第四話 私の十九歳の夏が始まる前に
ニコライ陛下のご訪問の後、私は自分自身に何度も言い聞かせました。
陛下が私との婚約を破棄することはありません。
隣国の先代国王の死後、幼い陛下が即位できたのは隣国の王女である私との婚約があったからなのですから。
彼はもう成人して実力を示していますが、母君のご実家の身分が低かったため、未だに我が国以上の後ろ盾がありません。ほかに候補者がいなければべつでしょうけれど、彼にはふたつしか年の違わない従弟がいらっしゃいますし、その従弟の父君で先代国王の弟君である公爵もご健在です。
恋のために王位を捨てるというのも、簡単な話ではありません。
我がボワイエと隣国ベルナールは大陸の北部にあるのですが、この辺りは強い魔力が凝固してできる魔結晶の鉱脈が豊富な代償か魔獣の多い土地です。ときおり現れる少数の魔獣には騎士団で対応できても、魔獣が大発生して起こる大氾濫から民を守れるのは聖珠しかありません。
そして、聖珠を創る力を持つ聖獣は今、我が国にしかいないのです。
王女との、国王の妹との婚約をご自分の浮気心で破棄するような人間のいた国に貴重な聖珠をお譲りすることはできません。
聖珠はモーヴェ様ご実家大公家の悲劇のような事故や山賊など人間のもたらす邪悪には効果がないものの、強い魔力から生まれる魔獣を締め出す効果においては他の追随を許しません。
ニコライ陛下の父君である先代国王とお父様が親友でなければ、私は今ごろ大陸全土から集まる求婚者の山に埋もれていたでしょう。……自分自身の魅力ではないので恥ずかしい限りではありますが。
だから、大丈夫。
私が陛下に捨てられることはありません。
あの方は国と民を思う立派な国王陛下でいらっしゃるのだもの。
自らが騎士団を率いて魔獣に立ち向かい、民と領地を守って来た方でいらっしゃるのだもの。どんなにお仕事で疲れていても、私の誕生パーティには必ずいらして祝福してくださってきた方なのだもの。
モーヴェ様の婿はまだ決まっていませんが、彼女は近いうちに大公領へ戻ることになっています。
生き残った家臣(大公邸へは通いだった者達です)や領民達と共に実家の復興に励みたいと、本人から申し出があったのです。……本当は、私のぎこちない態度で気持ちを悟られてしまったのかもしれません。
なので、もし来月またニコライ陛下がこちらへ来られても、やっぱりモーヴェ様とは会えません。
最初から政略結婚です。
夏の風が吹くたび、ニコライ陛下が淡い恋の記憶を思い出していても気付かない振りをします。
愛してもらえなくてもかまいません。私はちゃんとお慕いしているのですから。
だから、大丈夫。
だから、だから、だから!
少しでも早く時間が過ぎて、陛下の心の中の恋情が遠い思い出になってしまいますように、と私は祈りました。
──翌月、ニコライ陛下が我が国を訪れることはありませんでした。
モーヴェ様は大公領に戻っています。
美しい大公令嬢は家臣と領民に慕われて、大公邸の復興作業も順調に進んでいると聞いています。
来年の夏まではもう一年もありません。
次の夏が来たら私はニコライ陛下に、隣国ベルナール王国へと嫁ぎます。
陛下が我がボワイエ王国を訪れる機会は少なくなることでしょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
年が明けて春の終わり、私の大好きな夏が来る前に、ニコライ陛下がボワイエ王国を訪れました。
一ヶ月ほど先に催される、私達の婚礼の日程や内容についての話し合いに来られたのではないようです。
国王であるお兄様や私の両親との話が終わった後で、陛下は私の部屋に来ておっしゃいました。
「……モーヴェが身籠った。私の子だ」
そんなの……そんなの酷いです。
絶対にニコライ陛下を渡しはしないと思っていました。ボワイエ王国の王女として、どんな汚い手段を使っても離すものかと思っていました。
なのにこれはあんまりです。子どもから父親を奪うなんてできません。
「私は、君との婚約を破棄したくはない。君の侍女として彼女を迎えても良いだろうか」
陛下は彼女のいる大公領に足繁く通われていたそうです。
それこそ一ヶ月ごとどころではなく、十日と空けずに。
大公領は隣国との国境に接しているので、この城よりも通いやすかったのかもしれません。
まだ春の終わりだと思っていましたが、窓から吹いてきた風が夏の花の香りを運んできました。もう蕾をつけたものがあるのでしょう。
春の終わりは夏の始まり、季節は休むことなく移り変わっていきます。
私は夏が大嫌いになるかもしれません。