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銀の鈴の幽霊

作者: 摩莉花

 友人に、立林清治という男がいたんだ。


 そいつは遠くの街に就職して、一人暮らしをしていた。その日はうららかな春の日曜日だというのに、これといって何もすることがなく、近くの商店街をぶらついていたそうだ。

 その商店街というのが、どこにでもあるようなアーケードのついた通りで、別になんともおもしろくもなかったのだが、もともとはお寺の門前町だったので、大通りをはずれると細い道が入り組み、迷路のようになっていた。そして、そこにときどき古びた店がひっそりとあったりする。

 やつも、ついふらふらと細い路地に迷い込み、店構えのやたら古めかしい骨董屋に入り込んだ。

 その店の中は薄暗く、壺や掛け軸、机、時計、人形、オルゴール、スプーン、皿、鳥の羽……なんて、ありとあらゆるものが、所せましと並んでいた

 そして、それらの品物に混じって、自分も骨董品になってしまったような、品の良いおばあさんが、ビロード張りの揺り椅子に座って編み物をしながら店番をしていた。

 やつは、入ったとたんに、「しまった」と思った。

 おばあさんを見て、ひやかして手ぶらで出て行くのは、何だか悪いような気がしたんだな。

 だから、店の中の品物をゆっくりと眺めて時間をつぶしながら、安そうな物を探した。

 あいつは、赤い糸のついた、きれいな菊の文様が彫り込まれている小さな銀の鈴が気に入った。別に誰へあげるというわけでもなかったのだが、それを買うと店を出た。

 やがて、夕食をすませて自分の部屋へ帰ってきたのは、とっぷりと日が暮れてからだった。あいつは、洗濯物を取り込んだり、部屋の整理をしたり、こまごまとしたことをしてしまうと、ぼんやりとテレビを見て、その日はそうそうに寝ることにした。

 布団を押し入れから出して敷き、服をパジャマに着替えるとき、ポケットから鈴が転がり落ちた。

 チリーン、と澄んだ音がした。

 やつはそれをつまみあげると、枕元の小さな机の上に置いた。

 あいつの暮らしているアパートは、寝室兼居間の六畳一間と狭い台所、トイレ、風呂場という間取りで、同じつくりの部屋が一階と二階にあわせて六つある独身者用のものだった。そして、やつは二階の一番隅に住んでいた。

 他の部屋は静かで、まだ誰も帰って来ていないらしい。

 やがてあいつは、その静けさの中、眠りについたのだった。

 ところが、あまりにも早く寝たので、夜中に目が覚めてしまった。何時か見ようと、枕元の置時計に手をのばしたところ、机に腕があたって、鈴がチリーンと鳴った。

 ねぼけまなこで、ひょいとそっちを見ると――

 そこには、ぼんやりとした白い人影があった。

 あいつは目をこすって、じっと見た。

 古風な絣の着物をき、長い髪を垂らした若い女の人が、そこに坐っていた。

 やつは、びっくりして声も出なかった。しかし、不思議とこわいとは思わず、自分でも驚くほど落ち着いていたそうだ。

 そして、あいつは起き上がって、幽霊に向かうと言った。

「どちらさんですか?」

(長い付き合いだが、いまだにわけのわからんやつだ)

 すると幽霊は、何か言おうとするのだが、声が出ないようだった。

『うらめしや』と言おうとしているのかな、でも、ひとの恨みをかう覚えは無いし――と、やつは考えていた。

「ひょっとして、この鈴は、あなたの物ですか?」

 あいつが、あてずっぽうに尋ねると、幽霊はうなずいた。

「それなら、お寺に納めて供養したげます。安心して成仏してください。じゃ、おやすみなさい」

 と、布団をかぶって、再び寝てしまった。




 今度目が覚めたときには、カーテンの隙間から、朝陽がさしていた。

 やつはお湯を沸かして、インスタントみそ汁とご飯と納豆という朝食の用意をしながら、いつものように身支度をした。

 布団を畳んで押し入れに仕舞うとき、机の上の鈴に、ふと目がとまった。

 昨夜のことが夢のように思えたが、さすがのあいつも手元に持っているのは、少しばかり気分が悪かったので、退社したらそのまますぐ、近くのお寺に置いて来ようと考えた。そして、赤い紐をつまんで持ち上げようとしたところ、鈴はぴったりとくっついて、離れようとしない。

 どんなに力をいれても、だめだった。

「こりゃ、どういうわけだよ」

 あいつは、ぶつぶつ文句を言ったけれど、会社に遅刻しそうになったので、急いで食事を済ませると、部屋を出て行った。

 その夜、あいつは真夜中を待っていた。幽霊というのは、そのくらいに出ると思ったらしい。

(丑三つどき、っていうけど、本当かな?)

 時計が午前二時を示したとき、鈴の置いてある辺りに、前夜の女の人が、ぼうっと浮かんだ。

「やあ、出てきたね。今朝、この鈴をお寺に持って行こうとしたら、少しも動かなかった。これは、どういうわけなんですか?」

 幽霊は、しょんぼりとうなだれた。

「まさか、ここに居たいっていうんじゃ、ないだろうね」

 あいつがそう言うと、幽霊は、こくりとうなずいた。

『こりゃ、取り殺されちゃうのかな』と、あいつがつい思うと、それが分かったかのように、幽霊は『違う』とでも言うように激しく、かぶりを振った。

「まあ、居たいんなら、居てもいいけど、妙な真似はしないでくれよな」

 あいつはそう言い渡すと、さっさと寝てしまった。




 翌朝、起きるとあいつは、幽霊がそこにいるのを感じた。目には見えないのだが、部屋の中にいるのが分かるのだ。何より、幽霊は鈴を身につけたらしく、動くと、チリチリ音がするのだった。

 初めの二、三日は、気味が悪かったようだが、そのうち、あいつも慣れてきて、幽霊のぶんも食事を用意するようになった。

(『どうして、そんなことをしたんだ?』と、あとで尋ねたら、あいつは『仏壇にだって、ご飯を供えるじゃないか』と答えた)

 幽霊のほうもそのうち、あいつのいない間に部屋の掃除をしたりするようになった。

(『でも、ほうきとはたきと雑巾しか、扱えないんだぜ。おまけに水道の蛇口のひねり方も知らなくて、あるときなんか、台所中、水浸しになったこともあったよ』と、あいつは言った)

 やつは、少しずつ色んなものの使い方を教えていった。やっぱり、家に帰ったとき、誰かがいるってことは、うれしいらしいな。

 ところがある日、隣の部屋の梶田という男に、通路で呼び止められた。

「こないだ、あんたが留守のとき、大家さんが来たんだけどさ、そのとき、誰もいないのに部屋の中で鈴の音がしていたんだ。大家さん、そのうち言いに来るぜ。いつから猫なんて飼ったんだ?」

「猫だって? そりゃ、ペットは飼っちゃいけないことになっているけど」

 まさか、幽霊です、とは言えない。

 その夕方、忠告どおりに大家さんがやってきた。大家さんは、がっしりとした身体つきをした、いかにもしっかり者という感じの年配女性だった。

 大家のおばさんはあいつの部屋に入ると、ぐるりと中を見まわして、話し出した。

「突然で、すいませんねえ、立林さん。この間から、近所で猫の鈴の音がするっていうもんですから、様子を見に来たんですけど。このアパートじゃ、ペットを飼っちゃいけないってことは、ご存知ですよね」

「ええ、借りるとき、不動産さんで聞きましたから。でも、僕は猫を飼っちゃいませんよ。他じゃありませんか? それとも、よその猫が遊びに来てるとか。僕の部屋、猫を飼っているように見えますか?」

 おばさんは、フローリングの床と畳マットの間をすっと指でなでた。

「そうですねえ、聞き間違いかしら。すいませんでしたね。……ちょっと、おせっかいかもしれないけど、立林さん、もう少しきれいに、お掃除したほうがいいですよ。それじゃ、これで失礼しますね」

 おばさんはそう言って、部屋を出て行った。だがすぐに、大きな音とおばさんの悲鳴が聞こえた。

 階段から、落ちたようだ。

 あいつは、様子を見に行った。

 階段の下には、おばさんが腰を押さえて座り込んでいた。

「大丈夫ですか?」

 下に降りながら、あいつは声をかけた。

「たいしたことは、ないみたいだけど……いたた……少し打ったみたい。滑るようなもの、なかったのに。どうしてかしら」

 やつは、おばさんに手を貸して、立たせた。おばさんは、足をひきずりながら、帰って行った。

 あいつは自分の部屋に戻り、ドアを閉めた。

 チリーン、と鈴の音がした。

「だめじゃないか、あんなことして」

 そう言いながらも、あいつは、くすくす笑っていた。

 大家さんのことを教えてくれた梶田という男は、同時期に入居し、あいつとは同い年ということもあって、引っ越して早々、友達になったらしい。忙しい男で、このアパートには寝に帰って来るだけだが、たまに部屋にいるときは、お互いの部屋へ遊びに行ったり来たりしていた。

「おーい、立林。いまの音、すごかったな」

 梶田がドアを開けた。その日は、部屋にいたようだ。そして、彼が入って来たとき、あいつは幽霊と話をしていたところだった。

「おい、誰と話しているんだ?」

 彼は妙な顔をした。

「えっ」

 あいつは突然のことだったので、うろたえてしまった。幽霊も驚いたようで、チリリ……と鈴の音をさせて、どこかに消えてしまった。

「今の鈴の音は、なんなんだよ」

 梶田は、しつこかった。問いつめられて、あいつはとうとう幽霊のことを話してしまった。

「変な幽霊だな。でも、家事いっさいやってくれるなんて、いいじゃないか」

「料理は、だめなんだよ。掃除は好きみたいだけどね」

「得手不得手はあるもんさ」

「ちがうんだ。ガス器具が使いこなせなくてね」

「でも、道具の使い方は教えたんだろ?」

「そうなんだが……つまり、火が怖いんだ」

「いつの時代の幽霊なんだ、そりゃ」

 梶田はあきれ顔をした。

(しかし、立林とこういう会話をするやつも、どうかと思う)

 そして、彼は言った。

「ところで、そのお掃除好きの幽霊さんを貸してくれないかな。オレは、どうも掃除が苦手でね。ちょうどいいや」

「そんなことは出来ないよ。だいたいこれは、この幽霊の好意でやってくれていることなんだし」

「でもさ。すべては、その銀の鈴を買ったことから始まったんだろ? じゃ、それを貸してくれよ」

「どこかへ行っちゃったよ」

「そんなことないだろう」

 梶田は鈴を探し始めた。そしてすぐに、机の脚の陰に隠れるようにあった、鈴を見つけて、つまみあげた。

「ほら、あるじゃないか」

 すると鈴は、ぴょん、と飛んで、床を転がった。

 梶田は、それを捕まえようとする。

 逃げるように鈴は転がり、あいつも鈴を取られまいとする。

 狭い部屋の中で、そんなことをしているものだから、何かのひょうしに、あいつは鈴をふんづけてしまった。

 そのとき、どーんという、鈍い音がした。

 その音で、二人とも我に返った。

「なんか、ばかなことをしていたな」

 梶田が、ぼそりと言った。

「悪かったな。それじゃ、オレ、これで」

 と、そそくさと部屋を出て行った。

 あいつは、ぼんやりとつぶれた鈴を見ていた。

 梶田に対して腹は立たなかったが、少し哀しかった。幽霊のいる生活に慣れてしまっていたので、これからの一人暮らしがつまらなく思えた。

 あいつは、つぶれた鈴を、そっとハンカチにくるんで机の抽斗に仕舞った。

「立林さん」

 後ろから、若い女の声がした。

 振り向くと、お下げ髪に花模様の着物をきた娘が坐っていた。

「菊乃と申します」

 と言って、娘は頬を染めた。

 あいつは驚いた。そりゃもう、驚いたのなんのって……。




 落ち着いてから、娘の話をよく聞くと、あの幽霊がその娘だったんだな。

 どうして、そんなことになっていたのか、結局分からなかったんだが、そのあとが大騒ぎだった。

 その娘と一緒じゃ、単身者用のアパートにはいられないし、親には結婚の承諾を得なくてはいけないし、大正生まれだという娘の戸籍のことやら何やら役所の面倒な手続きをしなくちゃならないし――。

 そう、あいつは、その娘と結婚したんだ。だって、あいつより他に頼る人が無いというんだもの。

 あいつも、まんざらじゃなかったというわけさ。で、身内だけのささやかな結婚式を挙げたそうだ。

 それで最近、住所変更を報せる便りを寄越したんだが、それには、こう書いてあった。

『……もと幽霊なので、無口かと思っていたところ、たいへん陽気でおしゃべりだったんだ、これが。よくころころと笑うこと、笑うこと――』






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