第三章 模索
9歳で祖国を追われた劉煌は、22歳で国を取り戻した。
しかし、祖国は以前のような秩序だった国ではもはやなく、今度は国の立て直しという使命が彼を待っていた。
彼の初恋の人である小春が暇を持て余しているのとは裏腹に、彼は祖国復興のため脇目もふらず日々皇帝として邁進していた。さらに、祖国の政治だけでなく医療もお粗末になっていると気づいた医師としても一流な劉煌は、ひょんなことから自ら御典医長も兼務することになり、仮面をつけている時は皇帝、素顔の時は御典医長の小高蓮と、二重生活を送ることに。そんな余裕のない彼の前に皮肉にもそういう時に限って運命の女性が現れる。
果たして、劉煌は祖国を復興できるのか、そして彼の恋の行方はいかに。
登場人物の残忍さを表現するため、残酷な描写があるのでR15としていますが、それ以外は笑いネタありのラブコメ
その晩、張麗は寝床で横になったものの、賊に襲われた恐怖と小高蓮の腕の中にいた高揚感で、一睡もできなかった。
”あと1年もないのに......”
”まさかこの期に及んで、本当に男を好きになってしまうなんて......”
”どうしよう......”
”どうしたらいいんだろう......”
そんな彼女をあざ笑うかのように無情にも日はまた昇り、張麗は、一睡もできなかった寝床からやおら起きだした。
彼女は何も考えずにいつもと同じ順路でまず顔を洗うと、顔も拭かずにたらいの乗ったテーブルの脇を両手で掴んで身体を支えるようにしてその場に立ち尽くした。
顔から水が1滴、2滴とこぼれ落ちては、たらいの中の水に波紋を広げていく様をボーっと眺めながら、彼女はまるで自分の心をたらいの中に見ている気がした。
いったいその状態でどのくらいいたのだろうか、外から扉を叩く音と共に、聞き覚えの無い男性の声で「張麗さん、張麗さん、開けてください。法捕司の者です。」と言っているのが聞こえた。
彼女は慌てて顔を手拭いで拭くと、髪をなでつけながら扉に向かった。
彼女が扉を少しだけ開けると、そこには、確かに法捕司の赤い制服を着た男が立っており「張麗さん、昨晩の賊について今日の午後から公判が開かれます。被害者として出廷いただきたいのですが。」と非常に事務的に言った。
彼女は、とても嫌な顔をして「証人として出廷しても意味がないのではないですか?私、賊の顔を見たんです。前も襲われたけど、無罪になりました。」と告げると、先ほどとは変わって彼の方はとても困った顔をして「それでも被害者なので出廷いただかないと公判ができませんので。」と困惑気に語った。
結局張麗は渋々行くと返事をしたものの、診療が長引いたこともあって、公判の時間を過ぎてもまだ家にいた。
すると、突然荒々しく彼女の家の扉が開き”小高蓮”が息を枯らしながら入ってきたかと思うと「すぐ法捕司に行くのよ!」と叫んで、彼女の手をむんずと掴みそのまま走り出した。
法捕司に着いた時には、ちょうど王政が、皇帝からの聖旨を読み上げていて、黄敏と彼に雇われた者たちが項垂れて座っていた。
皇帝からの聖旨は、黄家に出ていた永代無罪放免の聖旨を無効とし、これからは法に則って公正に裁きを行うという内容だった。
全く予想外の展開に、張麗が口を開けて驚いていると、王政は、すぐに彼女に昨晩の出来事を質問し始めた。
我に返った張麗はそれに正直に答えると、彼は次にもう一人の被害者である『小高蓮』に同じ質問をし、更に複数の目撃者の証言も聞いていった。
それに対して黄敏が抵抗したので、王政は、今度は黄敏の仲間に話を聞き出すと、黄敏に張麗と小高蓮を襲うようにと、彼から金で雇われたことをあっさり白状した。
これに怒った黄敏は「自分は全く知らず、彼らが自分を貶めている、全ては彼らがやったことであり、自分は無関係で無罪である。」と主張したため、黄敏の仲間の一人がこれに憤慨して、今回の一件とは関係のない、以前黄敏が妊娠させてしまった女を殺してしまったことまで暴露してしまった。
これにより、張麗襲撃事件は、全く予期せぬ新たな展開を迎えた。
まず本件について黄敏の有罪は確定したものの、これは既に複数ある黄敏主犯事件の一つの扱いになり、黄敏の勾留と今迄の悪事の徹底再調査が王政によって命じられた。
王政が裁判長席から立ち部屋から出て行っても、張麗は茫然としてそこに座り込んだままだった。
”劉煌殿、変わらず素晴らしいお方…”
張麗は、今の身分では到底会えることはないであろう西乃国の皇帝に想いをはせた。
座ったまま空を見つめる張麗の肩にそっと手を置くと、劉煌は「さあ、行きましょう。患者さんたちがおかんむりよ。」と言いいながら彼女が立ち上がるのを手伝った。
”おとり”として利用していたので、もう張麗を送る必要もないはずだが、もうすっかり彼女に首ったけな劉煌は、お昼間だというのに彼女をご丁寧に家まで送って行った。それどころか、夜また迎えに来ると彼女に伝えた。張麗は、帰ってきたのに何故また迎えに来るのかと聞いたら、彼は「一緒に祝杯をあげよう。」とだけ言って、去ってしまった。
その日の張麗の午後の診療は、開始が遅れた分終了も遅れて、終わった時には、もう日がとっぷり暮れていた。あまりの忙しさに、祝杯の件をすっかり忘れていた張麗は、いつものように、診察終了の看板を掛けに扉を開けると、そこに”小高蓮”が立っているので彼女は目を丸くしてしまった。
「どうしたんですか?」と驚いて聞く張麗に、”朕が誘ったのに忘れてたのー。(涙)”とショックを受けながらも、「いやあねー。今晩一緒に祝杯をあげようって言ったじゃない。」と、劉煌はちょっとすねたように答えた。
「ああ。」と張麗が頷いていると、劉煌はすかさず彼女の手から看板を取り、扉の上に掛けて、「さあ、行きましょう。」と嬉しそうに言った。
道を二人で歩きながら、劉煌は上機嫌に「さあ、今日はどこに行く?君は何が食べたい?君の食べたいところに行こう。」と張麗に聞いた。
彼女は少し考えてから「たしか、一軒だけ東之国の料理屋があって、、、行ったことが無いので、、、そこに行けたら…」と呟いたので、「では、そこに行こう!」とノリノリで劉煌が答えると、彼女は小さい声で「こっちです。」と言って、次の角を右に曲がった。
その店の造りはとても個性的で、西乃国では見たことのないような建物だった。
それを見た瞬間、劉煌は素直に「へえー、東之国はこんな建物ばかりなのかな。形も変わっているけど、色も黒と白のモノトーン基調で、中ノ国でもこんな建物は見たことがないや。」と呟くと、君はどう思う?と言っているかのように、張麗の方を振り向いた。
張麗はそれに対して何も語ることなく、ただ店の上から下まで何度もジッと見ていた。
仕方なく劉煌は両肩をすくめると「じゃあ、入ろうか。」と言って、入口に掛かっている暖簾をくぐった。
暖簾をくぐると、中の造りも西乃国の建物と違って、壁は一面白の漆喰で塗られていた。
テーブルも丸は全くなく、四角い物で黒に塗られた物ばかりだった。
劉煌と張麗が暖簾をくぐってしばらくしてからやおら給仕の男がやってきて、二人は奥の座敷に案内された。
そこは、一段上がった部屋で、西乃国では珍しく履物を脱いで上がるようになっていた。
二人は言われるままに履物を脱ぎ、その部屋に上がった。
その部屋の真ん中には背の低いテーブルがあり、その下は、一段低くなっていて、ちょうど床に座ると床が椅子の座面になるような構造で、脚を下に降ろせるようになっていた。また、襖を閉めると個室になる形で、給仕によるとデートカップルに人気とのことだった。
この最後の給仕の説明に、店内がらがらだというのに何故給仕が、他の普通のテーブル席ではなく、わざわざ座敷に案内したのかわかってしまった二人は、気まずい雰囲気になり、向かい合わせに座りながら、お互いメニューに顔を突っ込んだまま、黙り込んでしまった。
しばらくして、劉煌がチラッとメニューから顔をあげると、張麗は真剣にメニューを見ていた。
劉煌はえへんと咳ばらいをすると、徐に「君が食べたいものを選んで。今日は君のお祝いだから。」と言った。
すると、張麗は怪訝そうな顔をして「私のお祝い?」と聞いてきたので、彼は「そうさ、もう黄敏に襲われることはないから。」と言うと、「私が彼に襲われたことがあるのを知っていたんですか?」と言われてしまった。劉煌はしまったと思いつつも「あら、京安では有名な話よ、それで男の患者は診なくなったって。」とさらっとかわすと、「とにかく早くオーダーしましょうよ。ね、何がオススメ?」と話をはぐらかした。
彼女は、「ああ。」と言うと、給仕を呼んで、メニューを指さしながら料理を頼んでいった。その間にいそいそとテーブルにある土瓶から小指を立てて二人分のお茶をついでいる劉煌を見て、給仕はニコニコしながら「男女逆転カップルだね。御宅ら凄くお似合いだよ。」と言った。
その一言に張麗はカチンときて「まず、私たちカップルじゃないし、あっちはともかく、私は男っぽくありません!」と言って、劉煌を指さした。接客業の基本を無視して給仕はめげずに「お嬢さんは全然男っぽくみえませんですよ、でも心意気は男でしょ。男顔負けに仕事できそうな感じだし。」と負けじに言い返すと、劉煌もすかさず「そうなのよ。」と相槌を打った。
一緒に反論せず、相槌をうった劉煌に張麗はギロッと睨みをきかすと、劉煌はすかさず給仕に「お兄さん、なるべく早くご飯持ってきて。」と懇願するような目で言った。給仕はもっと話したかったようだったが、女性客の怒りと男性客の憂いのまなざしを見て、早々にオーダーをキッチンに伝えに行った。
注いだお茶を小指を立てて彼女に差し出しながら、
「私たちお似合いのカップルにみえるのかしらん♡」と嬉しそうに言う劉煌に、間髪入れず
「見えません!」とピシャリと張麗が断言すると、劉煌は心の中でだいぶへこみながらも、
「私はそう見えて嬉しいわ。」とポッと頬を染めて小さく囁いた。
張麗は、それには何も答えず、彼と初めて食事をした時のように、窓の方を向くと、ずっと窓の外を見た。そして、その時と同じように、テーブルに食べ物が並んでも、それに気づかず、ずっと外を見つめていた。
劉煌は、それを見てはあとため息をつくと、あの時と同じようにおかずを箸で取って彼女のご飯の上に乗せ「冷めないうちに食べよう。」と、優しく声をかけた。
張麗は、我に返って「ああ。」と言うと、テーブルの上にある料理を見た。そして「これは、、、?」と言って不思議そうな顔をした。
すると劉煌は、あのおしゃべりな給仕のオーダーミスだと思い、怒って「あなたがオーダーしたものと違うの?あの給仕ったらしゃべってばかりで、きっと上の空でオーダー取ってたのね!」と叫ぶと、座敷から飛び降りて給仕のところに飛んでいった。
あまりの劉煌の行動の速さに張麗が唖然としていると、劉煌は、先ほどの給仕の耳を掴んで連れて帰り、テーブルの上の一皿一皿これが何かを給仕に言わせた。
「だから、オーダー通りでしょ、お嬢さん。」と、給仕が泣きそうな顔で言ってきたのに対して、張麗は困惑しながら
「ここの料理人は東之国の人だって聞いてたけど…」と呟いた。
それを聞いた給仕は、今度はとてもばつの悪そうな顔をして「いやー、お嬢さんには参った。実は昔は東之国の料理人がいたんだけど、今はやめてしまって。」と言い訳を言った。
しかし、今度はそれを聞いた劉煌が怒り心頭になった。
”朕のお膝元で堂々と詐欺しとったんか!許せん!”
「何!?それでは東之国の料理ってのは詐欺なんだなっ!」と劉煌は叫んで、給仕の耳がちぎれそうになるほど引っ張った。
それを見た張麗が大慌てで「私の勘違いかもしれない。本で読んでいたのと違っていたから。」と言いながら、給仕の耳から劉煌の手を放した。
給仕は涙目になりながら「前言撤回です。全然男女逆転してません!」と明言すると、座敷から転げ落ちるようにして逃げていった。
鼻の穴を大きくして怒っている劉煌に、張麗は「ごめんなさい。私の勘違いです。何しろ私も初めてだから。」と言うと、お箸で煮魚の骨を器用にとって、劉煌のご飯の上に「はい。」と言って身を置いた。
それを見た劉煌は、うって変わって有頂天になった。
”彼女が朕のために魚むしってくれた♡”
息を整えた劉煌は、床に座ると静かに「いただきます。」と言ってから、さっきの怒りはどこ吹く風のように、張麗がむしってくれた煮魚を幸せな気持ちになって口に入れた。それは見た目は異なるものの、味付けは中ノ国に近く、スパイスが効いて味も濃かった。中ノ国が長かった劉煌には、全く違和感なく、可もなく不可もなくで、濃い味のためにご飯が進んでいた。が、ふと張麗を見ると、彼女の箸が殆ど進んでいないことに気づいた。
劉煌は箸を置き、心配そうに「どうしたの?」と尋ねると、彼女は「あ、考え事をしていて。ごめんなさい。」と言うと、徐にお箸を白菜の煮物に伸ばした。そしていつものように、野菜中心に食べていったが、どこか心ここにあらずで、始終とても悲しそうな顔をしていた。
帰り道もどこか心ここにあらずの張麗と歩いていた劉煌は、彼女を門の前で待たせ一人先にある点心屋に走った。彼はほどなくして竹の皮に包まれた揚げたてのごま団子を手に戻ってきて、それを彼女に渡した。渡された竹の皮の包みを見てから、劉煌を見上げた張麗は、小さい声で「ありがとう。」と言うと、竹の皮の包みをほどいて、彼に差し出した。劉煌はごま団子1個指で掴んだが、それは思いのほか熱かった。あちちちと言ってごま団子を左右の手に行き来させて冷ましながら「揚げたてだから、熱いので気を付けて。」と彼女に伝えた。
その様子を見ていた彼女は、あの料理店から出て初めてクスっと笑うと、竹の皮の包みを両手で持って、ごま団子にフーっと息を吹きかけた。ごま団子を口の中に入れた劉煌は、熱さでホフホフ言いながら「こ、ホフホフ、これは、ホフホフ、これはウマイ!でも熱ちぃ!」と叫んだ。
それを見ていた彼女は笑いながら「もう、これは外では無理よ。」と言って、彼を自宅に連れていき、テーブルの上に竹の皮の包みごとごま団子を置くと、湯を沸かしに行った。
ほどなくして彼女がぬるめの白湯と茶を持ってきた。
相変わらず彼女の茶は絶品だった。
張麗の住む長屋の先にあるこの点心屋は、他の点心屋と異なり甘味専門店だった。
それだからだろうか、ここのごま団子は抜群に美味しい。
このごま団子の最外殻にはごまがひしめいており、それが油であげられることにより団子全体の外側がカリっと引き締まる。だからまず口に入れて歯が感じるのがそのカリっとした食感だ。しかし、それも束の間、すぐに歯はもちもちの生地に到達し、歯ごたえが瞬時に180度変化する。そして、噛む感覚を堪能できるもちもち感の次は、口の中の舌をくすぐり、恍惚へと導くたっぷりのほどよい甘さのあつあつのごま餡である。
劉煌は、熱々の旨いごま団子を頬張りながら、張麗の淹れてくれたお茶をすすると、本当にこの瞬間が至福の時に思えた。
思わず「今日の料理より、このお菓子と君のお茶の方が数倍うまい。」と劉煌の本音が飛び出すと、彼女も「本当ね。あの料理屋さんは失敗でした。ごめんなさい。」と謝った。
そしてもっと嬉しいことに「お詫びに鍼打ちましょうか?」と言ってくれたので、劉煌はいそいそと施術台に飛び乗った。
お読みいただきありがとうございました!
またのお越しを心よりお待ちしております!




