β 生徒会長 結月陽菜
§ プロローグ
「顔だけは可愛い」
この台詞を投げられる度、結月陽菜は憂う。顔以外には魅力が無いと言われているようで気が滅入る。実際のところ〝言われているよう〟ではなく、その意図で『顔だけは』の枕詞を付けられていると察せてしまうからタチが悪い。
陽菜には得手不得手が無い。何でも平均以上にこなせる万能型――と表現すれば響きは良いけれど、要は〝万能足りて一心足らず〟というところ。何でも、なんとなく、それなりに出来てしまうため努力する必要に迫られたことが無い。
結果的に序列が一番目だったことは往々にしてある。望んでいないのに、次回も一番であることを期待する人が寄ってきてプレッシャーをかけられる。しかし陽菜は惰性でなんとなく得られたものに執着は無く、魅力や価値を感じることも無い。序列を維持したいという欲求すら湧かない。煩わしさだけが残り、関与することを辞めてしまう。その結果、することは、それなりに出来ることだけになる。
〝それなり〟の能力でも求めてもらえる場面なんて、他の選択肢が無いという消極的な理由で、仕方なく選ぶときくらい。所詮、予備としての利用価値しか無い。もっと優れた人材は大勢居るのだから、そちらが率先して選ばれるのは必然。
これから先ずっと予備にしかなれない人生を歩み続けなければならないと、想像するだけで億劫になる。期待されるのは嫌がるくせ、実に我儘だ。
とりあえず何か一つ、なんとなくではなく努力して何かを実感してみたい。運や感性が影響せず数字で可視化されるものが理想。出来ない部分が減点される方式が望ましい。そして、しがらみが無く誰にも期待されないもの――。
身近にぴったりのものがあることに気付く。勉学だ。選ばれることも、辞めることも無い。全ての人が参加し公正に評価を受ける。
何でもそれなりに出来る陽菜。誤らなければ減点されることは無い。持て余している時間の全てを勉強に費やした結果、全教科満点となった。
§ 中等部
安定して満点を取り続けるようになり、持て余している時間の使い道を考え始めた。既に上限である満点に達しているのだから、これ以上の時間を費やす必要が無い。向上心が無い陽菜は、知識を深めたいという探求心を持ち合わせていないので、手持ち無沙汰に感じる。
授業に限定すれば、公正な評価のみを得ることが出来る。目をつけたのは体育。授業時間内に全てが完結するし、期待されたり何かを求められることも無い。
観察し、自らの所作に組み込む。同級生よりもスポーツ選手からの方が得られる情報は多く、効率的に結果に反映出来ることに気付く。選手は超えずとも、同級生の誰よりも高い能力を身に付けられた。
学力と運動能力を備えたことで、品行方正や文武両道の評価を得るようになった。
でも、投げられる台詞が「ウザい」に変わっただけ。対価として得られたものは妬みや批判――以前よりも悪くなっている。陽菜にはどうすることが正解なのか、わからない。
*
中等部に上がった陽菜。テストは常に満点、運動に至っては次々と大会記録を更新する。中等部で初めての生徒会長選挙で推薦され当選。以来、二年間生徒会長を務めた。
生徒会長はスクールカーストの頂点に君臨する高嶺の花。気軽に話しかける対象ではない。妬みや批判の声はピタリと止んだ。
唯一、張り合ってくるのは上級生の早川伊織。生徒会長選挙で陽菜に敗北し、副生徒会となった。進学校なこともあり選民意識が高く、劣る人間に対し傲慢で威圧的な態度を取る人は多い。その中でも彼女のそれは際立っている。
早川先輩は上級生なので、学力で同じ土俵に上がることは無いけれど、運動においては必ずしもそうではない。上限値が無いため記録で比較すると優劣は付く。陽菜は何とも思っていなくとも、一方的に対抗心を抱かれる。
競技であればわからなくもない。けれど、授業中に記録する値は、成績を付ける際の指標でしかない。どのような価値があるというのか。
§ 高等部
中等部で生徒会長になって以降、直接妬みや批判の声を投げられることは無くなったけれど、陰では言われていた。誰が言っているのかわからない状態で、言われている内容だけが伝わってくる。
二〇二一年四月。高等部入学式前日。
腰まで伸ばした綺麗な黒髪をバッサリと切る。顔のほとんどを覆い隠す重い前髪を作り、存在感を消した。目立ちさえしなければ、穏やかに過ごせると考えた。
陽菜の豆腐のように脆いメンタルは、いとも簡単にぐちゃぐちゃになり崩壊する。身を守るため、誰からも関心を持たれないようにしたかった。
高等部には、中等部からエスカレータ式に上がる内進生と、受験して入学する外進生が共生する。陽菜は幼稚舎からの内進組。
外進生の割合は四割を占める。合格者数に対する受験者数を示す実質倍率は六倍。出身校ではトップの成績を収めていた者が集う。自身を選りすぐられた特別な存在であると認識している、選民意識の強い人間が多い。
そんな外進生が、無口で陰気な陽菜に関心を持つことは無いはず。
*
学内で声を掛けられることは無く、誰とも関わることの無い平穏な日々を過ごしている。始業直前に教室に入り、休憩時間は常に突っ伏す。終業直後に帰宅するだけの日々を続けている成果。
十月初旬。
いつもと変わらぬ放課後。荷物を鞄に詰めているとき、平穏を壊す事件が起きる――何の前触れもなく教室に入ってきた<生徒会長>。
「結月陽菜さんは居ますか?」
教室内を見回す<生徒会長>を、前髪越しに見つめる。
(<生徒会長>に探されるようなことをした覚えは無い。けれど、やましいことをしていないから、こそこそと隠れる理由も無い)
重い腰を上げ<生徒会長>に歩み寄り、横で立ち止まる。
「ご用件は何でしょうか?」
「貴様に用は無い。結月陽菜を今すぐ連れてこい」
あからさまな豹変ぶり。
横柄な物言いは、頼む態度ではない。容姿が地味だから――そんな一面だけで評価し、威圧的な態度を取る。
<生徒会長>は相変わらず、劣ると判断した人間に対しては、傲慢で威圧的な態度を取っているようだ。
「探しているものすら認識できないとは、その目は節穴でしょうか?」
<生徒会長>は怪訝な顔をする。陽菜の顔を隠している前髪を掴み、引っ張る。視線が合うと咄嗟にその手を離す。
「……イメチェンされたのですね。失礼しました。単刀直入に申し上げます。風紀委員に入っていただけませんか。欠員が出てしまいまして」
<生徒会長>は言動を一変させる。二人は旧知の間柄。中等部で陽菜が生徒会長になったとき、早川先輩が生徒副会長を務めていた。
今は十月。こんな中途半端な時期に欠員を埋めなければならなくなる事態に至るのは異常。
「折角のお誘いですが、辞退いたします」
<生徒会長>が陽菜に向ける目が鋭くなる。
「そうですか。仕方ありません……生徒会長権限において、結月陽菜を風紀委員長に任命する」
委員長まで不在とは――トラブルに引き摺り込もうとしているのは明らか。
「勝手に決めないでください。辞退いたします」
「あなたともあろうお方が、生徒会会則をご存知ないのでしょうか? 生徒会長からの任命を拒否することはできません」
当然、熟知している。中等部と高等部で然程変わりはない。その会則に則り早川先輩の暴挙を、何度も止めてきた。
「コミュ力あらへんから、風紀委員にピッタリやん。あの子が風紀委員長なってくれたら安泰やわ」
他愛もない嫌味。陽菜は気にしないけれど、今このタイミングでは控えて欲しかった。<生徒会長>の権力による暴挙に対抗する術が無く、取り返しがつかないことになってしまう。
<生徒会長>は腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。
「生徒会に対する侮辱行為。看過出来ませんね。風紀委員長の仕事振り、とくと拝見させていただきましょう」
「おもろいこと言うな。何もでけへんやろ」
彼女は<生徒会長>の狡猾さを知らない様子。騒然とする内進組。陽菜に視線が集まる。
「生徒会に属す前の発言ですので……」
無駄な足掻き。<生徒会長>が任命すると言った瞬間から、強制的に所属させられている。こんな言い訳が通用しないことはわかっているけれど、打つ手が無いからそう言うしかない。
髪を鷲掴みにされる。
「風紀委員長は生徒会会則に則り、誰に対しても厳正に処分しなければなりません」
「生徒会に……一週間出席停止処分を申請します」
「<生徒会長>権限により、風紀委員長からの申請を受理します」
「何言うとんねん! そんな権利無いやろ」
無駄だ。この学校の生徒会は、そういうものなのだ。
<生徒会長>は明朗快活に別れの挨拶を口上する。
「あなたは明日より出席停止です。それでは、ごきげんよう」
<生徒会長>が退室しすぐに擦り寄られる。
「冗談やんな? クラスメイトやん。なんとかしてや」
出来ることは何も無い。返せる言葉は無く、ただ唇を噛み締める。
「そんな殺生な……」
*
十一月十六日。
陽菜は恣意的な取り締まりを繰り返し、生徒会の信頼を毀損した首謀者に仕立て上げられた。所謂スケープゴート。
風紀委員長辞任を申し出たが、未だに据え置かれている。解任すると罰することが出来なくなるため、役職を解けないと<生徒会長>が主張していることが原因。罰する目的で留任されているだけなので、権限は一切有していない。
陽菜はもとより不正に関与していない。
指揮系統は別にある。風紀委員は初めから<生徒会長>の指示により行動しており、陽菜は顔を合わせたことすら無い。未だに続いている風紀委員による恣意的な取り締まりに、陽菜が関与していないことを証明してくれる第三者が居ないため、陽菜に対する責任追及と批判の声は日々強まっていく――。
現在の陽菜は生徒会の後ろ盾が無いだけでなく、生徒会の制裁対象。
いつか現れることを覚悟していたけれど、悪を退治するという大義名分を得て、もっともらしい主張を繰り広げる活動家が現れた。
私刑が執行される――。
§ 私刑執行
校門を出てすぐ、眼前に立ち塞がった人に服を引っ張られる。
「暴行すると出席停止になってしまいます。手を離してください」
この光景が校内から見えないようにしようた、咄嗟に塀が目隠しとなる位置へ動いた。
「なんもしいひんでも処分されるさかい変わらへんどっしゃろ。ほな、こらどないですか?」
シャツの胸元を強く引っ張られ、はだける。
違う。生徒会に見られていなければ大丈夫。まだ勝手に転んだことに出来る。
陽菜は籠の中の雛鳥。
頂点に居続けたが故、井の中の蛙だった。陽菜は解決のために暴力を用いたことが無いから、言葉で解決出来ると思っていた。
「まだ大丈夫」
恐怖でそれ以上の言葉が出てこない。上手く意図を伝えることが出来ず、火に油を注ぐ結果になってしまった。
「大勢に見られてますで。恥ずかしいのによう平気でいられるなぁ。もっとよう見したってください」
(待って……嫌)
「何しても罰は変わらしまへん。せやったら、何しても構しまへんよね?」
(主張は正しい。程度は処分内容に影響しないから、彼女にとっては構わない。私個人の心情として嫌というだけ……どうすればいい? 手を出せば校則違反となり、同罪となってしまうから、抵抗する選択肢は除外……我慢して耐えていれば終わる? どうすることが正解なの?)
「……罰は変わりません。でも、やめてください」
「やめると減刑されるのん?」
周囲には囲むように人の輪が出来ている。目撃者が多過ぎる。こうなってしまったら、転んだと主張し誤魔化すことは出来ない。
「されません」
「せやったら、やめる理由無おすなぁ」
胸元を隠している手を退けようとする。誤って相手に当てることが無いよう、力を込める。ひたすら耐え続けることしか出来ない。
「ほんま、ええ表情やねぇ。隠さんと、もっと見せとおくれやす」
やめて欲しくても、相手がやめなければならないと判断するに足る合理的な理由が無い。
もういい――抵抗するのを辞め、脱力する。
*
翌朝。学校に近付くにつれ、好奇の眼差しが強まっていることを実感する。
校門前に立つ人から向けられる強烈な視線。重い前髪越しに見えたのは昨日の人。向こうからは前髪が邪魔で目の動きはわからないはず。それでも、視線を交わしたくないから意図的に視線を逸らす。
「よう来れるなぁ。明日はきいひんのやろうな」
目を合わせてはいない。離れた場所を通っている。それでも陽菜に聞かせるように大きな声で嫌味を言う。
陽菜は生徒会の制裁対象。生徒からは目の敵にされている。もはや学内には誰一人として陽菜を擁護する者は居ない。校門前で堂々と陽菜を批判する彼女が処分を受けていないことが、それを証明している。
耳に突き刺さる陰口は、彼女の口以外からも放たれる。様子を見るように小さな声で放たれていた声は、周囲の声量に合わせ次第に大きくなっていく。大きい声には、多くの声であるかのように錯覚させる効果がある。
気が滅入らないよう、聞き流そうと試みたけれど、一日中耳に突き刺さり続ける陰口に、神経はすり減らされる一方。
*
翌々朝。校門前にはまた彼女が立っている。横を通り過ぎないと校内に入ることが出来ないから、俯いたまま前に進む。
「今日も来はったんやねぇ」
視界に入る前方を塞ぐ足。進路変更を試みたけれど妨げられる。身動きを取れず立ち止まっている間、浴びせ続けられる嫌味。彼方此方から耳に突き刺さる声が精神を抉る。
なんとかして前に進もうと、人の配置を確認するために顔を上げた際、一瞬見えたゴミを見るような表情が脳裏に焼き付く。
*
「いつまで来るんやろ?」
無関係な第三者であっても、目や耳から入る情報は無意識に刷り込まれる。影響の有無に関わらず、来なくなっているかを確認するために探されるのは、精神的な負荷が大きい。
来なくなることを望まれているから、登校しなくなるまで嫌がらせはエスカレートしていく――慣れにより、人目を気にする等の躊躇いは消えた。
§ 嫌疑解消
十一月二十一日。
風紀委員が<生徒会長>から直接指示され動いていたこと、そして恣意的な取り締まりの首謀者が<生徒会長>であったことが校内放送により明らかにされた。
陽菜に対する疑惑が解消され、嫌がらせはパタリと止む――腫れ物扱いされ、距離を取られているという表現の方がしっくりくる。とはいえ、元々陽菜に親しく接する人は居なかった。陽菜自身が存在しないものとして無視されることを望み、周囲もそのように扱っていた。だからこれが元の状態。
制服のボタンは千切れ、縫い目は裂けている。
直す度に壊される日々を繰り返し、四日目に壊されるために直す意欲を喪失した。陽菜はボロボロの制服を着て、就業時刻までの時間を学校内を過ごす。
それでも昨日よりは良い――悪夢が終わっただけで十分。そう思っていたのに、また彼女の足に行く手を遮られる。
「勘違いしとりました。大きい心で許しとおくれやす」
学校内で生じた出来事については、生徒会の決定が絶対である。
彼女が処分を受けていないということは、生徒会が彼女には非が無いと判断していることを意味する。それなのに何故、敢えて接触してくるのか――。
『大きい心で』と言われたから、陽菜個人の感情についての要求しているのだろう。身体中の傷が疼く――こんな目に遭わされて、許す気持ちにはなれない。
「嫌です。私が告訴したらどうなるでしょうか。進学も、就職も絶望的になりますね」
二〇一七年の性犯罪規定改正により、強制わいせつ罪は親告罪から非親告罪に変わった。告訴がなくとも検察官が公訴提起できるようになったため、告訴の有無は影響しなくなった。
「何でもするさかい、許しとぉくれやす」
『何でも』と言うのは簡単。でも、彼女にそんな覚悟があるとは思えない。退学でもしない限り達成できないような要求をされたら、その要求を飲めるのか。
「何でも……ですか。では、二度と私の視界に入らないでください」
「他のがええわあ」
案の定。そんな要求を飲めるはずが無い。とはいえ悩むことなく、すぐに拒まれて許せてしまえるほど大きい心を持っていない。
「何故ですか? 簡単じゃないですか。学校に来なければ視界に入りません」
「他のがええわあ」
陽菜にも処罰感情や、復讐心を満足させたい欲求は湧く。
「登校出来なくなると困ると、理解しているのですね。私は来られなくなっても困らないと思っていたでしょうか? あなたにされたことと同じことをさせてください。報復したいです。それで御破算にしてあげます」
「……他のがええわあ」
「同じ台詞を繰り返していれば、許されるとでも思っているのでしょうか? 私にはあなたと話したいことはありません。贖罪の意思が無いのでしたら、無益な話は終わりにしましょう」
「他のをおたのもうします」
「面倒くさい人ですね……強制わいせつ罪の公訴時効は7年。時効を迎えるまでの間、私に隷属するというのはどうかしら。条件は全ての要求に従うこと。そうですね……将来の不利益になる要求はしないこと、服従している間は不利益になることはしないこと、この二点は考慮してあげます。これが最大限の譲歩です。他の選択肢は提示できません」
「それでおたのもうします」
想定していなかった返答。こんな理不尽な要求を飲むメリットが無い。それどころか交渉すらしてこない。期間を短くしたいとか、要望はいくらでもあるはず――それとも、要求内容をよく聞かずに答えたのか。
「大事な契約をするのですから、契約内容を口上してください。やり直しです」
陽菜が提示した契約内容を口上した上で、改めて契約締結を望んだ。
(彼女自身が望んでいるのなら、好きにすればいい)
*
十二月初旬。
契約を結んだとはいえ、本気で隷属させようだなんて思っていない。要求していないにもかかわらず、契約した翌日にはしっかりとした様式の契約書を作成して持ってきた。
胡桃は高頻度でついてきて、荷物を持つなど率先して動く。