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7 私が雇われた理由

 私は思わず、といった風に苦笑した。


(さすがセルゲイ、女性を褒めるのはお手の物ね)


 もちろん、褒められて悪い気はしない。


 それでもユーリ、もしくはクラウディア=サットンは凡庸な容姿の持ち主だと自覚している。金褐色の髪も翡翠色の瞳も、この国では貴族平民問わず、珍しい色ではない。


 二十三年間親しんできた鈴木有理の顔とは違うが、クラウディア=サットン、もといユーリの顔も私は好きだ。でもそれは自分だからこそで、他人からみたら私は平凡な顔立ちに過ぎないはずだ。


 しかも診療所で働くようになってから、貴族令嬢の嗜みである長髪をばっさり切ってしまった。ケアしている十分な時間もないし、上質なオイルも買えなくなったのも理由の一つだ。今も肩下の髪をひとつにくくっているだけで、あまり女性らしさは感じられないだろう。


 要するに、普段美女たちに囲まれているセルゲイが、私のことを美しくて、などと思うわけないのである。


 そんな私の心中をセルゲイはお見通しだったようだ。


「なんだか私の言うことを信じてないようだね」


 セルゲイの表情が、感情のつかみにくいものに戻る。


「え?」


「女性と見れば、誰彼構わず褒める男だとでも思ってる?」


(――思って、ます。思ってるっていうか知ってるっていうか)


 セルゲイ=エヴァンスが貴族社交界で他に類をみないほどの伊達男であることは、読んで知っています。とは、言えない。その代わり、私は素直に思ったことを話した。


「トラヴィス様の治療には私の容姿は関係ないのではないか、と思っていました。トラヴィス様は私が女性であるということでお嫌になるみたいですし」


 私の指摘にセルゲイはキョトンとした後、爆笑しはじめた。

 

「ご、ごめん、ははは、気を悪くしないで欲しい」


 そう言いながらセルゲイは笑い続けている。


(最推しの爆笑、めっちゃ尊い)


 普通の貴族令嬢だったら失礼なと怒るかもしれないが、私は基本セルゲイのファンなので、ただただ彼の笑顔が尊いばかりだ。心の中で、推しの笑顔の供給を感謝する。


「あー、こんなに笑ったのは久しぶりだよ」


 何がツボにハマったのかはわからないが、セルゲイが会話を楽しんでくれたのであれば何よりだ。私は微笑んで、頷いた。


「うん、やはり貴女に引き受けてもらいたい。貴女は私に興味がないんだな。こんなにフラットな女性に会ったのは初めてだ。ほとんどの女性は私と見れば、最適な交際相手だと思って迫ってくるばかりだから、つまらなくてね――本当にいいなと思った女性は他の男性が好きだし」


 最後のつぶやきは、まるで独り言のようだった。


(アンジェリカのことかしら!?)


 もしかしたらヒロインであるアンジェリカとのあれこれは既に終わっている時系列にいるのだろうか。だが今まで『あくでき』の登場人物が周囲にいなかったから確かなことはわからない。


「トラヴィスも貴女になら心を許すかもしれない――時間はかかるかもしれないが、それでも手助けをしてくださると嬉しい」


 セルゲイは本当に私のことを気に入ってくれたようだ。そんなセルゲイの真摯な頼みに心が揺さぶられる。


 セルゲイが最推しだからという理由ではない。


 この屋敷にやってくるまで、私はきっとすぐにフォスター先生たちの元へ戻るのだろうと考えていた。だがこうして助けを求めている患者さん、患者さんの家族と話すと思いは揺れた。


『患者さんのことをほっておけないでしょう?』


 フォスター先生の笑顔が脳裏をよぎった。


『独り立ちの時期なんですよ』


 メグの声も響いた。


『いつでもここへ帰ってきてもらっていいのよ』


 私は一度瞳を閉じて、開けた。


「わかりました。やれるだけ、やってみたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」


 ☆


 住み込みでと依頼された理由は、アガサ亭で私の料理の腕が話題だったかららしかった。


 あれからセルゲイはすぐに呼び鈴を鳴らして執事を呼ぶと、私を部屋に案内するように頼んだ。私にあてがわれたのは、厨房のすぐ隣――普通であれば料理長の部屋だ。部屋は広く、本棚、机、椅子、それから暖炉や窓もついている。ベッドも立派なもので、マットレスも布団もふかふかだ。


 一介の治療師に対して、十分すぎるほどの待遇だ。聞けば料理長は、近所に家を構えているらしく、この部屋はずっと空室だったとか。


 セルゲイは私にトラヴィスの食事を作るようにと頼んだ。


「トラヴィスは食すらも細くなってしまってね。それでアガサ亭で聞いた所によると、貴女は少し風変わりなスパイスを使うが、どれもこれも美味しいのだと」


(風変わりなスパイス……? あ、醤油と味噌のことかな? セルゲイは和食風の食事はしていなかったっけ……)


 そういえば、セルゲイの食事風景を小説で読んだことがなかった。


 『あくでき』はチートな世界観で和食の食材が存在している。存在しているのだが、意外にも浸透はしていない。平民貴族を問わず、どちらかというといわゆる西洋的な食事が好まれているのである。

 

 思い返してみれば『あくでき』では、ヒロインであるアンジェリカが少し風変わりな令嬢設定で、他の人がしないような食事を好む、というシーンがいくつか挟まれていた。それで登場するのが、和食材なのである。そんなわけで、いつしかアンジェリカの親しい人たちの間では和食ブームが起こっていく、という流れだった。


 けれど、クラウディア=サットンや、フォスター先生の診療所周りでは、「醤油? なにそれ?」状態だった。

 

 とはいえ同じ世界で生きているはずのアンジェリカの周りで流行るのであれば受け入れの下地はあるはずだ、と患者の食事指導をするときに少しずつ味噌や醤油を使うようになった。


 塩分には気をつけなければならないが、カロリーを控える必要があるときに和食は最適だ。野菜を食べるメニューも多い。


 ちなみに豆腐を使ったメニューは、私の患者さんの間で現在流行りつつある。揚出し豆腐なんて、体質的に肉が受けつけられない患者さんたちに大人気だ。そんな風に、受け入れられやすい食材や味というものは確かに存在している。


「わかりました。では今夜の夕食からやってみましょう」


 私が承ると、セルゲイはほっとしたかのように短い息をついた。


「ありがとう、料理長に貴女の助けになるように執事を通して伝えよう。――本当に、貴女のご助力に感謝する。トラヴィスになるべく早く貴女に会うように……うん、そうだな、どうにかして一日でも早く会えるように、私も考えてみるよ」


 セルゲイの口ぶりが気になったが、もちろん余計なことを言うつもりはない。


「ええ。一度で結構ですので直接お目にかかれると、状況を把握しやすいので助かります」


 私の答えに、セルゲイは分かっているよと頷いた。


「なるべく、早く対応したいとは思っている――では、また近いうちに」


「かしこまりました」


 シンプルなワンピースしか着ていないものの、私はセルゲイに敬意を示して、カーテシーをした。

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