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8 交換日記(赤面)

 どうやらトラヴィスは野菜や果物はほとんど食べないらしく、料理長も苦労しているらしい。


「トマトパスタ……ですか」


「はい、それが一番食べてくださいます。しかも具は何をいれても大概は残されますが」


 執事に紹介された料理長は筋骨隆々とした男性で――重労働のため身体を鍛える料理人は多い――アンソニーと名乗った。若々しく、まだ四十代くらいだろう。エネルギッシュな印象を与える人だが、威圧的ではなかったので安心した。


 むしろアンソニーは私の作る料理に興味津々ですらあった。


「何か追加で必要なものがあれば、遠慮なく言ってくださいね」


「ありがとうございます、アンソニーさん」


 この屋敷の厨房には素晴らしい設備はもちろん、食材も思いつくものはほとんど揃っていたが、やはり醤油も味噌などを含めた和風の食材はなかったので手配してもらうことにした。


 しかもガスが通っているチートな世界観のお陰で料理も楽にすることが出来る。こればかりは何度だって『あくでき』の作者に感謝してしまう。私は食料庫に整然と並べられた野菜をながめながら、アンソニーに尋ねた。

 

「トラヴィス様はスープとかはお好きですかね?」


 腕を組んだアンソニーが唸った。


「うーん。いや、スープだとあまり食がお進みになられないようで、最近は出していませんでした。ちなみにどんなスープをお考えです?」


「チキンスープにしようかと」


 平民の間では、チキンダンプリングスープは不動の人気を誇る。チキンと、手製の小麦粉で作ったもっちりとしたマカロニパスタをいれたスープは、体調を崩した時の定番でもある。


「ああ、それでしたら。野菜スープやオートミールスープなどは食べてくださいませんでした」


 アンソニーも色々と挑戦してはいるらしいのだが、なかなかこれというメニューが見つからないのだという。


「この料理は好きだ、のようなフィードバックはないのですか?」


 そう尋ねると、彼は肩をすくめた。

 ――ない、ようだ。


(これは強敵だわ)


 とりあえずアンソニーからも賛同を得られたチキンスープを作ることにした。その前に副菜作りだ。


 厨房の一角を使わせてもらって、私はまずたまねぎとキャベツを切り、柔らかくなるまで茹でた。本来であればキャベツは生で食べた方が良く、熱を加えると大事な栄養素が流れ出してしまう。だが今日はとりあえず食欲がない人に食べてもらうのが目的だからそんな事は言っていられない。


 買ってきてもらった醤油を使って、ドレッシングを作る。醤油、砂糖、酢で作る甘酸っぱいドレッシングは、アントン先生や、メグ、アガサさんなども好きだから、きっと受け入れやすい味なのだと思う。

 茹で上がったたまねぎとキャベツに自家製ドレッシングをかけて、きゅうりを切って添えた。

 

 この国ではチキンスープはトマト味が定番だ。アンソニーも、トラヴィスに出したのはトマト味のチキンスープだという。何しろ具合の悪い人が食べるチキンダンプリングスープもトマト味なのだ。だが、胃腸があまり活発でないときにトマト味は強すぎるはずだ。


 鶏肉をほろほろになるまで煮込み、人参やセロリ、じゃがいも、マッシュルームを一緒に煮こむ。塩コショウ、それからローリエとタイムで味付けするだけだが、肉と野菜、きのこの旨味で十分に深みが出る。美味しいだけではなく、何より滋養に良い。


「シンプルな具材ですけれど、すごく良い香りがします。トマト味じゃないのもいいものですね。他は、俺が作るのと何が違うんだろう?」


 鍋をのぞいたアンソニーが感心したように頷いている。


「そう言って頂けて、嬉しいです。違いがあるとしたら、ハーブかもしれませんね。私はローリエとタイムを使いました」


「ふむ。確かにどちらもスープにいれたことがありません。味見してもよろしいですか?」


「どうぞ」


 彼は料理人らしく、少量のスープを皿にとって口に含んだ。

 途端、目を見張る。


「美味しい! 優しいけれど奥行きのある味ですね。なるほど、これなら食べてくださるかもしれない」


「ありがとうございます。本当に、少しでも食べてくださるといいのですけれど」


 アンソニーの後押しをもらえて私は嬉しくなって微笑んだ。


 盛り付けにもこだわった。

 人は目でも食事を楽しむ。だから白い皿に盛り付け、色味がはっきりするようにした。

 

 (食欲がないということだから――少なめで)


 “これくらいなら自分でも食べられるかな”というくらいの少量を盛り付けるのは、食欲不振のときのお約束だ。おかわりをしたくなるくらいの分量が最適である。ちなみにパンは消化にあまり良くないので、今夜はつけなかった。紅茶や珈琲などは添えず、水のみだ。レモン水のほうが飲みやすいかもしれないが、柑橘類は胃腸の調子によっては合わないので、念の為にやめておく。


それから私は少し考えて、手書きのメモをつけることにした。


『初めまして、新たに雇われた治療師のユーリと申します。今夜からは私が調理の担当をさせていただきます。手始めに食べやすいかと思い、スープと温野菜のサラダをこしらえました。もしお味の好みや、他、食べたいと思われるメニューがございましたら返信頂けると幸いです』


 私がさらさらっとメモを書くのを、アンソニーさんは目を丸くして見ていた。


「そうですよね、治療師の方でいらっしゃいますもんね。文字が書けて当然ですねえ」


 こればかりは、クラウディアが貴族だったことに感謝するしかない。この国の平民たちは識字率があまり高くなく、文字の読み書きが出来ない人も多い。アンソニーもレシピを読み解くくらいならなんとかできるが、と言った。


「直接お目にかかれませんから、せめてメモをと思いまして」


「うん、良い案だと思います」


 果たして。


 夕食後、トラヴィスの部屋から使用人が持ち帰った二つの空になった食器を前に、アンソニーと私は視線を交わした。


「やりましたね!」


 ここしばらくトラヴィスが食べきることは珍しかったらしく、アンソニーは驚きつつも喜んでいるようだ。


「よかったです、アンソニーさんのアドバイスのお陰です」


「まさか! 俺はたいしたことはしていないですよ」


 アンソニーは慌てたように手を振ってから、笑った。それから彼は戻ってきたトレーの上にのっているメモに目を止めた。


「そういえばトラヴィス様からお返事ありましたか?」


「どうでしょう。ちょっと見てみます」


 手にしてみると、私のメモの裏側に堂々とした字で


『うまかった。この味は好きだ』


 とだけ認めてあった。挨拶も何もなし。必要最低限の返事だ。私が読み上げると、アンソニーが苦笑した。


「いかにもトラヴィス様らしいですね。でも、ユーリさんの作られた食事を気に入っておられているようで何よりです」


 これが通常運転ならば、トラヴィスはおそらく普段から言葉数が多くはないのだろう。


(そうだよね、だって『氷の騎士』って呼ばれるくらいなんだから)


「いや、さすがユーリさん。初日から快挙ですね! 明日の朝食が楽しみです。ではまた明日お会いしましょう」


「はい。またよろしくお願いいたします」


 爽やかに挨拶をしてくれたアンソニーはそのまま家族の待つ家へと帰っていった。私は部屋に戻ってから、夜遅くまでトラヴィス用のメニューを考えていた。ノートにペンを走らせながら、私はため息をついた。


(病状やアレルギーについても知りたいから、やはり直接お目にかかりたいけれど。でもお返事は書いてくださるようだから、メモは毎回つけよう)


 そう考えた私は翌日から、食事のトレーにメモを添えた。


『ユーリです。今日のメニューはオムレツとサラダになります。サラダのドレッシングには醤油、砂糖、酒、酢、それから胡麻をすっていれてあります。胡麻は少量にしましたが、お味が好きではない場合、万が一体調を崩された場合はお知らせください』


 こんな風に、メニューと聞きたいことを書いておけば、トラヴィスから返事がくる。とはいえ彼の返事は、初回と同じで、短くて時々は何を差しているのか頭を悩ませる場合もあった。


『問題ない』


(これは……胡麻は好きだったの、かな? アレルギー反応もなかった、のよね)


 アンソニーによればトラヴィスはとりたててアレルギーはなさそうだったので、その点は心配はいらなそうだ。だが、初めての食材を扱うときは別である。私は毎回しつこいくらい、メモに体調は大丈夫かと尋ねた。トラヴィスの返事はいつも『問題ない』だが。


 トラヴィスの返事をうけて、私は『トラヴィス=エヴァンス対策ノート』もとい『トラの巻』に書き込むようにしていた。


 彼とやり取りを始めてからしばらく経つが、まだ本人には会えていないものの、『トラの巻』は徐々に分厚くなってきた。


 どうやらトラヴィスは薄味が好みで、洋風メニューだけではなく、醤油や味噌を使った和風メニューも気にいる傾向があるようだ。


 ということはそこまで頑固なこだわりがないということ。


 生野菜は苦手のようだが、その野菜も火を通したり、ドレッシングを工夫すれば口にするし、その点ではあまり手がかからない。


 それからメモをやり取りするようになって思っていることがある。おそらく彼は世間で言われているような冷たい人ではないのではないかということだ。


 文字や文章は人柄が出る。彼からは大胆で、繊細で、それから真面目な印象を受けた。文字はのびのびと書いているようで、どこかきちっと枠内にまとめてあるし、私の質問には必ず答えてくれるからだ。


(といっても、まだ会えてないから分からないけどね。会ったらもうめっちゃ冷酷だったりして)


 あれから数回最推し――セルゲイは厨房にいる私を覗きにきた。


「トラヴィスが食事をとるようになって感謝している。お礼でも出来ることがあれば何でも言ってくれ」


「お礼なんて特に――あ、そういえば一つだけお願いさせていただいていいですか?」


「いいよ、私に出来ることであれば」


 私の頼みをセルゲイは快諾してくれた。


 だが、セルゲイの口からトラヴィスとの面会に関しては何も言われていない。ということは未だにトラヴィスは私に会う気はないのだろう。


 それからまた一ヶ月が経った。


 私は徐々に料理の話だけではなく、雑多なことも書き記すようになっていた。


 例えば昨日の晩ご飯につけたメモはこうだ――


『ユーリです。今夜のメニューは、たまごのパイ包み、ヘーゼルナッツとじゃがいものプティングと、野菜スープになります。今日はお昼間に久しぶりに市場にいきました。そこでなんと新鮮な豚肉と、いくつかスパイスを手に入れることができまして、感激しています。明日の昼には美味しいカレーを作りたいと思います。明日を楽しみにしていてください』


(自分で読み直しても長いな)


 トラヴィスからの返事はこうだ。


『今日のたまごのパイ包みは好みの味だった。また食べたい。それからカレーなど聞いたことがないが、そこまで言うなら明日カレーとやらを待っている』


 相変わらず返事は短めではあるが。

 それでも。


(うん、やはり『氷の騎士』ていう感じはしないな……)

 

 そして私はある夜、トラヴィスからのメモを机の上に並べてあることに気づいた。念の為トラヴィスの返事は全て取ってある。ということは表は私からのメッセージで、裏は彼からの返事だ。しかも朝昼晩あるので、かなりの枚数になる。


これはまさしく。


(……交換日記!!)


 転生前の二十三年間、また転生後も合わせて、一度も交換日記などしたことのない私は――なんだか気恥ずかしく、顔が真っ赤になった。だってまるで小学生みたいではないか。


(うおおおお、なんでそんなことに気づいてしまったんだ)


 けれど、翌日からも私は彼と交換日記をするのである。正直に言えば、トラヴィスと『交換日記』をするのは何故か、意外に面白かったのである。

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