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15 キーアイテムはアロエです

※直接的表現を避けていますが、途中トラヴィスの怪我を説明する箇所があります

「!」


 彼はローテーブルにココアのカップを置くと、私を見た。私はまさか今日彼が本当に怪我を診せてくれるとは思わず、目を見開いた。


「右足が特に酷くて、潰れる寸前だった。それでも?」


 彼の問いかけからは何の感情も伝わってこなかった。

 

「トラヴィス様が私に見せても良いと思ってくださるなら、診させてください」


 彼は軽く左手をあげた。


「では、準備をするから向こうをむいていてくれるか」


「承知しました」


 私が背を向けると、衣擦れの音が響き、それからいいぞ、というトラヴィスの声がした。振り向けば彼はソファに座ったままだったが、膝上まではさきほどのブランケットがかけられていた。


 私は彼に断ってから、トラヴィスの前に座り、彼の素足を眺めた。


「……燭台……いや、松明、ですかね」


「いかにも」


 本人が言った通り、右足の怪我はひどかった。左足にもいくつか切り傷は残っているが、それ以外は大きな外傷は見当たらない。

 セルゲイは剣だけではなくハンマーも使われていたと言っていたが、それは骨を砕くためだったのだろう。右足の膝下に陥没した部分が見られる。


 だがそれよりも目につくのは、右足の膝下を覆うばかりの火傷の跡だ。かろうじてケロイドとまではいっていないがそれでも赤黒い皮膚が痛々しい。比較的大きな円状のものを押し当てられたように見受けられた。


「城の内部での攻撃だったから、松明を外門から持ってきて俺に押し当てたんだ。すぐに反撃して、火は落とした。だが……まぁこうして火傷は残ってしまった」


 だまし討ちのようだったとセルゲイは言っていた。

 もちろん、すぐに治療はされたはずだが、火傷の傷は治るのに時間がかかる。しかもこの様子から察するにここしばらくきちんと手当をしていない気がする。皮膚が乾いていて、塗り薬をつかっている形跡がない。


「右足が利き足なのがバレていたからな。まぁ念入りに攻撃された。とはいえ、すぐに仲間たちが助けに来てくれたから、命は助かった」


 トラヴィスはまるで命以外には無頓着なように、あっさりそう言った。


「これだけの火傷でしたら、後で熱を出されたのでは?」


 トラヴィスは肩をすくめた。


「護衛対象を守れたから俺のことはどうでもいい。それが俺の仕事だし、俺もそれなりに職務に忠実だったから――まぁそれも今は辞めてしまったからどうでもいいことだが」


 彼はくっと口元を歪めてニヒルな笑顔のようなものを作ってみせた。


「未だに痛むようなことは?」


「まぁ……明け方、とかにな、時々」


 よく眠れず、睡眠不振になる。

 よく眠れないから、食欲不振になる。  

 眠れず、食べられないから、どんどん痩せていくし、気持ちも荒む。嗅覚が落ちたりしたのもその一環だろう。おそらく私の作った料理からは匂いを感じたのであれば、それは“初めて”の料理だったからに違いない。アンソニーの料理は、この国では一般的なものだったから、その辺りの匂いには鈍感になっていた可能性がある。


 生き甲斐だったろう騎士の仕事を辞めざるを得なくて、どれだけのストレスを感じていたのか。


(自律神経が乱れているんだろうな)


 自律神経が乱れると、人によって違うが様々な症状が出る。頭痛や手足のしびれ、動悸、目眩、それから貧血も起こりやすい。


 私はそこで治療師としての使命を改めて感じた。


(やはり貧血だったんだわ。まずは貧血を治すのがまず第一。鉄分を摂るようになれば少しずつ体調は戻るはず。それから自律神経を整えながら、出来る限り綺麗に傷跡を治して――彼を再び歩けるようにしてあげたい)


 せめて杖なしで、自由に階段に登れるくらいには。


「どうした? 気分が悪いのか? だから言っただろう、これは――」


 トラヴィスが何か言いかけたが、私はがしっと彼の右手を掴んだ。


「わっ!?」


 私は彼の手を両手で握りしめながら、思いの丈を伝えた。


「トラヴィス様、私、精一杯貴方の傷を治すのにつとめます。絶対に絶対にまた歩けるようなりますからね! 絶対に!」


「あ、ああ……」


 戸惑ったかのようにトラヴィスが小さく何度か頷いた。


「そうときまれば、厨房に行ってアロエがないか聞いてきます! そうだ、最近いつお医者さまにこの傷を診せられました?」


「こ、この屋敷に来てから一度診せたきりだ」


 私の気迫に負けたのか、トラヴィスが答えた。やはり思った通りだ。ちゃんと治療をしていないではないか。それから彼は訝しげに私に尋ねた。


「アロエ?」


「ええ。火傷にはアロエと蜂蜜です! あ、トラヴィス様、このままお待ち頂けますか? アロエと蜂蜜があればすぐに傷に塗りますから。寒かったらお膝にブランケットをかけていてくださいね」


「おい、お前……」


「はい、なんでしょう?」


 私が尋ね返すと、トラヴィスは驚いているかのような表情だった。


「気持ち悪くないのか、俺の傷跡が?」


「え? どうしてですか?」


「この肌の引きつり具合とか……」


 真面目な話、私は彼の言っている意味が分からなかった。


「でもこれは、トラヴィス様が任務をこなされた勲章のようなものですから。気持ち悪いわけないです。それよりアロエが本当にこの屋敷にあったら私に塗らせてくださいね。薬ではないので、私の判断で塗っても大丈夫ですから」


 今度はトラヴィスがぽかんと呆気にとられたような顔になった。


「お前、この傷跡に触れられるのか?」


「はい。蜂蜜はあるのは分かっているのですが、とりあえずアロエがあるかだけ聞いてきていいですか? 善は急げです」


 そこでまるで奇跡のようなことが起こった。


 目の前のトラヴィスが、ゆるゆると笑みを浮かべたのである。


 笑みのようなもの、苦笑のような姿は何度か見かけたがこれは本当に心からの笑顔だった。銀色の髪を持ち、ターコイズブルーの瞳を持つ美貌の男が微笑めば、あまりにも美しかった。


 ドキン、と胸が高鳴った。


「お前、すごいな――お前みたいな人間に会ったことがない」


 奇跡は長続きせず、トラヴィスはすぐに笑みを消した。また見慣れた顔に戻り、しかしどうしてか動悸が乱れていた私は、それを歓迎した。


(あ、しかも!)


 あまりにも必死すぎて両手で彼の手を握りしめていた。顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。すぐにその手を離し、謝罪した。勢い余って主人の手を握るなんて……恥ずかしくて彼の顔を見ることが出来ない。

 トラヴィスの長い指は骨張っていて、私より幾分体温が低かった。


「すみません、許可なく勝手に手を握るなど、失礼なことをしました」


「ん? あ、まぁ気にするな――それより、アロエだろ?」


 いたずらっぽく言われた気がして、ぱっと彼の顔を見れば、眉間に短い皺が寄っているだけだった。


「はい、では厨房に行ってまいります!」


 私は張りきって部屋を出た。厨房に向かう私はまたしてもどこかで猫が鳴いているような声を聞いた気がしたのだった。

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