第五話 私の婚約者だった方の話~恋の始まり~
ベルナール王国国王ニコライは、幼いころから物語のような恋に憧れていた。
自分を産んで亡くなった母への愛を貫き、再婚もせず愛人も作らず、早々に彼女の後を追った父親の印象が強かったのだ。
両親が見せた恋愛に憧れていなければ、ふたりが子どもの自分を残していなくなったことを憎んでいたかもしれない。
そしてニコライは、恋に憧れると同時に恋を諦めていた。
両親を喪い幼くして即位した彼には、初恋よりも早く婚約者が与えられていたのだ。
いや、そもそも隣国の王女である婚約者がいなければ即位などできなかった。ニコライの母は身分の低い生まれで、そのため彼には強力な後ろ盾がいなかったのだから。
いっそ本人の望むまま、叔父であるカバネル公爵が王位を継げば良かったのに、と思ったこともある。
しかし公爵はその実の息子であるスタン曰く、魅力的な邪悪、だった。
成長していくごとにニコライもそれを実感していった。カバネル公爵は女癖の悪い浪費家で、他者を見下し加虐して楽しむ性癖の持ち主だった。なまじ見かけが美しく頭が良いのでタチが悪い。
ニコライの父は弟にだけは王位を継がすなと遺言を残していたし、古くからの重臣はカバネル公爵の即位を認めなかった。
ただし重臣の多くは領地を持たない法衣貴族であり、カバネル公爵を支持する享楽的な土地持ち貴族達と比べると発言力が弱かった。
先代国王の嫡子という錦の旗があろうとも、隣国ボワイエ──聖珠を創り出す聖獣の住まう王国の王女との婚約がなければ、王位継承闘争はニコライの年齢を理由に敗北を喫していたはずだ。即位できたとしてもカバネル公爵を後見人に仰ぐ羽目に陥っていたかもしれない。
自分は一生恋などできないのだろうな、と溜息をつくニコライに、従弟のスタンは言った。
「ロメーヌ姫と恋すればいいじゃん」
カバネル公爵の息子であるけれど、彼はニコライの親友でだれよりも信じられる仕事仲間であった。
実父を嫌う彼は、自分が父と同じ名前であることをよく嘆いている。
「ただでさえ幼いころから政略的な婚約で縛りつけているのに、その上一方的な恋情をぶつけられたら彼女が可哀相だよ」
「そうかなー。まあ、僕がどうこう言っても始まらないよね。ロメーヌ姫に会ったこともないんだから。でもさー……たとえば今度の彼女の誕生パーティ、行くのやめてみたら?」
「冗談はやめてくれ。そうでなくても結婚式を先延ばしにしてるんだぞ」
婚約者ロメーヌの十八歳の誕生パーティ。
それは本当ならニコライと彼女の結婚式の祝典になるはずだった。
だが聖獣の住まう王国の王女との結婚については不満の声を上げたことのなかったカバネル公爵が、直前になって突然反対を表明してきたのだ。式の一年ほど前のことだったろうか。
ニコライは信じられなかった。
聖獣が創り出す聖珠は消耗品だ。大氾濫で暴れる魔獣の魔力を吸収して浄化し、最終的には消滅してしまう。
魔獣は強い魔力によって発生する。強い魔力が凝固した存在である魔結晶の鉱山をいくつも持つカバネル公爵領は、毎年のように大氾濫に悩まされていた。隣国ボワイエとのつながりで導かれる聖珠供給の安定を一番求めていたのがカバネル公爵のはずだった。だからこそ彼は王位を諦めたのだ。
結婚自体を反対するわけではないが予算が、国内の経済的な安定が、先日発覚した法衣貴族の汚職が、ボワイエ以外の近隣諸国との関係が──カバネル公爵の良く動く口を塞ぐのには時間がかかった。
結局一年先延ばしすることで手打ちとなったのだ。
これ以上不義理を重ねて隣国の信頼を失うわけにはいかない。
「ああ、ごめん。全然行かないってわけじゃなくてさ、表向き公式訪問しないってことにして、お忍びで行ってロメーヌ姫を驚かせたらどうかと思って」
「なんの意味がある」
「悪い趣味ではあるんだけど、一度行けないと言って悲しませてから会ったほうが喜びは倍増するんだよ」
「私が行かないからといって彼女は悲しんだりしないだろう」
隣国ボワイエ王国に悪印象を与えたことは問題だと思っていたものの、ニコライはほんの少しだけ結婚式の延期を喜んでいた。
婚約者のロメーヌはおとなしい少女だった。
それなりに整った顔立ちをしているが印象は地味だ。性格も温和で内向的である。国中の目に晒される王妃としてやっていけるか心配だった。
彼女は祖国で両親と兄夫婦に愛されて暮らしていくほうが幸せなのではないか、とニコライは思っていた。
「そうかな。……まあ本当の感情を予測なしに見せられたほうが、陛下の感動も大きいだろうね……」
「ん? 今なんて言ったんだ、スタン」
「なーんにも。いいからやってみなよ。ボワイエの国王に作戦への協力をお願いする手紙の文章は、僕が考えてあげるから」
ニコライはスタンの計画に乗った。
関係者に協力を仰いでお忍びで参加した婚約者の誕生パーティで、自分が来ないと思わされているときのロメーヌは悲しみに沈んでいた。
いつもの彼女の笑顔は政略的な婚約の相手に対する儀礼、作り笑顔だと思っていたニコライにとって、それは新鮮な驚きだった。
(ロメーヌは私の訪問を心から喜んでくれていたのか?)
自分が正体を明かすと、彼女は花が咲いたかのような笑顔を見せてくれた。
一年に一度しか触れることのない彼女の香りに柄にもなく浮かれて、そっと髪の毛に指を伸ばしてしまった。
愛せる、と思った。愛し愛されて生涯を送ることができると思った。物語に出てくる騎士が運命の恋人に対するように跪くと、彼女が喜んでくれているのがわかった。
だが──
「……ロメーヌ様ぁ! そちらの方はどなたですの? 私にもご紹介していただけませんか?」
ニコライはモーヴェと出会ってしまった。
時間が止まった。呼吸すら忘れるほど夢中になって彼女を見つめた。
初めて出会った少女は色鮮やかで、どこか懐かしい雰囲気があった。
ニコライは恋に落ちたのだ。