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3 転生令嬢、治療師になる

 この国ではフォスター先生のように、貴族を診療できる医師になるためには王宮指定の試験に合格している必要がある。ちなみに平民のみを診察する町医者に関してはその限りではない。


 そしてフォスター先生のような資格持ちの医師の手伝いをする人を“治療師”と呼び、これもまた同じように王宮指定の試験があった。


 フォスター先生には専属の治療師はいなかったため、私は診療所の手伝いの傍ら、試験に挑戦すると決意した。試験の内容は、教養科目と実技で、先生が親身になって相談にのってくださった。


 ここでは前世の記憶が大いに役に立った――現代日本ほど医療が発達している国はそうないだろう。とはいえ、さすがに治療師の試験は簡単なものではなく、しばらく時間はかかった。

 

 けれど、自分の居場所は自分で作るしかない。


 自分のような身寄りもなにもない女性が生きていくには、ここは頑張りどころだと分かっていた。


(それに私を信じて家に置いてくださったフォスター先生とメグのためにも……!)

 

 私は寝食を忘れて、試験勉強に励んだ。正直、転生前ですらこんなに一生懸命学んだことはなかったかもしれない。それだけ私は試験合格という目標に向けて、心血を注いだ。


 紆余曲折はありつつも、そうしてなんとか一年後に無事合格することが出来たのだ。


「さすがユーリさん! 合格したのね!」


 早馬で送られてきた治療師の資格証明書を手に私が喜びを静かに噛みしめていると、満面の笑みを浮かべたメグが抱きついてきた。


「本当におめでとう! 貴女は私達の誇りだわ――今夜、お祝いしなくちゃね」


 ☆


 その夜、料理上手なメグが腕をふるってご馳走をこしらえてくれた。チートな世界観のお陰で、食事に苦労しないのがありがたい。

 

 ミディアムレアに焼かれたステーキにはスパイスがふんだんに振られていて、臭みなど一切ない。温野菜のつけあわせ、サラダ、どれもこれも味がしっかりついていて、とても美味しい。それからメグ特製ストロベリースコップケーキ。柔らかなスポンジでつくられたショートケーキを大きめのスプーンですくい上げて食べる。これがまた絶品である。


 とっておきのシャンパンで乾杯をした。


「ユーリさん、治療師の資格合格、おめでとう」


「ありがとうございます。お二人のお陰です」


 シャンパンで喉を潤す。普段は忙しくてなかなかお酒をゆっくり飲んでいる暇すらないが、やはりとても美味しい。


 上品にステーキを切り分けながら、フォスター先生が右眉をあげた。


「治療師になったらやりたいことって栄養指導と、リハビリの手伝いをしたい、でしたっけ?」

 

「はい、興味がありますので」


「ユーリさんの優秀さは分かっていたつもりでしたが、やはり驚きました」


 メグがおっとりと口を挟んだ。


「治療師の資格に一年足らずで合格されるなんて、滅多にないことでない?」


「そうだなぁ……でもユーリさんはあんなに頑張っておられたし、報われて自分たちのことのように嬉しいね」


「本当に。真夜中でもお部屋の灯りがついていたものね」


 先生だけではなくメグも、治療師になるための試験の最中、親身になって何くれとなく応援してくれたものだ。私はカトラリーをそっと置くと、二人に向かって口を開いた。


「ありがとうございます、お二人のお力添えがなければとてもじゃないけれど、ここまで出来ませんでした――あの日、私を受け入れてくださったこと、本当に心から感謝しています。両親も同じ気持ちだと思います」


 当初は頻繁に手紙を送ってきていた両親も、しばらくやり取りをしているうちに安心したらしい。加えて、私が身を寄せている先がフォスター先生の家ということも関係しているだろう。それだけ先生が信頼にたりうる人物だということだ。


「本当に……なんてお礼を申し上げたらいいのか……」


 そこまで話すと、転生したのだと気づいてからの今日までの様々な思い出が蘇った。どうにかしてこの世の片隅で生きていくのだ、と決意してから、必死だった。すごくすごく必死だった。昼間は一生懸命働き、夜は夜で限界まで、治療師の資格のための勉強をして、くたくたになって眠る日々。


(そうしないと――家族に会いたくなるし)


 家族とは、転生前の日本の家族――両親と、妹だ。


 フォスター先生とメグがいなかったら。私は寂しさのあまり、耐えきれなかっただろう。そう思いながら二人を見れば、感謝の気持ちが一気にあふれた。私の瞳に涙が浮かび、声を出そうとすれば喉が震えた。


(いけないっ……!)


 日本の家族のことを思うと、どうしても寂しくなる。転生している、と気づいた直後こそは生活に慣れるのに忙しく、なんとなく素知らぬふりをしていられた。しかししばらくして、ある程度生活が落ち着くと、もう駄目だった。転生前の記憶を取り戻したばかりだからか、日本の家族への思いは強かった。

 

 胸のうちにぽっかりと穴があいていて、何であってもそれは埋められない。そしてこの喪失感は、誰とも共有することは出来ない。そして、こうやって日本の家族についてばかり考えているのも、この世界の両親に申し訳ない。サットン家の両親は、何不自由なく、愛を注いでクラウディアを育ててくれていた。

 

 そう思ってからは、悲しみが限界を超えると、夜ひっそり自室で泣く。そうしてから気持ちを奮い立たせて、翌朝また笑顔で部屋を出る。


 だから今まで、二人の前で泣いたことはなかった。

 それが今日はどうしても我慢出来なかった。


「湿っぽくしてしまってごめんなさい。泣くつもりではなかったんですけど」


 私はそう言って慌ててナプキンで目頭を押さえた。

 フォスター先生は目を潤ませ、メグも半分泣き顔のまま、口元に手をあてている。


「ユーリさん、貴女は素晴らしい女性です。平民になられて、馴染むだけでも大変だったでしょう。診療所でもいつも笑顔で一生懸命働いてくださり、その上治療師の試験にまで合格されたのは、貴女自身の努力と実力なのですよ。――私達も少しはお役に立ったかもしれないけどね」


 最後はいつもの穏やかなフォスター先生の口調に戻り、魅力たっぷりなウインクのおまけつきだった。


「ジョージったら――ね、ユーリさん、明日からもよろしくね」


 メグもにっこりと笑ってくれて、私も泣きながら微笑み返した。


「はい、これからもよろしくお願いいたします」


 ☆


 治療師になると今までとは違い、医療行為において、ある程度のイニシアティブをとることが許される。


 フォスター先生と相談しながら、私は少しずつ改革を進めた。


 診療所のスタッフに、マスク着用と手洗い、うがいを徹底させることにした。今まではフォスター先生だけがマスクをしていたので、それでは意味がないからだ。実際これで随分スタッフ間の、病気の罹患率が下がったから感謝されることとなった。


 最初は軽い症状の患者さんのリハビリを担当しはじめて、徐々に色々な症状の患者さんを任されるようになった。リハビリに関しては医療行為にあたらず、治療師が判断してもいい部分が多い。


 けれど私は必ず先生の指示を仰ぎながら少しずつ経験を積んでいった。それだけフォスター先生は優秀な医師で、様々な症例をご存知だし、経験もたくさん積んでおられる。


 そして一年が経つ頃には、顔見知りの患者さんもたくさん出来ていた。


 フォスター先生の診察室の隣にあるリハビリルームが私の主な仕事場だ。


 今朝も一番から、アガサさんというこの街でも評判のレストランの女主人が来ていた。疲れがたまっていたある深夜、自宅の階段で足を踏み外し、なんと右足首を骨折してしまったのだ。椅子に座っているしかないから、レストランでただの役立たずなんだ、と悲しんでいたアガサさんのリハビリを始めたのが半年前。大分状態はよくなってきて、それにあわせてアガサさんの表情もどんどん明るくなってきた。


「ユーリ! 杖がなくてももうだいぶ動けるようになったよ!」


 この世界にはギプスは存在せず、骨折の患者に関してはフォスター先生はとにかく固定させることに専念させてから、回復を待ってリハビリを始めるようにしている。

 最初は杖が必要だったアガサさんも、今はもう必要ない。


「それはよかったわ」


 私は患者さんには出来る限りフラットな態度で、また砕けた口調で話しかけるようにしている。最初はかしこまった口調で話していたのだが、あまり患者さんとうまく信頼関係が築けなかった。そこで、ある時からフランクな口調で話しかけるようにしてみたら、あっという間に溝が埋まった。だからそれからはそういった気安い態度を心がけている。


「足を見せてくださる?」


「はいよ」


 私は診察椅子に腰掛けた彼女が差し出してくれた右足を丁寧に診察した。動かしてもらうよう指示をして、足の状態を診る。


「うん、可動域も広がっているわ。前回より随分状態がいい……。ちゃんとリハビリしてくれたんですね」


「ああ。すごく丁寧に教えてくれたから、分かりやすかったよ。それにユーリの言う通りにしていると治りが早い気がしてね」


 患者さんがそうやって言ってくださるときが、治療師として一番幸福な時だ。私は微笑んだ。


「そう言ってくださって嬉しいです。このままリハビリを続けてくださったら、一ヶ月後にはもう元に戻ると思いますよ。来月また来てくださいね。もちろん、それまでの間にでも違和感があったらいつでもいらしてください」


「ああ」


 アガサさんは素直に頷いた。


 アガサさんが帰ると、既に次の患者さんが待っていた。そんなふうに一日が目まぐるしく過ぎていき――私はもう貴族の世界とは距離を置いたまま、このまま一生を終えるのだろうな、と思っていた――あの日までは。

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