穢れの森
15歳になったあの日、貴族院の聖なる儀式で俺が受け取った『ギフト』は水を無から生み出すというものだった。
無からの水生成。
最初こそ、干ばつ時に役立つだろうなど期待されたものだったが、それが落胆の声に変わるまでそう時間は掛からなかった。
一日に生み出せる水の量が、決定的に少ない。
バケツ一杯にも満たなかったのであった。
その後、継母の子である弟がギフトを受け取る年齢になると、俺は長男にして冷や飯食いになった。だから。
「カイン、おまえには所領の西はずれにある穢れの森をやる。この家から出ていけ」
十七歳で成人になった今日、俺がコニスン家を追放されることは二年前から決まっていたようなものなのだった。
「おまえの水は穢れを祓う力があるようだな。ならば魔物を生み出すあの森を浄化することができるやもしれぬだろうよ」
ははは、と馬鹿にしたような笑い声で俺を自室から追い出す親父殿。
その目は俺の実母が病気に臥せっていたとき、見舞いにもこず俺に向けていた目と同じだった。
俺は廊下に出ると、大きく深呼吸をする。
「はー、窮屈な10年間だった。これでやっと解放されたな」
思いっきり伸びをして、もう一度深呼吸。
これは強がりじゃない。父に強制される貴族の社交場は、俺にはストレスでしかなかった。
やれその腕輪はどこ産の宝石を使った物だとか、どこ嬢の着ている服は見た目が派手なだけで安仕立てだとか。
興味も湧かない噂話に付き合わさせられ、足の引っ張り合いを見せられる。それが俺にとっての社交場だったのだ。
それでも母さんが存命のうちは、頑張ることができた。
だが、俺の気持ちを知っていてくれた母さんは死の間際に言ってくれたのだ。
「カイン、貴方は自由に生きなさい。貴族の社会などに囚われず、好きに羽ばたいていいの」
母さんの言葉に背中を押された俺は、好きに生きようと決めた。
この追放は、俺が望んだ結果でもあったのだ。
だがそれと同時に、母さんをないがしろにした父を許せない俺もいる。
俺は自分たちを冷遇した父を、見返してやりたいと思っていた。
「母さん、ありがとう。だけど俺は未熟だ、あの親父を許すことができない。カイン・コニスンが自由に生きるのは、もうちょっと後になりそうだよ」
この日の為に蓄えていた金品が多少ある。
俺は最後の使用ということでコニスン家の馬車を用意して貰い、森に向けて即日出発したのであった。
☆☆☆
「この辺でいいよ、爺や」
馬車に揺られること数日。窓から外を眺めていた俺は、同行していた爺やに声を掛けた。俺のことを小さな頃から見守ってくれていたお付きだ。
「ですがカイン様、ここだと危険ではありませんか?」
「構わない。これ以上森に近づくと、爺やたちの帰りが大変だろうからな」
「そう、ですか……」
名残惜しげな顔で俺のことを見ていた爺やが、御者に声を掛ける。
馬車が止まり、俺は降りた。
一緒に降りてきた爺やが、俺にうやうやしい礼をした。
「お気をつけくださいカイン様、穢れの森には魔女が居ると聞きます。食い殺されないよう」
「ありがとう。大丈夫だよ、今まで世話になった」
爺やは俺の教師でもあった。本当に世話になっている。
家を出ることで唯一心残りになるのは、残る爺やの立場だ。
「爺や……俺は」
「何も言わないでください。奥様の言葉通り、カイン様が自由に羽ばたいてくださることが私にとっての幸せでもあります」
「いずれ迎えにいく。その日まで身体を労わってくれ」
「ありがたきお言葉、カイン様の前途に善き七色の花あらんことを」
去っていく俺を、爺やはいつまでも見ていてくれた。
その心にいつか報いたいと思いながら、俺は穢れの森を目指したのだった。
どれくらい歩いただろう。
日の高さから言って、まだ正午を回ったばかりだろうか。
次第に土地が荒れてくる。
穢れの森の瘴気が、森の外にまで漏れてきているのだ。
俺はボロのマントの下から腰バッグを持ち出すと、中から携帯食を取りだした。
歩きながら干し肉を噛み、革袋から水を飲む。
背負った袋の中には森を開拓していく為の道具や当面の食料がたくさん入っていた。まずは住処の確保が大事だ。
あらかじめリサーチはしてあった。
追い出されることも計算済みだったし、ここを自分の所領とできるように小さなアピールもしていた。俺の『水の能力の一端』である『穢れを祓える』という情報を漏らしておいたのもそのためだ。
なんならこの森に来るのも、実はこれが初めてではない。
俺がこの土地を欲しがったのには理由がある。
知る者が少ない話だが、あの森の奥には古代の地下迷宮――ダンジョンがある。
ダンジョンには財宝やいにしえの力を秘めた魔法装飾品が眠っているのだ。その力があれば、きっと父を見返すこともできるに違いない。
穢れた土地の周辺は魔物が多く、人が近寄らない。
秘密を守りながらダンジョンを独占できるだろう。
「見てろよ親父殿、俺を侮ったこと、後悔させてやる」
俺は拳を握った。気持ちが奮い立つ。そして森の入口に立ったのだった。
「アドラ・カムリデ」
呟いてみる。
これは、もともと取り決めていた呪文。合言葉だ。
『呪いの魔女』と初めて会ったときに取り決めたこの言葉は、俺を安全に森の中心部へ案内してくれる。――はずであった。
「あいつ! また呪われてやがるな!?」
俺は今、森の中を走って逃げている。
いくつもの「影」が、俺を追ってきているのだ。これは魔女の分身、呪われた魔女の結界を守る使い魔だった。
本来ならば俺を守って森の中心部、魔女の住処まで案内してくれるはずだった使い魔たちが、俺に牙を剥いてきている。
「このやろう!」
俺は自らの能力で『水』を生成すると、革袋に汲み入れた。それを人の形をした影たちに投げつける。
口を開いたままの革袋は、影に当たると水をまき散らした。
「よし!」
水を被った影が、その場で消滅する。
これが俺が生み出せる水、『解呪の水』の力の一つだ。あらゆる魔法を分解することができる。
もちろんこれは実家に秘密にしていたことだった。
こんな能力を知られたら、コニスン家の良いように利用されていただろうからな。
宮廷でのパワーバランス取りに終始する人生なんて送りたくない。
とにかく水を出し、革袋に詰めて投げつける。
影を消す、影を消す、影を消す。
するとほぉら、ボスのお出ましだ。
なにがあったかと気になったのであろう、魔女本人が姿を現した。
月の輝きを思わせるようなしっとりした銀色の髪の隙間から、長い耳が飛び出している。
青と緑に色違いな左右の瞳と、形よい切れ長の目。
眉目秀麗としか言えない造詣の顔には、表情と言うものがない。
最初に出遭った時と同じだ、その目はなにも見ていない。
草色のローブに身を包んだ、一見少女に見える彼女こそ『呪われた魔女』その人。自らの多大な魔力に飲み込まれてしまう悲しきエルフ。
――づどぉん! 森に轟音が響き渡った。
雷が一本の大木に落ち、燃えている。
ゴォと風が吹き荒れ、メキメキと木の幹という幹が悲鳴を上げた。
巻き上がった風に、何本かの折れた木が吹き飛ばされていく。その中には三十メートル級の大木すらも混ざっていた。
「すっかり元に戻りやがって、前も大変だったなそういや」
だけど今回は、対処法をもう知っている。
俺は解呪の水を全身に被り、魔女に向かって走り込んだ。
「さあ魔法を撃ってこい! 俺はここだ!」
爆炎が飛んでくる。氷礫が飛んでくる。雷が迸る。殺意という殺意が、俺に向かって飛んでくる。
そのことごとくを、解呪の水が弾いていった。
あらゆる魔法を分解することができる。
それは魔法使いに対して無類の強さを発揮できるということなのだった。
「面倒掛けてくれるっ!」
俺は声を上げると、再び解呪の水を革袋に入れた。
魔女に飛び掛かり、覆いかぶさる。俺たちは地面に倒れ込み、転がり、草だらけになった。魔女が表情のない顔で俺を見る。
俺は、魔女の口に革袋を当てた。
解呪の水を魔女に飲ませる。ごくん、と魔女の喉が鳴った。
「…………」
俺に押さえつけられたままの魔女は、しばし動かなくなり。
「あっ、あなたっ!?」
ボン、と顔を真っ赤にした。
「ななな、なにしてくれんのよ! ま、また私に覆いかぶさって!」
「人聞きの悪い。俺は『力に呪われた魔女』を解呪の水で解放しただけだ。ルールル、おまえまた力に飲まれたな?」
「切れちゃったんだから仕方ないじゃない! あなたが置いていった水、少しづつ使ってたけど、あなたが来るのが遅すぎるのよ!」
ぽろり、ぽろり、と。
呪われた魔女、ルールル・バータルイデは涙を零す。
泣かれると弱い。俺は困り顔で笑い、頭を掻いた。
「悪かった。予定ではもっと早くに追い出されるつもりだったんだけど」
「ほんとよ、私をずっと待たせて! 悪いのは貴方なんだからね!」
俺は立ち上がると、ルールルに手を差し伸べた。
ルールルはジトッと俺を一瞥し、フンと横を向きながら俺の手を握る。
「言われた通り、準備はしてたわ。あとはあなたの『解呪の水』を触媒にするだけ」
「ありがたい。さっそく儀式を行おう」
森の中心部、大きな泉のほとりにルールルの住処がある。
立派な一軒家だ。
その中からルールルは魔法の道具を色々引っ張り出して、泉のほとりに祭壇を作った。
「ここに、祓いの水を汲んだコップを置いて」
言われるまま、祭壇の中央にコップを置く俺。
ルールルの魔法詠唱が始まった。
「あまねく力、四大の元素、かの水を以て膨らめ広がれ天に届け」
長々とした詠唱が続く。
するとコップの中からモクモクと煙が立ち始め、天に昇っていく。
天では雲が出来上がり、やがて雨が降り出した。
極々狭い区域だけに振る、局地的な雨だ。それでも。
「これが、祓いの雨……」
「そう、あなたの解呪の水を触媒として膨張させた、この森の穢れを流し去る雨」
雨が降っているのは、ルールルの住処である家の周囲直径三十メートルほどの狭い狭い範囲だけだ。
だけどそこの中に、これまで俺の目には映ってなかった物が現れた。
祠だ。
なにを祭る祠なのかはわからない。扉を開けると中にはなにもなく、地下への入口だけがそこにあった。
「ありがとうルールル、そこが森のダンジョンの入口だったんだな」
「そうね。穢れを祓ったことで、いつでもダンジョンに入れるようになったはずだわ」
「雨はあれだけしか降らせられないんだな。聞いてたより少ない。もうちょっと居住可能なエリアを広げたかったところなんだが」
「触媒は今ので最後。またどこかで手に入れないと」
「街で買うのが早いのか? 多少なら、この日の為に自分で稼いでおいたんだけど」
俺は背負い袋の中からジャラリと宝石の類を出してみせた。
だけどルールルは肩を竦めて首を振る。
「私はあまり社会と接点がないから、物価がわからないの。でもそうね、昔、この森を浄化していくにはもっともっとお金が必要だとは聞いたわ」
「そうか、ふむ。なるほど」
金稼ぎが必要。
結局人との関わり合いを捨てられないのが、この世の中か。
少し目論見とは違うが、これもここで快適に暮らしていくための一歩というべきだろう。
「ダンジョンで得た物を売って稼ぐか。ルールルにも頑張って貰う必要はあるが」
「私はあなたのチカラがなかったらまた暴走しちゃうんだもん、言われるままいくらでも頑張るわよ!」
「上等だ、相棒。これからよろしくな」
俺は肩をすくめて、ニッと笑ってみせた。
俺の中にはかつてないやる気が漲っていた。だけど焦るな、のんびりやろう。
俺の本当の人生は、この森から始まってゆくのだ。




