18 それは一体どんな意味で?
こうしてリハビリを本格的に始めて一週間後。
久しぶりに最推しであるセルゲイの執務室に呼ばれた。
指定されたのはちょうど朝食と昼食の合間、トラヴィスが自室で一休みする時間だった。
「セルゲイ様の執務室に呼ばれたので、行ってまいります」
ソファに座って本を開いていたトラヴィスが奇妙な表情になった。
「なんでだ?」
声をかけてくれた執事は、セルゲイが私を呼んだ理由は言っていなかった。
「うーん……おそらくですけど、フォスター先生が来てくださる日程が決まったんじゃないでしょうか」
トラヴィスが承知してくれた後、私は再度執事を通してセルゲイにフォスター先生の往診を頼みたい旨を伝えた。セルゲイはちょうど執務や社交の忙しい時期らしく、ほとんど屋敷にいないとかで直接は会えなかったが、やはり執事を通して快諾の返事が来た。
改めてセルゲイの許可を得て、私がフォスター先生に手紙を出したのがちょうど一週間前。多数の患者さんを抱えているフォスター先生は、診療所の合間に貴族の屋敷に往診に出向く。患者さんは待ってくれないからね、が彼の口癖で、急患を断ったりしたことも見たことがない。だから猫の手も借りたい、と言っていたのは嘘ではなく、凄まじい激務なのだ。
それでも一週間で返事をしてくださったのは、フォスター先生の誠意だ。
「であれば、俺も行く」
トラヴィスが立ち上がろうとしたので、私は慌てて止めた。
「トラヴィス様は呼ばれていませんよ? それに、今は身体を休ませないといけない時間です。休むのも、リハビリですから」
そう言うと、彼が無表情になった。
「……兄が俺について何を言おうとも、信じないで欲しい」
トラヴィスが唸るように言ったので、私は瞬いた。トラヴィスからセルゲイについて何か聞いたのはこれが初めてだった。セルゲイの口ぶりから、基本的には仲の良い兄弟だと思っていたので、私は内心驚いた。
「承知しました」
「……本当だな?」
トラヴィスが念を押してくるので、私は頷いた。
「はい。大丈夫です、セルゲイ様が何かおっしゃったら、トラヴィス様に直接うかがいます。私はもうトラヴィス様と話すことが出来るんですから」
「未来のお前の上腕二頭筋に誓えるか?」
「じょ……はい、誓います。上腕三頭筋も一緒に誓ってもいいです」
やっと少しだけトラヴィスが緊張を解いた。
「今日は上腕二頭筋だけでいい。じゃあ行って来い。リハビリの時間、忘れるなよ」
トラヴィスの許可が出たので、私は首を傾げながら、セルゲイの執務室に向かった。
☆
「あのトラヴィスが側におくなんて、ユーリは魔法使いに違いないね」
執務テーブルに座った最推しこと、セルゲイは今日も薔薇が似合う美男であった。思っていた通り、フォスター先生が明日の昼間に往診にきてくださるという用件であった。早々にその話を片付けると、執務机に腰かけたセルゲイは興味津々、と言わんばかりにソファーに座った私を見つめてくる。
(魔法使い……トラヴィスには魔女って言われるし、さすが兄弟、似ているわ)
私は苦笑しながら否定した。
「違います」
「でも、今まで主治医ですら一度しか傷を診せなかったんだよ。それがユーリが側につき始めてすぐにフォスター先生を呼ぶことに同意するなんて。本当に一体どんな魔法を使ったんだい」
「魔法は使っていませんし、私もどうしてトラヴィス様が受け入れてくださったのか、自分でも分かっていません」
これは本心だ。私がそう答えると、セルゲイがふっと口元に笑みを浮かべた。イラストであれば、背後に薔薇が咲き乱れるくらい、美麗な笑顔だ。
「無心だな。きっとそれがいいんだろうな……」
「無心ではないかと思うのですが。でも明日フォスター先生が往診にきてくださるのであれば、治療ももっと具体的にすすめられるかと思います!」
そもそも明日フォスター先生に会える、そう思えば勝手に弾んだような声が出た。フォスター先生とメグは、この世界における第二の両親のようなものだから、会えるのが楽しみだ。
「ああ、ありがとう。明日フォスター先生が往診に来てくださる時間にもし私が屋敷にいれば、立ち合おうと思う」
「承知しました。他には何か、気になっていることはありますか?」
セルゲイは首を横に振った。
「とりあえず、執事から思っている以上に全てが順調そうだ、という話を聞いている。ありがとう、ユーリ」
「とんでもないです。これからもがんばります」
「うん。期待しているよ」
会話がちょうど切りが良かったので、私はソファから立ちあがった。トラヴィスの次のリハビリ開始時間が迫ってきている。セルゲイの座っている執務机には書類が山積みになっているから、執務がたまっているのに違いない。
『あくでき』の中ではセルゲイは夜会にもよく参加していたから、昼も夜も彼は忙しいはずだ。
「では、お会いできましたらまた明日」
「ああ」
彼に向かってカーテシーをする。ドアノブに手をかけると、背後からユーリ、とセルゲイが私の名を呼んだ。
「はい」
振り向けば、セルゲイは微笑んでいた。
「トラヴィスの力になってくれてありがとう。どうか今しばらく、側にいてやってほしい」
(……?)
不思議な言い回しだ。私はセルゲイに雇われて、トラヴィスの側にいるのだ。だが、すぐに私は頷いた。
「はい、もちろんです。トラヴィス様が受け入れてくださる限りは」
そう答えると、セルゲイの笑みが深くなった。
「ああ。頼む。何があっても、きっとユーリはトラヴィスを支えてくれると信じているよ」
(何があっても……支える……)
彼の言葉を心の中で繰り返す。
セルゲイの言葉は一筋縄ではいかないはずだ。しかし今の私には、彼の言葉の真意はまったく分からない。
セルゲイはすぐに続けた。
「引き止めて悪かったね、どうか行ってくれ」
「はい――ではまた明日、セルゲイ様」
「ああ、またね、ユーリ」
私は再度挨拶をすると、セルゲイの部屋を後にした。