33 両親との再会
「よく来てくれた、クラウディア!」
サットンの両親は私とトラヴィスを大歓迎してくれた。彼らは以前の屋敷とは比べものにならないくらいのこじんまりとした家に住んでいた。家の内装はとてもシンプルで必要最小限の家具しかなかったし、彼らの着ている服も以前とは比べると格段に質素だった。二人とも少し痩せてはいたが、顔艶もよく、健康そうだったので安堵した。
「お父様、お母様、お久しぶりでございます」
私はクラウディア=サットンとして、カーテシーをする。
「サットン侯爵、侯爵夫人、お初にお目にかかります。トラヴィス=エヴァンスと申します」
私の隣でトラヴィスが騎士の礼を取ると、両親ともにきちんとした礼を返した。
そうしてこれまた小さい応接間に案内されると、お互いに向かい合ってソファに座る。
「クラウディアからもらった手紙で読んでいたのですが、まさか本当にエヴァンス侯爵家の御次男であらせられるトラヴィス様がいらっしゃるとは……」
躊躇いがちに父が話し始めると、伊達眼鏡をかけたトラヴィスは頷いた。
父の戸惑いはもっともなもので、それはエヴァンス侯爵家がサットン侯爵家よりもずっと裕福で、社交界でも名前が通り過ぎるほどに通っているからだ。しかもサットン家はすでに没落しているから、クラウディアの婚約者となってもトラヴィスにはなんのメリットもない。
その上、トラヴィス自身が氷の騎士として王都でも有名だった。両親ともに半信半疑だったのに違いない。
「突然の話で恐れ入りますが、私はクラウディアを妻に迎えたいと思っています」
膝の上に手を置いてピンと背筋を伸ばしたトラヴィスが、はっきりと言いきった。
「それは……私どもからしたら、ありがたいとしか言いようのないお話なのですが……」
両親が顔を見合わせた。父親が恥を忍んで、と言わんばかりに切り出す。
「おそらくお聞き及びだとは思うのですが、我が家は私の過ちのせいで爵位を剥奪となりました。今はなんとか自分たちの生活だけは、といった状況でクラウディアにも何一つ思うようにしてあげられずに……」
両親がつましい暮らしをしているのは一目瞭然だった。
「いえ、どうぞお気になさらず。というのは、私もこの足のこともあり、また生まれのことで侯爵家とは縁のない暮らしになるからです」
それからトラヴィスが簡単に自分の出自を話し始めた。さすがに彼の両親の全てを話すことはしなかったが、それでも誠意ある対応だったと思う。そして自分が今後も家督を継ぐことがない、と彼ははっきり言葉にした。
「そんなわけで、私はこれからもクラウディアと共に街で暮らそうと考えています。家族はすでにクラウディアのことを受け入れており、もし私に何かありましたらエヴァンス侯爵家が彼女を守ることを誓います」
「なんと、そこまで言っていただけるとは……」
トラヴィスの決意に、父が感銘を受けたかのように囁いた。父の隣で母もうるうると瞳を潤ませている。
「何しろクラウディア本人が貴方様と一緒に生きたいとはっきり手紙に書いておりましたので、もとより私どもには反対の意思はありません。その上でそのようなもったいない言葉を頂けるとは……」
父がソファから立ち上がって、左手を心臓の上に置き、頭を下げた。
貴族同士ではなく、まるで父がトラヴィスの使用人であるかのような動作だった。
「我が家には差し出せるものが何もなく心苦しいばかりですが、どうぞこれからクラウディアをよろしくお願いいたします」
「どうぞ顔をおあげ下さい、サットン侯爵」
トラヴィスがはっきりとそう呼びかけると、父の体が震えた。
「私はサットン家の宝をいただいた気持ちでおりますから他に何も必要としておりません。クラウディアは得難い女性ですから」
父が泣き笑いの表情を浮かべトラヴィスに向かって頷くのを、私は瞼に涙を浮かべながら見つめていた。
それから二日滞在させてもらった。
サットンの両親は喜んで彼らの住んでいる街を案内してくれたし、私もトラヴィスと共に散策する時間も持てた。いわゆる田舎の都市ではあるが、その分住んでいる人々はのんびりしていて気が良さそうだ。
空気も水も綺麗で、野菜は新鮮そのもの。それにもう貴族ではないので、両親は王都で暮らしていた時とは比べものにならないくらい、歩いていた。
歩くことは全ての健康の基本でもある。自然と足腰が鍛えられた両親の顔色が良い理由がうかがい知れた。
そして。
のどかな田舎だからこそのこともある。
もう婚約者だということで、隣同士の部屋をあてがわれた。
それこそアイヴィー=エンドの料理長の部屋よりもずっと狭い。だが二人でソファにぴったりと並んで座ると、他のことなど何も気にならない。
「別に同じ部屋でもいいんだがな」
と、彼が言うので、さすがにサットンの両親の家では、と一瞬で真っ赤になってしまう。彼はじっとそんな私を見つめてから「そんな顔の有理が見れただけでよしとするか」と額に軽いキスを落とす。
「しかし、しばらく有理の作る美味しい食事が食べられないんだな」
この都市ではそこまで和食素材が手に入らず、トラヴィスは少し残念そうだ。
しばらく、とは、王都に戻るまでという意味だろう。私は苦笑した。サットンの両親は通いの料理人を雇っていて、腕はなかなかのものだったから文句はない。
「いいの。今の私はユーリじゃなくてクラウディアだから」
「そうだな、違いない」
気を取り直したように彼は明るく笑って、今度は私のこめかみに唇をあてた。
「お前の作る料理は本当に美味しいから、ご両親にも食べてもらいたい気がしたが……。クラウディアとして甘えるのも大事だよな」
「うん……そうだね」
両親とは手紙ではやりとりをしていたものの、会うのは数年ぶりだから積もる話ならいくらでもある。私が治療師になったことを両親はとても誇りに思っていてくれて、フォスター先生とメグに心から感謝をしていた。そんな両親は、私が側にいる間は出来るだけなんでもしてやりたいと思ってくれている。
「素敵なご両親だな。二人とも、お前のことが大好きだ」
「うん」
私は、そっとトラヴィスにもたれかかった。
トラヴィスがいて、両親がいてくれる。
クラウディアも、有理もどちらの私も愛されていることを改めて実感できた旅となった。
(私は、幸せ者だな)
そこへ。
「にゃぁぁぁぁん」
「あ、ノワール」
私はぱっと振り向いて、窓辺を確認した。かりかりっと窓を引っかいているのは予想通り小さい黒猫だ。ソファから立ち上がって窓辺に近寄れば、ノワールはにゃんにゃん鳴いている。
「ノワール? 君の家の飼い猫?」
「違う、野良猫だよ。勝手に名前をつけたの。黒いから」
「いつの間に?」
「昨夜遅くに来たんだ」
「昨夜、だって?」
訝しげに呟くトラヴィスにそう説明しながら窓を開けてやる。するりと軽い身のこなしで入ってきたノワールは、人懐っこくて可愛らしい。野良猫と言ったが、多分、どこかで飼われている気もして、その証拠に毛はぴかぴかに輝いている。
田舎だからか、自由なのだろう。そういえば街でも野良猫と野良犬を見かけたから。
手を差し伸べると、ノワールはすりすりと体を寄せて、私が抱き上げると満足そうにごろごろと喉を鳴らした。
(ああ、かわいい)
猫や犬の与えてくれる喜びは、格別だ。私はにこにこしながら振り向いて、こちらを見つめているトラヴィスが変な表情をしているのに気づいた。
「猫、大丈夫? もし無理だったら、外に出すけど」
かつて猫に同化してしまう、と怯えていたトラヴィスだから心配してそう尋ねた。実は昨夜も、トラヴィスに声をかけようかと思ったのだが一瞬そのことが頭を過ぎって黙っていたのである。
「いや、外に出す必要はないよ――気持ちも落ち着いているし」
トラヴィスがそう答えてくれて、私は彼の顔色が悪くなっていないのを確認してから、ノワールを抱いたままソファに戻る。
「みてトラヴィス、めっちゃ可愛いの」
右手でそっと喉の下を撫でてやると、ノワールは気持ちよさそうに目を細めている。
「……たしか、にな」
「こんなに触らせてくれるなんて、いい子ねぇ。毛も艷やか、気持ちいい〜〜!!」
「……」
私は腕の中の子猫に夢中になった。
それからしばらくトラヴィスは黙りがちだった。しばらくかまってやるとノワールは満足したのか、またにゃあにゃあ言い出した。おそらく外に出たいのだろう。
餌をやるともっと頻繁にやってくるだろうから、餌付けはしない。私はノワールを窓から出してやり、手を洗ってからソファに戻った。
「どうしたの?」
「……どうした、とは?」
「やっぱり猫っていうのがよくなかった?」
そう尋ねると、トラヴィスは一瞬答えを逡巡した。
「いや……そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
「……」
「言いたくないなら、無理して言わなくていいよ?」
センシティヴな領域だったら、と思ってそう言い添えるとトラヴィスは首を横に振る。
「いや、その……俺も猫になったら、あんな風に有理に可愛がってもらえるのかなって思ってたんだ」
「――!」
私は目を見開いた。
みるみる真っ赤になった彼は片手で自分の顔下半分を覆った。
「くそっ、俺は何を言ってるんだ……!」
トラヴィスが可愛くてどうしたらいいのだろう。
「トラヴィスだったら猫じゃなくても可愛がるよ?」
「いや、いいんだ。俺がお前を可愛がりたいのに、俺は……!!!」
「いいじゃないの、お互いに可愛がりましょうよ。時には私、時にはトラヴィスが、ね?」
そう言って私が笑うと、トラヴィスはやがて手を離して、一緒に笑ってくれたのだった。




