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22 ヒロイン、アンジェリカ

 部屋に戻ってから、ソファに横たわったトラヴィスの左足を念入りにマッサージをした。そのまま肩や背中、右足もほぐす。もちろん一朝一夕に治りはしないが、フォスター先生の塗り薬のおかげで、少しずつ右足の火傷痕の状態は良くなりつつある。


 それから、今ではすっかり好きなココアを淹れてやり、レストタイムだ。この時間に、以前はよくうたた寝していたが、最近はそんなこともなくなった。間違いなくトラヴィスの体力が回復してきている証拠だ。

 鉄分を意識してとり始めてしばらく経ったのも関係しているかもしれない。夜もよく眠れているようだし、リハビリに関しては全てが順調すぎるほどに順調だ。


 早めの昼食を済ませると、アンジェリカが来る前にと私はトラヴィスの部屋を辞した。最近は屋敷の一階であれば、彼も危なげなく移動することが出来るから私は必要ではないはずだ。


「今日はトラヴィス様にお客様がみえるんだってな?」


「ええ」


「セルゲイ様が今、二階のテラスで一緒に食事をしているご令嬢だよな」


 昼食の食器を手に厨房に戻ると、セインが話しかけてきた。どうやらセルゲイとアンジェリカは共に昼食を取っているらしい。確かに今日は比較的暖かいので外でのランチにはうってつけだ。


 厨房では、一日で一番忙しい時間帯が過ぎ、使用人の数もまばらだった。これからセインも昼休憩なのだという。暇らしく、まかないの食べ物がいっぱいのった皿を手に、私の後ろについてきた。


「ええ、そうだと思うわ」


 綺麗に清めた食器を片付けながら私は淡々と答えた。


「セルゲイ様がずっと熱をあげていらした方だよな、すっごい綺麗だからそれも分からなくもないけど。でもトラヴィス様にどんな用事があるんだろうな〜。婚約の申込みとかかな」


 セインはあくまでも噂話をしているだけだろうが、私には胸が痛かった。


「そうかもしれないわね」


「まぁさすがにセルゲイ様が好きだったご令嬢だから、ありえないか。でもあれだよな、トラヴィス様もいつか結婚してアイヴィー・エンドを出ていくわけだよな……? そしたらユーリも? あ、でもその前にリハビリが終わってるか」


 アイヴィー・エンドの後のことを考えておいて良かった。こうして問われても、すぐに答えられる。


 私は出来る限り自然に見えるような笑みを浮かべた。


「うん。リハビリが終わる方が先だと思うわ」


「マジか。そしたらお前、どうするの?」


 私は首をかしげた。


「どうするのって……まずはフォスター先生の診療所に戻るつもりだよ」


「え、ずっとフォスター先生の診療所にいるつもりなのか?」


「うーん、どうかなあ……。夢はあるにはあるけど……。でもフォスター先生の診療所に戻ってから、改めて考えるつもり」


 私が最後の皿をしまい終わって、棚をぱたんと閉めると、セインが少し大きな声を出した。


「――あのさ!」


「?」


 私が振り向けば、セインはどうしてか顔を少しだけ朱に染めて、真剣な表情だった。


「アイヴィー・エンドを出ても、俺と会える? ほら、お前さ、患者さんのために食事を作っていくんだろ。俺だったらさ、その、お前のレシピ通りに飯作ったりもできるし、でもそれだけじゃないけどさ!」


 一気に早口に言われた。


「え、うん、セインが仲間になってくれたら百人力だよ」


 セインの顔がどんどん赤くなっていく。


「あ――、そうだけど、そうなんだけどさ、ちがくて! その!」


 その時、厨房の廊下でアンソニーの大きな声が響いた。


「あれ、トラヴィス様? どうされたんですか?」 


(え、トラヴィス? 何か私に用事かしら?)


 私が訝しげに思いながら、セインに身振りで断ってから、そっと廊下に顔を出した。見れば既に彼の背中は厨房を通り過ぎ、先にあった。

 

 アンソニーも首を傾げている。


「ユーリさんに用事があったんじゃないですかねぇ?」


(勘違いか)


 そういえばアンジェリカと会う、と言っていた応接間はこのすぐ先である。ただ単に通りすがりだったんだろう。足が痛くて立ち止まっていたのでなければいいが、と彼の後ろ姿に目を止めたが、とりあえず異常はなさそうだったので、厨房に戻った。

 

 そういえばセインとの会話の最中だったと思い出した。


「ごめん、話が途中だったよね?」


 セインは慌てたように首を横に振った。


「いい。また今度で、いいや」


 ☆


 アンジェリカとのお茶会は思ったより長引いた。


(久しぶりに会ったらやはり大事だと再確認したのかしら)


 余計なことを考えてしまう自分が憎い。


 私は裏庭の小道を軽くジョギングすることにした。この裏庭の小道は、洗濯場にも繋がっているから使用人たちの行き来も多いが、この時間ならすいているはず。そう思って、部屋を出ると、廊下の先にトラヴィスとセルゲイ、それから――美しい金髪の女性が立っているのが見えた。


(アンジェリカ、だわ)


 少し離れたここからも分かるほどの、スタイルの良さ。細いだけではなく、きちんと女性らしい身体つきをしているのが分かる。


 夜会ではないから、イブニングドレスではなくデイドレスではあるけれど、今彼女が着ているライラック色のドレスもすごくよく似合っている。彼女のセンスの良さは作中でも何度も触れられ、織り込み済みだ。


 ゆるやかに編まれた金色の髪も、――それにここからは見えなくても私は美麗イラストで彼女の美しさはよく知っている――作中で誰もがみんな見惚れる美しい瑠璃色の瞳も……、アンジェリカをヒロインたらしめるものだ。


「じゃあね、トラヴィス。また会いましょうね」


 アンジェリカの凛とした高めの声が廊下に響いた。答えるトラヴィスの声はくぐもっていて、よく聞き取れない。


「またそんなことを言って!」


 彼女がじゃれるように、トラヴィスの腕を打つかのような仕草をした。もちろんトラヴィスは右手に杖を持っていて不安定だから、あくまでも真似だけだ。


(――あ)


 私はトラヴィスの横顔を見て、息を飲んだ。


 彼はアンジェリカに向かって、確かに微笑んでいたのだ。


 そうしてアンジェリカを表玄関まで送っていくのだろう、三人の背中はどんどん遠ざかっていく。トラヴィスが杖をついて歩くスピードに、アンジェリカは合わせている。寄り添って歩いている姿はとてもお似合いにも思えた。


(そうか……アンジェリカには、笑えるんだわ……恋じゃなかったとしても、特別な、人、なんだろうな、きっと……)


 喪失感と、悲しみが一気にひたひたと押し寄せてきた。


 どうしてだろう、私は自惚れていた。

 彼が自分にだけは感情を見せてくれているのではないかと、そんな気がしていた。


 トラヴィスの新しい顔、新しい一面を知る度に、私は彼に惹かれていく自分に気づいて、いつの間にか――。


(やっぱり私は、トラヴィスが好きなんだ……)


 気が付かない振りをし、必死に否定し、見ない振りをしてきたその思いを、私はついに認めた。


 認めたが――この思いには蓋をしなければならない。


(私はアイヴィー・エンドを去る人、モブ令嬢以下……、貴族ですら、ない)


 どうやって自分の部屋に戻ったのかは分からない。気づけば、いつの間にか私は窓際に立ち尽くして、ぼんやりと窓の外を見ていた。

 

 やがて、先程まであれだけ天気が良かったのに、ぽつぽつと雨が降り始めていった。


(私の心の中みたい……)


 ここまで来ると、私がまるで悲劇のヒロインの物語のようだ。――これはアンジェリカがヒロインの、ライトノベルの世界なのだけれど。


 私は一度目を瞑り、小さく息を吐いた。それから目を開ける。窓に打ち付ける雨の雫を見ている内に、さざなみたっていた心の中が徐々に落ちついていくのが分かった。


「大丈夫、私は……私の物語のヒロインになれるわ」


 私は一人この世界で生きるために、必死に頑張って治療師の資格を取った。フォスター先生やメグ、周囲の人にも恵まれている。この世界の両親は健在で、私のことを気遣ってくれている。これ以上何を望むものか。


 私の使命は、トラヴィスの出来得る限りのリハビリをして――彼をアンジェリカの元へ戻してあげること。


 それだけだ。

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