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23 決戦は明後日

 と、思っていたのに。


 一筋縄でいかないのが、トラヴィス=エヴァンスだ。


(おかしい……気がする……)


 私は彼への好意を意識してから、距離を置こうとひたすらに頑張っていた。今までは空き時間や彼のレストタイムは、トラヴィスの求めるままに彼の側にいたが、それもなんだかんだと席を外すようにしていた――のに、結局トラヴィスにあれこれ用事を言いつけられて今までと同じように側にいる。


 厨房で食事を作る時間も、トラヴィスは何くれとなくついてくる。厨房ではいつも以上に無の表情になり、黙りこくって眉間に皺を寄せているから、アンソニーやセインが怖がって近寄ってこない。


 しかしこれらは今までとそう変わりはしないので、私としてもそこまで困るものではなかった。時間を一緒に過ごしたとしても、トラヴィスを意識しないようにすればいいだけだ。


 一番変わったのは、毎朝の外での散歩時間だ。


 トラヴィスは、セルゲイに許可を取ったといい、屋敷の周りを散歩をするようになった。

 まずは表玄関の前に広がる、薔薇の咲き乱れる庭園をとトラヴィスは所望した。景観に優れたアイヴィー・エンドを背景に美しい庭園をトラヴィスとゆっくり歩くのは私にとっても良い息抜きとなっている。


 朝露に濡れた薔薇も、みずみずしい草花もどれもこれも生命の輝きを湛えて健気に咲いている。そのうちの一輪に私は目を止めた。昨日までは蕾でまだ咲いていなかった。


(あ、この花って、えっと確か――)


 目の前の花につい意識が逸れかけ、もう少しよく見ようと身を乗り出した。すると、ぐい、と私の右腕が引っ張られた。

 

「離れるなよ」


「あ、はい……」


 私がそう言って、トラヴィスの隣に戻ると、彼はどことなく満足そうな顔になった。彼の左手が再び私の腰に回される。


 ――そう、一番変わったことは、二人で歩く時の距離感だった。


 ☆


『杖をなるべく使わないで歩きたい』


 アンジェリカとのお茶会があった日、予定よりかなり遅れたがリハビリをしたいとトラヴィスに呼ばれた。開口一番そう言われたので、私は瞬いた。


『杖を、ですか?』


 確かに少しずつとはいえ右足の火傷跡は良くなっているし、貧血もほとんど起こさなくなっている。だから杖がなくても歩く練習をしてもいいかもしれないが、こんなに急にどうして――。


(あ、そっか、アンジェリカか)


 その名前に思い至り、すとんと納得した。


(アンジェリカの元に戻りたくなったのね。だから杖なしで歩きたいと思ったんだわ)


 ズキン、と恋心を自覚したばかりの胸は痛む。

 だが、リハビリに置いて明確な目標を持つことはとても大事だ。彼がそうやって具体的なゴールを胸の内に描けたことは治療師としては喜ぶべきことだ。

 彼のリハビリが順調に進めば進むだけ、彼とのお別れが近づくだけだとしても。


『最初は難しいだろうから、お前に支えてもらわないといけないと思うが……』


 私は笑顔を作った。


『それは大丈夫です。私、鍛えていますから! 最初は短い時間からになるとは思いますけど、今から早速始めましょうか? まずは室内がいいかと思います』


『ああ』


 そう言って、彼から杖を受け取れば、思っていたよりもスムーズにトラヴィスは歩いてみせた。翌朝から、外歩きの際も杖を外す時間を長くしていっているのだが……とにかくどうしてか、彼との距離が近い。彼が私の腰に手を回して離そうとしないのである。


 もちろん、転倒に備えて常に側に控えている必要はあるのだが――それにしても近いし、これではまるでトラヴィスが私をエスコートしているかのようである。最初は戸惑ったが、だがトラヴィスはこんな調子で決して私を離そうとしないので受け入れるしかなかった。


 杖なしで歩くようになり一ヶ月が経つが、すっかりトラヴィスとこうした距離で散歩をすることに慣れつつあった。

 

「わぁ、今朝も噴水の周りに小さい虹が出来てますよ、トラヴィス様。なんて綺麗なんでしょうね!」

 

 私は歓声をあげた。エヴァンス邸自慢の噴水周りに小さな虹がかかって、そこへ朝日がさしこみ、キラキラと光り輝いている。


「ああ」

 

 答えるトラヴィスの声はどこまでも穏やかだ。


 こうして二人で散歩をして、日々の気づきを共有するのはすごくかけがえのない時間だ。トラヴィスの足が治るまで、リハビリが完了するまで――アンジェリカの元へ彼を戻すまでの限られた時間ではあるが、私は精一杯楽しもうと決めている。


 どうしてか散歩が終わって屋敷に戻ってからもトラヴィスは私を離してはくれなかったが――それもこれも杖がないからだろう。


 ☆


「夜会に?」


「ああ」


 ぶすっとした表情でトラヴィスが頷いた。


「ステインバーグ家での夜会だ。行きたくないとごねたが、こればかりはエヴァンス家の次男として行く義務があると兄に押し切られた」


 ステインバーグ。

 私にはそれはピンとくる名字だった。

 アンジェリカ=ステインバーグ、ヒロインの家だ。


 もともと、あれだけセルゲイとアンジェリカが親しい間柄なのだから、夜会に招待されてもなんら不思議ではない。


「はい。いつになりますか?」


「明後日の夜だ」

 

 ソファに座ったトラヴィスはため息をついている。彼の目の前には空になったココアのカップがあった。朝の散歩と昼食の間のティータイムにココアを飲むのが彼の日課になりつつある。 


 私はローテーブルからココアのカップを取り上げて、バーカートにのせた。これから厨房に行って、彼の昼食を作る予定だ。


 ちなみに今日は、トラヴィスからまた作って欲しいと頼まれていた、牛すじ肉串をいれたポトフの予定だ。ソーセージに加えて、牛すじ肉串をいれることで栄養価がアップする。牛すじ肉串はおでんにいれても美味しいから、ポトフにいれても合うのではないかと思って以前試してみたら、殊の外彼が気に入ったのである。

 

 私は振り返ると、トラヴィスを見下ろした。


「では明後日はリハビリはいつもよりは減らしましょう。夜会で足が痛んでも困りますし……」


「まぁ杖は持っていくし、すぐに帰るつもりだから、リハビリはいつも通りでいい――だがお前が準備する時間が必要か」


 私は首をかしげた。


「準備、ですか?」


 トラヴィスは当たり前だろう、と言わんばかりに腕を組んだ。


「お前も行くんだ」


「え……えぇ〜!?」


 私はぽかんとした。トラヴィスがふんと鼻を鳴らした。


「俺はまだリハビリ中だぞ。治療師を同行させるのはおかしくないだろう」


「リハビリ中……、まぁ、そうですけど……ね」


 私がためらいつつも頷けば、トラヴィスが珍しいことに困惑の表情を浮かべた。


「トラヴィス様、どうかされました?」


 彼はぐしゃぐしゃに自分の銀色の髪をかき回した。セルゲイならともかく、普段あまり自分の感情をあけすけに見せないトラヴィスが珍しい。


「俺は……、人前に出るにあたって、お前に話しておかないといけないことがある」


「……はい」


 トラヴィスは真面目な話だから、そこに座って聞いてくれ、と私に目の前のソファーを勧めた。私は素直にそれに従い、背筋を伸ばした。


 トラヴィスは一度口を開き、また閉じた。彼の逡巡が伝わってきて、私はただ黙って彼のタイミングを待つ。


 しばらくして、彼がもう一度口を開いた。


「いいか、今から俺が何を言っても笑うなよ」


「笑いません」


 トラヴィスはじっと私を見つめた。


「緊張しすぎると、俺は……その、普通では考えられない、奇妙な行動を取るかもしれない。だからこそお前に側にいてもらう必要があるんだ」


「奇妙な行動……?」


「ああ。俺は人に近寄られるのが極端に苦手だ。だが今までは仕事だと思うとなんとかやり過ごすことが出来た――とはいえ、後で反動が来たりはするんだがな」


 それは確かにセルゲイが言っていたことと同じだった。


「最近、人前に出る機会がほとんどなかったから、自分でもどんな反応をしてしまうのか分からない。だが……お前が側にいると、俺の心は落ち着いているから……だから夜会でも側にいてもらいたい」


(そういうことか――治療師が側にいたらそれは気持ちが安定するよね)


 得心した私はすぐに頷いた。


「承知しました。そういうご事情であれば、同行させていただきます」


 そう答えると、トラヴィスが滅多に見せない心から笑みを浮かべた。


「ありがとう。そうだ、お前のドレスを用意しないといけないな」


「えっ! それは必要ありません」


 トラヴィスのまばゆいばかりの笑みが一瞬でかき消え、ムッとした表情となった。


「どうしてだ」


 私は混乱したが、きっぱりと答えた。


「私はただの使用人だからです」


 そこで、トラヴィスの眉間に深い皺が寄った。


「何か勘違いしていないか。お前は俺の同伴者として行くんだぞ」


「えっ!」


 同伴者となると、いわゆる使用人枠ではなくなる。なんなら、彼のパートナーとして夜会に行くことになるわけで……。


 『あくでき』ヒロインであるアンジェリカの家での夜会ということは、ヒーローであるスタングリードはもちろん、悪役令嬢のフランチェスカもいるかも知れない……。そんな中、私が、モブ令嬢以下の私が、アンジェリカが気を留めているトラヴィスのパートナーとして登場する?


(むりむりむりむり! 荷が重すぎ!)


 私がさっと青ざめて首を横に振ると、トラヴィスの眼差しが冷気を帯びた。


「お前、前は貴族令嬢だったんだろう。礼儀作法は知っているだろう、何を心配することがある」


「し、知ってますけど! これとそれは話が違います! そもそも私は使用人ですから」


「使用人だろうが、俺がパートナーとして連れていけば誰も文句をいわない。兄にも既に許可を取った」


(セルゲイ何してくれてるの!)


 私は心の中で絶叫した。


「いや本当に無理です!」


「無理でもなんでもお前は俺と行くんだ」


「えぇ〜〜!!」


 氷の騎士と呼ばれたトラヴィスは一度こうと決めたら絶対に折れなかった。


 こうして決戦は、明後日の夜となったのだった。

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