第三章 模索
9歳で祖国を追われた劉煌は、22歳で国を取り戻した。
しかし、祖国は以前のような秩序だった国ではもはやなく、今度は国の立て直しという使命が彼を待っていた。
彼の初恋の人である小春が暇を持て余しているのとは裏腹に、彼は祖国復興のため脇目もふらず日々皇帝として邁進していた。さらに、祖国の政治だけでなく医療もお粗末になっていると気づいた医師としても一流な劉煌は、ひょんなことから自ら御典医長も兼務することになり、仮面をつけている時は皇帝、素顔の時は御典医長の小高蓮と、二重生活を送ることに。そんな余裕のない彼の前に皮肉にもそういう時に限って運命の女性が現れる。
果たして、劉煌は祖国を復興できるのか、そして彼の恋の行方はいかに。
登場人物の残忍さを表現するため、残酷な描写があるのでR15としていますが、それ以外は笑いネタありのラブコメ
金曜日の午後、いつものように靈密院に向かっていた劉煌は、医院に着くと、すぐに客が来ていると言われた。
劉煌が言われた通り客がいる方を向くと、そこには法捕司丞の秦卓が立っていた。
彼は、お辞儀をしてすぐに口を開いた。
「小高御典医長、急にお尋ねして申し訳ございません。私は、法捕司丞の秦卓です。実は御相談事がございまして。あの黄敏の一件なのですが。」
劉煌は、黄敏という名前を聞いただけで気分を害しイラっとしながら聞いた。
「もう有罪は決まったことじゃないの?」
「張麗襲撃事件はそうなのですが、妊婦殺害容疑の方で、ご相談が、、、」
職業柄相手の出方に全く影響を受けない秦卓は、劉煌の応対にもひるむことなく事務的に彼は話を進めた。
劉煌は、渋々御典医長室に秦卓を連れていくと、秦卓に座を勧めることもなく自分だけさっさと座りすぐに鏡を見て髪の乱れを直し始めた。秦卓は、相変わらずそれにひるむことなく早々に「実は、先日こちらで検死していただいた身元不明死体が妊婦だったので、気になりまして。」と始めた。
髪の乱れはとっくに直っているのに劉煌は、今度は鏡に向かって顔を上下左右に動かしてチェックしながら「医学的にわかったことは、きちんと報告書で出したでしょ?」と不機嫌そうに答えると、秦卓は今度はうって変わって言いにくそうに「はい、そうなんですが、例えば、、、致命傷から鈍器の大きさや重さなどを推定いただくことは可能でしょうか。」と言った。
劉煌はようやく手鏡を机の上に置くと、一応残念そうに「してあげたいのはやまやまだけど、でも、もう遺体は無いから検証は無理よ。」と答えた。
ところが、さすがに百戦錬磨の法捕司の役人だけあって、秦卓は「法捕司にしゃれこうべだけは保管してありますが、それでも無理でしょうか?」と言って粘った。
皇帝の御典医長と法捕司丞がお互いに鋭い目つきで睨み合い、御典医長室の室温が一気に下がった。
トントン
その時その緊張を解くかのように御典医長室の扉を誰かがノックした。
劉煌は、秦卓から目を逸らさず「誰だ?」と言うと、「小高御典医長、時間ですが…」という申し訳なさそうな声が外から聞こえた。相変わらず劉煌は、秦卓から目を逸らさず「わかった。すぐ行く。」と外に向かって返事をすると、「秦殿、時間だ。」と秦卓に冷たい声で言った。
その日の晩、劉煌は、項垂れながら張麗の家にやってきた。
張麗が連日の小高蓮の訪問に困惑しながら「どうしたんですか?」と聞くと、彼は子供が母におねだりするような目で「今日、法捕司の奴が訪ねてきたのよ。」と始めた。そして、勝手に患者席に座り、さらにおねだりモードで続けた。
「前に司法解剖した症例の凶器特定に協力できないかって言うのよ。もう、1か月以上前の症例だっていうのにさ。」
そう言うと、両手の指先をこすり合わせながら、はああとため息をついた。
「あなたなら何か他に覚えているかなと思って。」と、懇願するように彼が付け加えて言うと、張麗は、礼儀正しく彼にお茶を出しながら、彼女もため息をついて「遺留品と共に法捕司に提出した内容が全てですね。お役に立てず残念ですが。」と残念そうに答えた。
お茶が出たことにそれまでとは打って変わって機嫌がよくなった劉煌は、いそいそと湯呑を口に運びながら彼女に愚痴った。
「そうよね。私もそう言ったんだけど、秦卓って奴がしつこくて。頭蓋骨はあるから、それから何かわからないかって聞くのよ。全く素人はこうだから困っちゃう。」
「頭蓋骨はあるんですか?」
張麗はその言葉に頭を上げて、驚いたように聞いてきた。
「未解決だからじゃない。」劉煌はそう言ってようやくお茶を口に含むと、うっとりとした顔をして、「本当にあなたのお茶は心に沁みるほど美味しい。」と呟いた。
しばらく、お茶の余韻にうっとりとしていた彼は、ふと顔を上げると、彼女は元の席にはおらず、本棚の前に立っていた。
劉煌は慌てて湯呑みをテーブルの上に置き、本棚の方に向かって歩きながら、「どうしたの?」と彼女に声を掛けた。彼女は、「確か、持ってきていたと思ったんだけど。」と呟きながら、パラパラめくっていた本の3冊目で、「あっ、これ、これ。」と言って、嬉しそうに彼の方に振り向き、彼に本を手渡した。彼は「何これ?」と言いながら、渡された本をペラペラめくり、その中身に気づいて仰天した。
「頭蓋骨から復顔?!」
信じられないように彼が叫ぶと、彼女は涼しい顔で、
「ええ、私の師匠が編み出した技です。粘土があれば、私もできると思います。確か、報告書に傷のことも計って書いたはずだから、それでその時の傷の状況も正確に再現できると思います。そこに何が当てはまるかは法捕司の腕の見せ所だと思いますが。」と、劉煌ですら聞いたことのないことをさらっと答えた。
”君は本当にいったい何者なんだ。それに、何で命を狙われているんだっ!”
そう心の中で叫びながら劉煌は、御典医長モードで彼女に伝えた。
「じゃあ、悪いけど法捕司に協力してくれるかしら。法捕司から必ず報酬を出させるから。」
それに彼女はいとも簡単に「いいですよ。明日の午後は休診にして法捕司に行きます。」と、まるで往診に行くかのように軽く返事をした。
「法捕司に準備させておくのは、粘土とへら位かしら?」
「ええ。」
「用意させとく。」と言ってから、「じゃあ、食事に行こうか。」と彼はいつものように彼女を誘った。
張麗は今日彼と食事に行くと、これで三日連続で一緒に夕食を取ることになるため、さすがに、「今日は、、、ご遠慮しておきます。」と辞退した。
劉煌は、もう一緒に行く気でいたので、彼女の体調が悪いのかと誤解し「えっ、調子良くないの?」と言って、彼女の前に駆け寄ってきた。
「いえ、そういう訳ではなくて…」と、彼女がうつむきながらお茶を濁すと、彼は本当に心配そうな顔をして真剣に「脈を見せて。」と手を差し出してきた。
「あ、そういう訳ではなくて、、、連日外食だと調子が狂うので…」と、腕をひっこめながらしどろもどろに張麗が答えると、彼は「なーんだ。それなら私が作ってあげる。」と言うや否や、あっという間に外に飛び出していった。
張麗は、呆気にとられながら、小高御典医長が「作る。」と言ったのは、自らの空耳に違いないと思っていた。
ところが、しばらくすると、やけに中庭が騒々しくなった。どうも同じ長屋群に住んでいる夫婦達が次々と家から出てきているようだった。
張麗も何が起こったのかと思って外に出てみると、なんと、帰ったと思っていた小高蓮がたすきを掛けて、近所の奥さん連に溶け込んで、ぴーちくぱーちくしゃべりながら、水場で大根を洗っているではないか。
張麗が自宅前の扉の所で目を飛び出して驚愕していると、それに気づいた隣の奥さんが彼女の横にやってきて「麗ちゃん、あなたも隅に置けないねぇ。男嫌いっていいながら、彼、めちゃくちゃハンサムやん。」と張麗を肘で何度もつついた。
それでも頭が真っ白になっている張麗は何も答えられずにただ茫然としてその場に立ちつくしていた。
すると、水場の野菜洗いが終わった向かいの住宅の奥さんも張麗に気づいて、わざわざ彼女の方に野菜を抱えながらやってくると、
「先生、あの人絶対買いよ!聞いたら、御典医長だって言うじゃない!しかも凄いハンサムで、背も高いし。その上、料理まで作れるなんて、あんないい人いないから!!絶対逃しちゃダメよ!」
と、野菜を抱えていない方の手でガッツポーズをして彼女に目くばせし、調理場に走って行った。
ようやく張麗が自分のことを凝視しているのに気づいた劉煌は、しゃがみながらたわしを持った手を高々とあげて「もうちょっと待ってて。五目豆腐を作るから。後は何食べたい?」と彼女に大声で聞いた。
それを聞いた彼女は、恥ずかしさのあまりくるっと向きを変えると、自分の家に飛び込んで、ピシャリと扉を閉めた。その張麗のリアクションに、劉煌は、ちょっと寂しそうに、両肩を大きくあげて首をすくめると、洗った野菜を掴んで調理場に向かい、気を取り直して手際よく食材を切り出した。
にんじん、大根は薄くひし形に切り、しいたけはいしづきを切って全てうすくスライスした。次に白菜と青梗菜はざく切りにし、豆腐は1cmの厚みで色紙切りにしていった。最後にねぎとしょうがをみじん切りにして、それを一気にアツアツに熱された中華鍋の油に投入すると、辺り一面に、薬味が高温の油の中で踊るヂャーという音と香ばしい匂いが広がった。
張麗の長屋の住民は、ホ~と言いながら、火の通りにくい食材からどんどん鍋に入れていく彼の調理を見守っていると、彼は、洗い場の時と同じようにペラペラ喋りながら、手慣れた手つきで中華鍋を振った。
彼は酒瓶の蓋を大胆に咥えて取ると、瓶の口を親指で少々塞ぎながら鍋の中に酒を振り入れ、そのあとはちみつに塩と醤油、隠し味程度の酢を入れて張麗好みの薄味に味付けすると、先ほど仕込んでいた鶏のスープをたっぷりその中に注いだ。最後に水溶き片栗粉を鍋の淵に沿って円を描くように注ぎ、お玉の背でトロミが均等になるようにガーッとかき混ぜた。
彼は大量に作ったおかずを同じ長屋の全ての人におすそ分けして、残った3人前位の量のおかずとお粥とスープを持って、張麗の家に向かった。
彼女の家の扉はピタっと閉まったままだった、が、これに怯むような軟な劉煌ではない。
ノックの返事が無いまま扉を開けて「お・待・た・せ♡」と言うと、いそいそと出来上がった料理をテーブルに並べた。
張麗は部屋の奥の簡易竈にもたれかかって彼の方を見ていた。そんな彼女に向かって劉煌が「さ、冷めないうちに召し上がれ。胃の負担を減らすために、生姜をきかせといたわ。お口に合うといいけど。」と言って、粥とスープを注ぐと、張麗は黙ったまま彼の方に近づいてきた。
彼女は自分の椅子に腰掛けると「いただきます。」と言って、差し出されたスープを飲んだ。
「どお?」と劉煌は急に彼の作った物が彼女の口に合うか心配になってそう聞いた。
彼女はとても寂しそうに微笑んで「美味しい。」とだけ言った。
そして、黙々と並べられた料理を食べた。
彼女が何もしゃべらないので、食事中は劉煌がずっと、先ほどの洗い場で聞いてきた話をしていた。
しばらくして、彼女は「小高御典医長はお料理も上手なんですね。」と静かに言った。
ようやく話しかけてくれたことに嬉しさを隠せない彼は「美味しかった?なら良かった。うちは料理は当番制だったから。」とポロッと言ってしまった。
「当番制?」
怪訝そうな顔で張麗が聞き返した。
劉煌はどう話を持っていくか考えながら「そうよ。私は、、、」と言ったものの、答えに窮してうつむいてしまった。
”ま、この程度のことなら話して大丈夫だろう。。。”
しばらく沈黙していたもののようやくこう結論に達した劉煌は、顔をあげて「私は、みなしごだったのよ。」と白状した。
しまったという顔をしている張麗に気づかないふりをして、彼は続けた。
劉煌は、手を上下に振りながら、
「それが、拾ってくれたのはいいんだけど、そこはナント尼寺だったのよ!だから周りは皆女の子ばかりで、こういう風に育っちゃったのよ!」と言うと、今度は手を振るのをやめて小指を立てて唇の横に持って行き、ポーズを決めた。
「でも、悪い事ばかりじゃないわ。こうやってお料理だって全部できるようになったし。お経だって、そんじょそこらの坊主に負けないくらいあげられるわ。」と、得意そうに言ってから、初めて張麗を見た。
劉煌の告白を聞いた張麗は、しばらく黙っていた。
彼から見ると、彼女は何かとても考えているようだった。
すると、しばらくして彼女は口を開いた。
「昨日拝見させていただいた感じだと、もうお身体すっかりいいと思います。お食事もこれだけご自身でできるなら、外食せず、ご自身でお作りになっていただければ、それが一番の薬です。もうこちらにいらっしゃる必要はありません。」と静かに、でも小高蓮の目をしっかり見て、笑みを浮かべずにそう言った。
二人はしばらく黙ったまま静かに見つめ合っていたが、張麗が先に目をそらしてうつむいてしまった。
うつむいた彼女を見て感極まってしまった劉煌は、いつものような辺り一面に響き渡るような大きな声ではないが、力のこもった声で彼女に告げた。
「私と結婚してくれないか。」
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