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1 異世界転生()してたんですか!?

 その瞬間は唐突にやってきた。


 私は、クラウディア=サットン侯爵令嬢、二十一歳。キアレス王国の王都に住んでいる。この国では珍しくない、金褐色の髪と翡翠色の瞳を持った私は、幼い頃からの婚約者もいて、ごくごく普通の貴族令嬢だった。


 ――先程までは。


「クラウディア、本当になんと言ったら良いのか……」


 目の前でうなだれているのは、サットン侯爵、私の父親である。母親であるサットン侯爵夫人は泣き崩れて、父親に寄りかかってなんとか、という状態だ。


「私の不徳の致すところだが、甘言にのせられてしまい、出資した案件が犯罪絡みだった。期せずして詐欺罪に加担してしまった。財産はすべて没収となり、侯爵家は取り潰しとなる。それからクラウディア、お前との婚約は破棄だとクーパー家から連絡がきた」


 父はおっとりした性格で、あまり物事を深く考えない。人柄はいいのだが、脇が甘すぎる。おそらくきちんと調べもせずに、儲け話にのってしまったのだろう。


「書面によれば、リヒャルトくんにはすぐに新しい婚約者をみつけて、結婚式を急ぐつもりだそうだ」


 リヒャルト=クーパー、私の幼い頃からの婚約者だ。


 不利な婚約だと思ったらすぐに切り捨てるのは、感情より実務を重んじる彼らしい。もちろん、彼だけではなく、クーパー家の総意であるだろうが。書面だけで婚約破棄を告げてきたのは、既にサットン家を見捨てているからだ。


「そうですか……」


 私は頷くしかない。


 要は、水面下では婚約破棄を考えるような出来事が起こっていた、というポーズだろう。リヒャルトの婚約破棄が、我が家の不祥事とは関係ないと対外的にアピールするつもりなのだ。


 私は両親を見つめた。幸い、他に兄弟はいない。両親はこのまま母の生家である王国の片田舎にひっこむという。母の兄――私の伯父――がこれからは力になってくれると約束してくれたのだという。


「お前は、どうする? 私達と一緒に来てもいいし、もし王都で暮らしたいのであれば、メイドとしてならば雇ってもらえるかもしれない。どこかの家の側仕えやシャペロン、うまくいけば家庭教師にだって……紹介状を用意はしてやれないが、口をきいてやれると思う」


 父が口にする未来に、母の泣き声が一層大きくなった。


「お父様」


 私は、首を横に振った。ぎゅっとスカートを握りしめた。今日まではそれなりの仕立てのドレスを着ることができたが、今後は難しいだろう。


 ――けれど、私はそこには価値を見出さない。


 だって私は――。


「どうぞ私のことはお気になさらなくて大丈夫です」


 予想外の返答だっただろう、父は絶句した。


「気にしなくていいとは、どういう意味だ? 突然すぎて状況が理解できていないかもしれないが、サットン家は取り潰しになるということはこのままの生活は維持できないし、それに――」


 無礼だとは思ったが、それ以上聞いていられずに私は父の言葉を遮った。


「理解できています。あのお父様……私、フォスター先生のところにうかがってみようかと思うのですが」


「フォスター……? 医師のフォスター先生か?」


 フォスター先生は、四十歳を過ぎたばかりのサットン家の主治医の名前だ。温厚な人柄と確かな治療の腕を持っていて、患者からの信頼も厚い名医だ。貴族の屋敷への往診もしているが、彼は町中で平民相手の診療所も開いている。行ってみる、といったのはその診療所の話だ。


「はい。診療所で下働きでもさせていただけたら。フォスター先生も猫の手を借りたいほどだとおっしゃっていましたからきっと受け入れてくださるはずです」


「そ、そうか……。フォスター先生ならば紳士だし、一度お前のことを雇うと決めたなら悪いようにはなさらないだろうが……」


 しばらく父は沈黙した。


「私の娘が、職業婦人になるということか……?」


 職業婦人というのは、主に平民の女性が仕事をしていることを揶揄する言葉だ。私は苦笑した。


「でもお父様、我が家は取り潰しになるわけですから、職業婦人にならなければ生きていけませんわ。家庭教師やシャペロンだって、結局は職業婦人と何ら変わりはないはずです」


 先程父が提示したメイドやシャペロンは、仕える家によっては確かに平民ではなく、下級貴族が主に従事する仕事だ。けれど、労働をして賃金を得ることに変わりはない。


「それはそうだが……」


 今まで両親にほとんど反抗をしたことがない私が、はっきりと意見したことに驚いた父は絶句した。それは母も同じで、先程まで泣き声が響いていた応接間がひっそりとした静寂に包まれた。


 ☆

 ☆

 ☆


(いやいやいや、あぶなかった)


 なんとか両親を説得した私は、ひとり自室へと戻った。側仕えのアニーが今までは必ずついてきていたが、その彼女も今日暇を出されたと聞いた。とはいえ、普通の貴族令嬢と違って私には手助けがいらない。……正確に言えば、今からはいらない。なぜなら。


(まさか……あんなときに気づくなんて)


 ベッドに腰かけると、スプリングがぎしりと鳴った。


 父親が「我が家はこれから大変な局面を迎えることとなる」と切り出し「お前の婚約が破棄されることとなった」と告げた時、突然頭の中でファンファーレが鳴った。


 クラウディア=サットンは、婚約者に好意をもっていた。リヒャルトは、金色の髪に碧色の瞳、見た目はまるで物語に出てくる貴公子のような整った容姿の男性だ。決して穏やかな人柄ではないが、それでもクラウディアには十分魅力的だったらしい。


 憎からず思っていた男性との婚約が破棄されるという、クラウディアにとってあまりにも衝撃的な事実が、呼び水となった。そう、このファンファーレはクラウディアの中に眠る、異世界の記憶が呼び戻されたことを知らせるものだった。


 異世界。


 有り体にいえば、二十一世紀の日本。

 私は、鈴木有理という名前で、二十三歳だった。

 大学を卒業してから、小さな会社の事務職として働いていた。

 

 先程、ファンファーレが鳴ったのと同時に、この世界が私がかつて読んだことのある『幼馴染の侯爵令息に婚約破棄されたくて、悪役令嬢を演じ始めたらまさかの溺愛ルート入りました』というライトノベルの世界観なのだ、ということに唐突に気づいた。何故わかったのかはわからない、ただ、腑に落ちたのだ。

 

 そのライトノベルはまだ高校生だった妹が大ファンだった。


 私自身は中学も高校も陸上部に所属していたのだが、選手としては大成しなかった。大学は法学部にすすんだが、法曹界に興味はなかった。


 私が大学時代に一番ハマっていたのは、何を隠そうボルダリングである。


 休日になると友人たちとボルダリングをしまくっていた私が、ある時手を滑らせて地面に激突し、足を骨折してしまった。それからリハビリに興味を持つのだが、その話はともかく、そんなわけでしばらく家で安静にしなくてはならなかった。


 それで暇にあかせて読んだのが妹の部屋から拝借した『幼馴染の侯爵令息に婚約破棄されたくて、悪役令嬢を演じ始めたらまさかの溺愛ルート入りました』略して『あくでき』だったのだ。


 ライトノベル初心者の私にとって『あくでき』はとても面白かった。四巻まで出ていたから人気だったのだとも思う。また、読了後に妹との会話がとても弾んだ。年の離れた妹とは仲が良かったが、同じ本について夢中になって喋るのは初めての経験で、それもまた楽しかったのだ。

 その後、いくつかライトノベルを読んだが、やはり『あくでき』が一番面白かった。


(しかし、クラウディア=サットンなんていたっけ)


 記憶を辿ってみると、主人公であるヒロインはアンジェリカ、悪役令嬢はフランチェスカ、ヒーローの名前はスタングリード、だったはずだ。

 クラウディア=サットンは小説には出ていなかったから、自分はただのモブ令嬢以下という存在なのだろう。


(モブ令嬢以下に転生する人生か……まぁ気楽でいいかな)


『お姉ちゃんの最推しって誰?』


 突然妹の声が脳裏に蘇った。


 高校生である妹は素直にヒーローのスタングリードのファンだったが、既に働き始めていた私にはスタングリードはあまりにも“真っ当なヒーローすぎ”た。


『私はね、セルゲイ=エヴァンスかな』


 セルゲイは物語の中盤から出てくる、いわゆる当て馬的存在の侯爵令息である。スタングリードの恋敵でもあるが、とにかく女性関係が派手で、洒落者。しかしそれが嫌味にならないくらいの上品さと美貌を持っている。会話もウイットに富んでいて、ヒロインであるアンジェリカも彼のことは憎めない。

 

『セルゲイ〜〜? めっちゃチャラいじゃん。スタンはとにかく一途なんだよ〜〜!? 激重だけどさっ』


『チャラいのがいいんだよ。男はあれくらい余裕があったほうがいいんだって』


『そうか〜〜?』


『あんたももうちょっと大人になったらわかるって』


 そこで私は目を閉じた。


 転生前の記憶を思い出したとはいえ、妹の顔はおぼろげだ。でも私は妹のことが好きだった。これ以上思い出していたら、会えないことが寂しくて寂しくて悲しくなるくらい。


(確か異世界転生は、主人公が元の世界で亡くなって気づいたら……とかだから、覚えていないけれど私……死んだんだろうなぁ)


 前世、の自分の最期はどうしてか覚えていない。けれど、自分の死に際など知りたくないから、これ以上深入りはしないことにする。


 とりあえず、ごろんとベッドにそのまま横たわった。


 現実感がない。

 転生したキャラクターたちはもっとテンション高かっただろうか?


(あー、ドレスがぐしゃぐしゃになってしまうけれど、脱ぐのめんどくさい……けど、そうか、私、転生したんだな……)


 自分の短かったかつての人生を考えると悲しくなるので、とりあえず『あくでき』の内容を思い返すことにした。


「あっ!!」


 ある重要な事実を思い出して、私はがばりとベッドの上に起き上がった。 


「醤油! があるはず!」


 そう、何故か主人公たちが醤油を使った和食を食べていて、妹に「それってどうなの!」って言った思い出がある。


 その上、魔法使いはいない設定だったのに、台所ではもちろん水道も通っているから蛇口をひねれば水が出る。お風呂やシャワーも、水洗トイレすらあった。登場人物は貴族たちなのに、何故ここで水洗トイレが? と読みながら思ったものだった。


 さすがに電気は通っていなかったが、それすらも王宮では通っていてもおかしくないくらいのチートな世界観だ。妹に聞いたら、案の定、某サイトで「世界観がゆるゆるじゃないか」「ご都合主義も極まりけり」と叩かれていたらしい。ライトノベルをほとんど読まない私ですら疑問に思ったのだから、当然だろう。


(そういえば、今まで何の気なしに使っていたけど……この家にもあるわね、水洗トイレ)


 ということはこの世界は古代ローマばりに水道が発達しているのだ。


(サットン家では醤油はなかったけど、もしかしたら探せばある……? お米はあるんだろうか!? 待って、米が食べられると思ったら突然生きる意欲が湧いてきた)


 登場人物は欧風の貴族たちだが、和風の食材がどこかに存在し、どうやらある程度は現代日本と同じくらいの文化的生活が可能な世界観。某サイトでは叩かれていたらしいが、素直にありがたい! と私は作者に心の中で何度も礼を述べた。


(市場に行くのが楽しみだな)


 それから、フォスター先生のところに行きたい、と父に言ったのは理由がある。もちろん、人柄が良いというのは最重要項目だったけれど、それだけではなく彼の医院では術後のケアをしているのである。


 私は自分がスポーツを長年していた経験から、リハビリや食事の大切さをしみじみと感じていた。高校生になってからは、自分で食事の管理を始めたくらいである。本屋にいけば、アスリートと栄養に関する本が手に入ったから、参考にさせてもらっていた。二十一世紀の日本の知識に勝るものはあるまい。


(しかもここは和食がある世界! だとしたらこの知識、役に立てることができるかも)


 モブ令嬢以下はモブ令嬢以下らしく、どうせなら楽しく自由に過ごそう。

 

 クラウディア=サットンであれば途方に暮れていただろうが、“鈴木有理”ならこの世界の片隅で逞しく生きられるはずだ。


 私はそう心に決めた。

書いてみたい題材が降りてきたので、

久しぶりの全年齢作品の投稿を始めます!

初日は数回更新します。


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