第十二話 私の弟(のような存在になる予定だった方)のご訪問です。
「……」
ふと、聖獣様の三角の耳が動きました。
「だれかが森に入って来たよ。アタシじゃなくてアンタに会いたがってるみたいだね」
聖獣様は人間の考えていることを読み取ったりはできないそうですが、普通の犬や猫と同じように匂いで人間の感情を嗅ぎ取ることはできるみたいです。
「……またですか」
私は溜息をつきました。
公式には死んだことになっていて王女としての権利も財産も失っている私なのですが、聖獣様とのつながりを求めてか、ときどき求婚しに来られる男性がいるのです。
どうもお兄様がけしかけていらっしゃるようで……心配してくださってのことなのはわかるのですけれど、少々困っています。私はこのまま聖獣様とのんびり暮らしていきたいのです。
「どうする? 迷わせて追い返してもいいけど、わざわざ隣のベルナール王国から来たみたいだよ」
「隣国から……ですか」
私は返答に詰まりました。
ニコライ陛下の現状はまったく知りません。
怖くて聞けないのもありますし、周囲も腫れ物に触るようにしてベルナール王国の話題を避けているのです。城で手伝うお仕事にも隣国関係のものはありません。
……あの方は今、どうなさっていらっしゃるのでしょうか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「わー、ロメーヌ姫だ!」
ニコライ陛下のことが知りたくて、私は聖獣様に訪問者を受け入れていただきました。
現れた金茶の髪の青年は、私を見て嬉しそうに微笑んで叫びます。
陛下と同年代くらいでしょうか。身長は陛下よりも高いようですが、肩幅は少し狭いみたいです。だからといって華奢というわけではなく、陛下が鍛えた番犬なら彼はしなやかな猫でしょうか。聖獣様とは違い、短毛種で激しく動く猫の雰囲気です。
「あ」
嬉しげな微笑みが苦笑に変わり、訪れた青年は優雅なお辞儀を披露してきました。
「失礼いたしました、ロメーヌ姫。僕はスタン。カバネル公爵家の長男ですが、今はまだなんの爵位も継いでおりませんので、ただのスタンでございます。本日はお会いできて光栄です。……訪問をお許しくださった聖獣様に、心からの感謝を捧げます」
そう言って、彼は荷物袋から大きな鳥の丸焼きを取り出して聖獣様に差し出しました。
「おやおや、随分気が利くじゃないか」
訪問者が聖獣様に捧げものを持ってくるのは珍しいことではありません。
迷いの森で彷徨い諦めて帰る訪問者が、せめてお納めくださいと置いていく肉や魚も聖獣様が美味しくいただいていらっしゃいます。
私もご相伴に預かっています。ご自分は猫ではないとおっしゃるので人間の味付けで料理しているのですが、大丈夫でしょうか。もっとも聖獣様のお体やお力に陰りが見えるようなことはありません。
「スタン様でいらっしゃいましたの。こちらこそ挨拶が遅れて失礼いたしました。ロメーヌと申します」
私はドレスの裾を摘まみ、スタン様にお辞儀を返しました。
スタン様はニコライ陛下の従弟です。陛下よりも背が低いと聞いていたのですけれど、この一年で成長なさったようです。立ち居振る舞いも見事で大人びています。
スタン様は私の手を取り、そっと甲に唇を落としました。敬愛や尊敬を示すキスです。
これでも元王女です。最上級の儀礼を送られるのには慣れています。
ですが……手の甲に唇を重ねたまま上げた妙に真剣な瞳に映されて、なんだか胸の動悸が激しくなりました。
久しぶりだったからでしょうか。お兄様に煽られてやって来る求婚者達は、ここまで辿り着いたことがありませんものね。たまに帰る城や買い出しに行く近くの村では、こんな挨拶をされることはありません。
私の手の甲から唇を離し、スタン様は笑顔に戻りました。
「本当にニコライ陛下に聞いていた通りの方ですね」
ニコライ陛下……陛下は私のことを周りの方にどのようにお話なさっていたのでしょう。
知りたい気持ちを飲み込みます。よく言ってくださっていても悪くおっしゃられていたのだとしても、捨てられた婚約者が聞いて楽しい話ではありません。
私が言葉を返す前に、スタン様が語り始めました。
「冬の暖炉で燃える優しく温かな炎のような赤い髪、夏の短い夜と長い昼の狭間の空の深い青色の瞳……ニコライ陛下はきっと、ボワイエ国民の嫉妬を一身に受けていたのでしょうね。こんなに愛らしい姫君を我が国に奪い去ろうとしていたのですから」
「……っ」
「おやおや、随分口の上手い男だね」
聖獣様のおっしゃる通りです。
本当にニコライ陛下の従弟でしょうか。
同じ『スタン』というお名前だという、陛下の政敵カバネル公爵がご子息の振りをしているのではないでしょうか。公爵は口が上手く、妻子がありながら多くの女性を虜にして『魅力的な邪悪』と呼ばれていると聞きますから。
カバネル公爵の悪名についてはニコライ陛下にお聞きしたわけではありません。
隣国のことですから、いろいろと良からぬ噂も流れてくるのです。
陛下は政敵であろうとも、他者の悪口をおっしゃるような方ではありませんでした。……一年に一度会うだけの恋する価値もない婚約者に本心を吐露することなどできなかっただけかもしれませんね。