第三章 模索
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長屋の人々は口々に張麗が居なくなることを惜しがっていたが、(呼びもしないのに)引っ越しの手伝いに来たのが、あの”小高蓮”であるのを見ると何故か全員が納得して、皆が引っ越しを快く手伝ってくれた。
最後に張麗が全員にお別れの挨拶をすると、皆口々に「張麗さん、お幸せに!」と言ったので、そこで初めて皆が大誤解をしていることに気づいた張麗は大慌てで「私は、研修医を指導する指導医になるんです。私的なことではないですから。」と訂正した。
それを聞いた呂夫人は、すかさず「ほら、返しな。」と言って、呂葦に向かって手を出すと、彼は「まだわからないじゃないか。」と言いながらも、渋々お金を夫人に渡した。
それを見ていた劉煌は、呂夫妻とはすっかり仲良くなっていることもあり、「えっなに?なに?」と呂夫人に聞いてきた。
呂夫人は、劉煌に小声で打ち明けた。
「うちは夫婦で賭けをしていたのよ。張麗さんがあなたと結婚するかって。私は”しない”に賭けてたの。」
劉煌は思いっきり嫌な顔をして、憤慨した。
「それはあなた負けるわよ。私は彼女と結婚するもの。」
彼は高々とそう宣言し、ふふんと言って顎を上げて彼女を見下ろした。
呂夫人は、それを鼻で笑って説明した。
「私が言ってるのは、『張麗さんが』あなたと結婚するのかってこと。あなたが張麗さんと結婚とは言ってないわよ。」
劉煌はムキになって「何が違うのよ。」と返した。
「当然違うわ。あなたがそれを望んでいるのは、そこの猫だってわかるわよ。私が言いたいのは、彼女|《・》が《・》それを望むかってことよ。」
この言葉に劉煌は今迄のお祭り気分が吹っ飛んで、ハッとすると真剣に呂夫人を見た。
「へえ、この意味、わかったの。まあ、せいぜいパワハラ、モラハラ、アカハラにならないよう頑張って。」
呂夫人はそうくぎを刺すと、劉煌の背中を押して、彼を張麗の方に歩ませた。
~
その日、中ノ国の京陵に久しぶりに訪れたお陸は、至る所に自分の姿絵を見つけてぶっとんでいた。
幸いつば長の帽子を深々と被っていたこともあり、その姿絵を一緒に見ている人たちそは、そこで一緒にその姿絵を見ている小柄な女が、情報提供者に金貨1万両などというとてつもない金額がついている人物その人とは思ってもいない。
”こんな馬鹿なことに、こんな浮世離れした金額をつけるのは、この世でたった一人。。。”
目を細めてもう一度しっかとそのお尋ね書きを読み直すと、お陸はほとほとゾロンのしつこさにあきれ返ってしまった。彼女は京陵でするはずだった用事をあっさり断念し、そこで踵を返すと、元来た道を今朝とは違って腰をかがめ、うんこらせと呟きながらトボトボと歩いて行った。
途中の人気が無くなったところからくノ一モードに切り替えて、山奥に戻ってきたお陸は、そこでまた思いっきり顔をしかめた。
「ちっ。百蔵め。よっぽど仕事が無いんだろう。まったくろくでもないったらありゃしない。あたしを売ろうなんて100万年早いんだよっ!」
そう独り言をぶつぶつ呟きながらも、次の瞬間にはその辺り一帯から彼女の姿は忽然と消えていた。
そして、そうとは知らない百蔵がお陸の家の屋根の上で、お陸が帰ってくるのをいまかいまかと待っている時、遠く離れた西乃国の首都京安では、西乃国皇宮内のリニューアルされた建物の前に馬車が横付けされていた。
「ここよ。」と言われて馬車を降りた張麗が上を見上げると、そこには高床式の”友鶯宮”と名前のつく大きな建物があった。
張麗がチラッと見る限り、この友鶯宮だけで、今迄暮らしていた長屋群全体の少なくとも倍はありそうだった。
周囲を見渡しても、建物が見当たらないことから、張麗は目を丸くしながら呟いた。
「ここが女官さん達の宿舎なんですか?随分立派なんですね。」
「当然違うわよ。」劉煌は何を言っているのかという顔をして張麗を見つめた。
「では、ここは?」と張麗が訝しがって聞くと、劉煌はさらに”はあ?度”の”ましまし”になった顔で答えた。
「あなたの住まいよ。」
その回答に張麗は文字通り飛び上がって驚くと、今度は真っ青になって震え始めた。
「ま、まさか、皇帝陛下は私を囲うおつもりなのですか。」
”劉煌殿は私のことなど知らないはずなのに、、、”
それを聞いた皇帝でもある劉煌は、酷くプライドを傷つけられ瞬時に叫んだ。
「そんな訳ないでしょ!失礼ね!」
彼はプンプン怒りながら続けた。
「女官たちの宿舎にあなたを入れたら、即刻餌食になるからよ!」
そう叫びながら友鶯宮の外階段を上って行った彼は、張麗がついてきていないのがわかると、階段の途中で止まり「急いでるんだから早くして!」と張麗の方に向かって唾を飛ばしながら不機嫌に叫んだ。
張麗は、なぜ彼がここまで怒るのか皆目見当がつかなかったが、彼に言われて慌てて階段に向かって走っていった。
友鶯宮の中におずおずと入ると、ますます内装から調度品から、どう見ても妃仕様としか思えない仕様に張麗は面食らいながら、
「小高御典医長、この建物、どう見てもやはり御妃様用の建物にしか見えませんが…」と心配そうに劉煌に聞くと、彼は、見るからにもっと不機嫌になって
「大丈夫よ。皇帝はそういう気は全くないから。だから旧後宮のほとんどは、西乃国復興プロジェクトで今切り離し中よ。」とぶっきらぼうに答えた。
その回答に驚いた張麗が、慌てて劉煌に確かめた。
「こ、後宮をなくすって、それ、皇帝陛下はお妃をお娶りになる気は無いってことですか?」
「当然よ!国がこんな状態で、そんな暇なんてないわよ!」
まるで自分に言い聞かせるかのように劉煌は彼女に答えた。
しかし、この時のこの一連の会話が後々大きな誤解を産むことになるとは、劉煌は知る由もなかった。
その日の晩、荷をほどき終わり、遅い夕食を賄いで取ろうと友鶯宮から出てきた張麗は、階段を降りたところでバッタリ梁途に出会った。
勿論梁途的にはバッタリではなく、ずっとうかがっていたのであるが、、、彼は両手を後ろにして、ゆっくりと張麗に近づくと、
「この前は大変でしたね。お怪我はなかったですか?」
と心配そうに、でも梁途にしては最大限自分の中の李亮のクールさを出して自分史上最高にカッコつけて聞いた。
しかし無念にも、張麗はそれに全く気づくことはなかった。
彼女は、礼儀正しく患者の家族に対するいつもの態度で頭を下げた。
「はい。驚きました。でも白将軍に助けていただきまして、無事でした。それより、お母さまの件、急に主治医を止めることになってしまって申し訳ありません。」
梁途は、頭を下げている彼女を起こすと
「その件ですが、私は、禁衛軍統領なので、」と、統領の部分を強調して言ってから、「母も靈密院にかかれるんです。是非今後も先生に診ていただきたいと母も申しております。」と言って、張麗に軽く会釈した。
張麗は残してきた患者だけが気がかりだったので、嬉しそうに答えた。
「それは良かったです。私は午前中なら拝見できます。再来週の火曜日、朝10時に靈密院にいらしていただけますか?」
「私が責任をもって連れて参ります。」
間髪入れずにもっと嬉しそうな顔をして梁途はそう言うと、すぐに彼は後ろの手を前に回し「お引越しおめでとう。」と言って花束を彼女に差し出した。
張麗は突然のことで仰天したものの、いりませんと言って突き返すのも子供じみているかと思い、「ああ。ありがとうございます。」と言って花束をささと受け取ると、外に出てきた用事を無視してすぐに踵を返し、階段を一気に登って一度も振り返ることなく友鶯宮の扉を固く閉じた。
このやり取りを、張麗が心配で、その日の夕方、仕事が終わってから食事もとらずに草葉の陰からずっと友鶯宮を伺っていた劉煌が、一部始終目撃してしまったからさあ大変である。
張麗と話していた同じ場所で、彼女がいなくなっても、いまにもセレナーデを歌いだしそうな勢いでずっと友鶯宮を見上げている梁途の横にズカズカとやってくると、劉煌は梁途の胸を指でズンズン刺しながら「あんた、朕に宣戦布告する気っ!」と言って睨んだ。
二人の身長差は殆ど無いことから、お互いに真直ぐの目線で睨み合いをすると、梁途は、
「ああ。」
と低い声で一言だけ言った。
「馬車番変わったのも”これ”のせいか!」歯ぎしりしながら劉煌がもっと低い声で言うと、
「でなきゃ、誰があんなことするもんか!」
この件については、自分に分があると信じて疑わない梁途は一歩も引かない。
「だからあんな馬車の走らせ方したのか!」
「そうだとも!それが何か?!」
そう言いながら、二人はお互いの首を後ろから絞め合い続けて、大騒ぎしながら天乃宮の方に向かっていった。
~
「なにやってんのよ、いい年した男が二人で。」
天乃宮の応接間に入った途端、白凛からの辛辣なコメントの洗礼を浴びた二人は、ようやくここでお互いの首から手を放した。
そう言いながらも白凛は、一応劉煌には丁寧にお辞儀をし、梁途には白い目をお見舞いした。
「お凛ちゃん、なんでここに?」
白い眼をもろともせず梁途がそう聞いて、劉煌との確執をはぐらかそうとすると、白凛は梁途は無視して劉煌に言った。
「全部で5人だった。」
劉煌は、これだけで白凛が何を報告しているのかわかると、千人単位でいるはずの女官・宮女を1週間もかからずに全員調べ上げた白凛に脱帽しながら聞いた。
「よく、そんなに早くできたな。」
「太子兄ちゃん、女の敵は女なのよ。褒美付きの密告制にしたら、まあ出るわ出るわ。最後は隼を含めて怪しい女達に太子兄ちゃんの自白剤を飲ませて確認した。」
それを聞いた劉煌は、頷きながら言った。
「それならそれでまず間違いないだろう。これで火口衆を皇宮から一掃できる。ありがとう。」
「それにしてもなんで火口衆が皇帝の動向を他者に漏らすのよ。逆じゃない。」
白凛は憤慨しながらまだいいと言われていないのに、馬蹄糕に手を伸ばした。
「劉操の時代、初期は確かに劉操の配下だった、、、いやつい最近もそうだったのにな、、、」
劉煌は、百蔵が火口衆から狙われていたことを思い出しながらそう呟いた。
「きっと蒼石観音のせいよ。見つけられなかったから火口衆はことごとく劉操から処分されて、残ったのはくノ一だけだったって聞いたわ。」
白凛がそう言った途端、劉煌は真っ青になって「なんだと!?」と叫んだ。
これには今まで会話に入らず、やはりまだいいと言われていないのに一人で食事をしていた梁途が、驚きのあまり箸でつまんでいたピーナッツをポーンと飛ばしてしまった。
そのピーナッツを皇帝ともあろうお方がお口でキャッチすると、それを嚙み砕きながらなぜ劉操が蒼石観音のことを知っていて、しかも躍起になって探していたのかと彼は不安に思った。
もう故人とはいえ、この3か国の皇帝が千年もの間、皇太子にだけ渡してきた情報が彼に洩れてしまったために、この機密中の機密情報を白凛までが知ってしまったとは。
ピーナッツを咀嚼するように考えを咀嚼した劉煌は白凛に尋ねた。
「お凛ちゃん、蒼石観音の何を知っているんだい?」
白凛はこれで4切れ目の馬蹄糕を口に入れながらさらっと答えた。
「それで中ノ国にいる西乃国の龍を呼び起こせるって、中ノ国の皇帝から聞いた。」
「!?はあ?」
”中ノ国の皇帝が、ありえない。でも、、いや待てよ。彼がそれを漏らして万蔵頭領も百蔵さんも命を狙われたんだった、、、それにしても自分の間者まで口封じしようとするような情報を敵国に渡すか?”
そう彼が疑問に思っている時に白凛は馬蹄糕をゴクンと音を立てて飲み込むと「劉操が脅したからね。皇太子が結婚した日に中ノ国の皇宮内で皇帝を待ち伏せして襲ったのよ。蒼石観音とは何ぞやってね。」と劉煌に教えた。
劉煌はそれでなぜ中ノ国の皇帝が皇太子ご成婚後すぐに脳卒中の発作を起こしたのか、ようやく理解できた。
「なるほど、、、そりゃ脳卒中起こすわ。なあ、お凛ちゃん、今それさらっと口にしたけど、それは千年もの間、ずーっと国家機密中の機密なんだよ。だからもう決して蒼石観音や龍に纏わることは口にしないでくれ。」劉煌がそう言うと白凛は不満そうに言った。
「そんなこと、聞かれたって言わないわよ。だけど秘密にしておく必要はもうないんじゃない?だって太子兄ちゃんは中ノ国にいた西乃国の龍を呼び起こしたんだし。蒼石観音もお役御免なんでしょ?」
”朕は問題ないが、他の二か国にとっては大問題なんだ!って言えないし、、、”
「それでもだ。二度と口にするな!これは勅命だ。梁途も同じだぞ!」
いつもとは違う真剣な劉煌の口ぶりから白凛は、ハッとして掴んでいた馬蹄糕を皿に戻すと「御意。」と言って跪いた。それと同時に梁途も箸をテーブルに置いて跪き「御意」と誓った。
劉煌は二人の腕を持って立たせると「君たちの命を守るためだ。わかってくれ。」と悲痛な声で囁き、今までしたことのないほど恐ろしく真面目な顔をして彼らを見つめた。
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