとんどあって無いようなもんなんだよ。妊婦も一人一人みんな違うからね。だから思ったんだけどさ、この前そっちにまだ稼働していない医療施設ってのがあるって言ってたじゃない?うちの代わりにそこに妊婦さんに来てもらって、私が毎月の様子をみたらどうかなと思うのよ。その時に御産婆になりたい子にも一緒に居て貰ってさ。」

「わかりました。設計図と共にそれもお伝えしておきます。」

 なかなかいい案だと思った翠蘭はそう言うと、「それでは、」と言って出ていこうとした。


 ところがそれを朱明が呼び止めると、突然翠蘭に聞いてきた。

「張麗さん、その稼働していない医療施設で、あんた京安の患者さん達を診てやっては貰えないのかね。」


 翠蘭がキョトンとしていると「私が口だすことじゃないとは思うんだけど、みんなのボヤキが酷くてさ。」と朱明は言うと、「では、また妊婦がやってきたみたいだから。」と言って、入ってきた女性を奥に誘導した。


 翠蘭はその場で少し考え込んでしまったが、気を取り直して朱明の家を出ると、すぐに隣の家の扉をノックした。


 給仕が扉を開けると、彼は翠蘭を見て、「あっ、張麗さん。まいど。出来上がっていますよ。だけどこんなに持てますか?」と心配そうに聞いてきた。


 あれ以来劉煌は、周の料理を殊の外気に入って、時々宦官に買いに行かせているのを知った翠蘭は、朱明を訪ねる前に劉煌用に注文していたのだが、いざ注文の段階で、せっかくなら白凛にも食べさせてあげたいし、先日守衛小屋を借りたのにろくに礼もできていない高明にもあげたいと、結局4人前も注文していたのだった。


 翠蘭は設計図を畳んで懐に入れてみせると、給仕に向かって「大丈夫です。ね、これで両手で持てます。」と言って、ニッコリ笑った。給仕はなおも、こんな華奢な女の子が大きな重い手提げ重箱を二つも持てるのかと心配して、「本当ですか?1個はこんな重さですよ。」と言って翠蘭に差し出した。


 それを聞いた翠蘭は、少し不安になり、左手に力を込めてぐいっと持ち上げると、それはなんのことはない、ひょいっと持ち上がってしまった。

 安心した彼女は無意識に、彼女なりのおちゃのこさいさいであるという表現を口にしてしまった。


「なんだ。こんなの全然重くないわ。死体に比べたら。」


 てっきり給仕は自分の聞き間違いと思いながらも「えっ?し、死体?」と聞き返すと、翠蘭は悪びれることもなく普通に、品よくコロコロと笑いながら答えた。


「ええ、私は検死もやっているので男性の遺体も持ち上げなければならないんですよ。」


 自分の聞き間違いではないことに気づき、真っ青になって震えだした給仕に向かって、翠蘭はニッコリと上品に微笑みながら右手でもう一つの手提げ重箱を難なく持って店を出ていった。


 手提げ重箱2つを抱えて銚期門をくぐった張麗は、そこの守衛が高明であると気づくと、彼に話しかけた。「高明さん、この前のお礼にお料理を持ってきました。とっても美味しいからどうぞ。」


 高明は久しぶりに会った翠蘭がとても生き生きとしていたので、「張麗さん、ここで暮らすようになって、ますます綺麗になったね。」と言った。

 翠蘭は全くそのようなことを気にしていなかったので、その言葉に驚いていると、高明はさらにニコニコしながら彼の感想を述べた。

「年頃の娘さんらしくなったよ。良かった。良かった。」


 以前から何故か高明には素直になれる翠蘭は、本当に嬉しくなって彼に答えた。

「高明さん、ありがとう。たぶんここでの生活が楽しいし、充実しているからだと思うわ。」

 ところが高明はそれには反応せず「そうだ。あの若い男の人はどうしたかね。もうすっかり元気かね。」と聞いてきた。


 すると、高明の前に立って皿を出している翠蘭は、とても嬉しそうに輝き「ええ。」と、はにかみながら頬を染めた。

 ”なるほど、彼女も恋をしたのか”と思った高明は「それは良かった。良かった。では、遠慮なくこれを頂こうかな。張麗さん、さようなら。」と告げて皿を抱えて守衛小屋に入っていった。


 翠蘭は銚期門から真直ぐ天乃宮に向かうと、天乃宮の入口を、そこの宦官の一人である長一が履いていた。翠蘭は長一に向かって「すいません、陛下に渡してください」と言ってから、手提げ重箱の中に彼女の懐から出した物を入れ、手提げ重箱ごとそれを彼に渡そうとした。もう天乃宮の宦官で彼女のことを知らない者はいなくなっていたので、長一は背筋を伸ばすと、怪しそうに目を光らせてから、とっても嬉しそうに、「恋文?」とストレートに聞いた。


 翠蘭はまさかそんなことを言われるとは思わず、真っ赤になりながら、「ち、違います。陛下に頼まれていた医療施設の設計図です。なんなら、陛下にお渡し前に長公公が見て確認してくださっても構いません。」とムキになって答えると、長一は明らかに脱力して猫背になると「なんだ、そうなの。つまらない。」と言って本当にとてもつまらなそうな顔をした。


 翠蘭はまだムキになったまま「つ、つまらないってどういうことですか!」と言って唇を尖らせて睨むと、長一もムキになって「何で私が自分の身体の一部を犠牲にしてまで宦官やってると思うのよ。皇宮内のゴシップが面白いからに決まってるじゃない。皇宮ってのは普通、後宮(ハーレム)があって、ドロッドロの愛憎劇があるものなのよ。それなのに、ここの皇帝ときたら仕事ばっかりで、浮ついたこと一つないじゃない。それどころか、ゴシップ天国の後宮までなくしてしまってつまらないわよ!それに後宮がないなら、男の従業員が身体の一部を切る必要なんかないじゃない!私の〇器(おち〇ち〇)を返してほしいくらいよ!」と叫んだ。


 翠蘭は医師なので、長一のマジギレ問題発言もサラッと聞き流せたが、近辺にいた女官たちは騒然となり、中から慌てて宋毅が飛び出してきた。


 宋毅を見た翠蘭はホッとして、彼に「陛下にお渡しください。」と言って素早く手提げ重箱を渡すと、何か言いかけている宋毅を無視して、サッサとその場から離れ友鶯宮に向かった。


『ここの皇帝ときたら仕事ばっかりで、浮ついたこと一つないじゃない。』


 翠蘭は先ほどの長一の言ったこの言葉を思い出し、一人でふふとはにかみながら、友鶯宮の外階段を上がり、扉を開けると機嫌よく「凛姉ちゃーん、ただいま~」と叫んだ。


 その声に、白凛は共有スペースからぬっと出てくると、真面目な顔をして「太子兄ちゃんが呼んでる。」とだけ言うと、何か話そうとしている翠蘭の右腕を鷲掴みにして、キョトンとして手提げ重箱を持ったままの翠蘭に有無を言わさず、そのまま友鶯宮を出た。翠蘭は道すがら何事かと思い「どーしたの?凛姉ちゃん。」と不思議そうな顔をして聞いたが、白凛は両眉をくっ付けたままの顔で、「話は太子兄ちゃんのところで。」とだけしか答えず、翠蘭の腕を取ったままずんずん歩いていった。


 天乃宮に着いた時は、宋毅がまだ翠蘭が渡した手提げ重箱を持ったまま出迎えたので、結局翠蘭が両手に手提げ重箱を抱えて天乃宮の応接間に入っていった。


 白凛は劉煌に向かってお辞儀をすると、ぶっきらぼうに「言われた通り、連れてきたわ。」とだけ言った。


 翠蘭は、何事かと思い左右に目を泳がせながら両手に持った手提げ重箱をしずしずと降ろすと、劉煌に向かってお辞儀をした。劉煌は、何も言わずに手だけで二人に座るように指示すると、「明日一緒に行って欲しいところがあるんだけど。」と言った。


 翠蘭は何と答えたらよいかわからず、白凛の顔を見ると、白凛はきりっとした顔をしていて表情からは何を思っているのか読み取れなかった。


 困った翠蘭は何も答えないでいると、劉煌は今度は翠蘭に向かって「君に会わせたい人がいるんだ。」と言った。翠蘭は何のことかさっぱりわからないので、困ったような顔をしながら「はあ。」と曖昧な返事をした。


 劉煌は、翠蘭の困惑した表情を見て取ると、ふと笑って「大丈夫だ。君が危険になるようなことは無いから。」と説明して、白凛の方を振り向き「お凛ちゃんも警護してくれるし。」と付け加えると、白凛は翠蘭の方を向いて1回だけ縦に頷いた。


 すると劉煌は、まだ翠蘭が返事をしていないのにすっかり一緒に行く気になって、「じゃー、この話はこれで。明日の早朝、馬車を友鶯宮の前に付けるから、お凛ちゃんとそれに乗ってね。ところで、凄くいいにおいがしているけど。」と言って翠蘭の横に来ると、勝手に手提げ重箱を開け、「ああ!周さんのお店のね!手提げ重箱が2つもあるってことは、ここのみんなの分はありそうよね。さ、食べましょ!食べましょ!」と言いながらお皿をどんどん出していった。


 そしてその中に丸めた紙があるのを見つけると、「これはなに?」と聞いた。


 翠蘭はお辞儀をすると「陛下、それは、朱さんからお預かりした産科施設案です。」と答えた。


 劉煌は、箸を咥えながらその紙を広げ、しげしげとその紙を見ながらニヤリと笑った。

「うん。あの御産婆さんも只者じゃないわね。いい感じじゃない。」


 翠蘭はそれに「はい。出産ラッシュが終われば普通の医療施設として使用できますし。」と言うと、白凛をチラっと見てから劉煌に視線を戻して「ところで、陛下、私の仕事ですが…」と始めた途端、立て板に水のごとく「その話は今度。」といつになく厳しい顔をして劉煌は翠蘭の話を遮った。


 いつもと違う劉煌に当惑しながら翠蘭は「あ、はい。」と言って寂しそうに俯いた。


 白凛は、そんな劉煌と翠蘭を交互に見ながら、心の中で大きなため息をついていた。


 ~


 劉煌がチラッと横を見ると、百蔵は、またもう気づいたとうんざりした顔をしてから、ブツブツ文句を言った。


「もう皇帝になったんだから、もっと皇帝らしくしなよ。まず屋根の上から様子見るんじゃなくてさ。」


 劉煌はそんな百蔵を無視して、どかした屋根瓦の部分から下を覗き続けた。


 百蔵は、はあとため息をつくと「決心はできたのか?」と聞いた。


 劉煌はそれも無視してジッと中の様子をうかがっていると、百蔵はやれやれという顔をしながら胸の前で腕を組んで、「そうやって下を見てたって何も始まらないよ。相手と話さないと。」と言って、劉煌を促した。


 劉煌は百蔵には言葉では答えず、どかした屋根瓦を元に戻すと、無言で隣の木に飛び乗り、音もたてずに地面に飛び降りると、おもむろに建物の玄関の方に歩いていった。


 それを屋根の上から見ていた百蔵は、思わず心の中で”あの技、全く、皇帝にしておくのは勿体ないねー”と呟くと、彼自身も夜の暗闇の中に消えていった。


 劉煌は、部屋の前で座っていたお陸を見ると、目で下がるように指示した。


 お陸は無言でそこから消えたが、万一に備えて劉煌の様子が見えるところにいることは劉煌も承知していた。


 劉煌はしばらくそこでジッと立っていたが、やおら仮面をつけると「ごめん」と言って襖を開けて入り、座っている男に「張浩先生か?」とその場の空気が凍ってしまうかのような冷たい声で聞いた。


 銀髪でやつれた顔をしたその男は、それには答えず片手を床に着くと顔だけ上げて口を開いた。

「本当に蘭に会えるのか?」


 劉煌は無言で部屋を進み上座に座ると、「蘭とは誰かね?」と聞いた。


 その言葉に男は劉煌から目線を逸らし、両手の拳を握りしめてそれに答えずにいると、劉煌は、ふっと苦笑してから懐から簫翠蘭の姿絵を出すと、「あなたが張浩先生なら、この女性をあなたに会わせたいと思っている。もう一度聞く。あなたは張浩か?」と聞いた。


 それでもその男は口を一文字に結び、だんまりを決め込んでいると、劉煌は、姿絵を自分の目線まであげてから、愛おしそうにその姿絵を手でなぞりながら話し始めた。

「この女性は私のとても大切な人だ。彼女に危険が及ぶなら私は自分の命も顧みないし、相手が誰であろうと殺すだろう。だから、あなたが誰なのか答えてくれないなら、彼女に会わすわけにはいかない。」

 そしてそのまま席から立ち上がった劉煌を見て、男は、手をあげて「ま、待ってくれ。」と言うと、「あなたの言う通りだ。張浩だ。」と言ってから、両手を床につけガクッと項垂れた。


 劉煌は座って張浩の手を取ると、今度は打って変わってぐっと思いやり溢れる声色で語りかけた。

「張先生、遠いところまで来ていただき感謝している。あなたと私の想いは同じだということがよくわかったよ。私も彼女を守りたいのだ。明日の朝、彼女をここに連れてくるよう命じてある。私の最も信頼する腕利きにね。だから、今晩は安心して休まれるがいい。もう随分と長い間心配で夜もろくすっぽ眠れていなかったんだろう。」


 その言葉に驚きのあまり茫然としている張浩をその場にしっかりと座らせると、劉煌はそのまま部屋を出ていった。



 劉煌は、砂浜に座って真っ黒な海をボーっと眺めていた。


 夜目が利く劉煌は、いつもなら一筋の光すら無くても全てお見通しのはずなのに、そこにあるはずの砂浜も海も空も、自分の涙のせいで、全てが真っ黒で、境界線が曖昧となり、何が何だかわからない。


 ただ磯の香と海から打ち寄せる波が砂を巻き込むザーという音だけが、ここは海だと劉煌に教えてくれていた。


 ”朕は何て馬鹿なんだろう。なんで、彼女を張浩に会わせるんだろう。下手をすると彼女を永久に手放さなければならなくなってしまうのに。”


 ”でも時折彼女が見せるとてもとても悲しそうな顔を見ると、自分の過去を見ているような気になっちゃうんだ。あんな悲しそうな顔をさせたくないって思っちゃうんだ。”


 いつの間にか劉煌の頬には涙が流れてできた筋が幾筋もできていた。


 そこに初冬の冷たい海風が容赦なく吹きつけ、いつもお肌の手入れに余念のない劉煌の顔も、厳しい自然環境には逆らえずガビガビになってしまった。


 そうなると劉煌の顔は見た目だけではなく、本当は酷く痛くなっているはずなのに、それでも劉煌は自分の心の乱気流の方に巻き込まれてしまって顔の痛みにさえ全く気づかなかった。


 あの、いつでも美容に気を使い、手鏡で自分の姿のチェックに余念のない劉煌が、初めて内も外も取り乱したのだった。


お読みいただきありがとうございました!

またのお越しを心よりお待ちしております!

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