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テニス少女1 U12  作者: コビト
31/35

-8-2 ゼロポイント 再び(2)

目の前を自転車がカシャカシャと走り抜けて、そっちの方から飼い主に連れられた犬がハッハッ、ハッハッと歩いてくる。

後ろの道路を車が通る。

和仁がイメージしたブオーッという排気音は聞こえず、アスファルトに擦りつけられたタイヤがズババと音を立てた。

都会は音で溢れていた。

それら一つ一つの音が和仁の耳に入り込んできて、どうしても聞き流すことができない。和仁の頭の中は音たちでいっぱいになっている。

タンタンタンと頭の後ろ、それも上の方で職人が何かを叩く音が聞こえた。

そのもっともっと上、遙か遠い空をパリパリとヘリコプターが飛ぶのを、近くの木々たちが風の力を借りて一斉にガサガサと音を立ててかき消した。

やがて木々が音を立てるのをやめたが、都会の音が消えることはなかった。

だから和仁は耳を澄ました。

でも和仁の耳に優花の声は聞こえてこなかった。

隣に座る優花は何も言わず俯いていた。

そして和仁自身も何も言うことができなかったから、ただ都会の騒音の中で娘の声を求めた。

今日のラリーは良かった。

クロスからのダウンザラインはバツグンだった。

サーブも良くて、スライスサーブは効果的に曲がった。

いつもは悔しがったり怒ったりする夕子もゲームが終わって泣いてはいたけど、前の試合よりもっと良くなっていたと満足していた。

和仁はその言葉に疑いを持たないし、自分で見ていても今日の優花のプレーは今までで一番すごかったと感じた。

上手くなったし、そのことは今すぐにでも誉めてあげたいと思った。

優花は順調に成長している。

目標の服部七海に近付けたかどうかはわからない。

今日の様子を見ていると差が開いたのかもしれない。

それでもその高い目標こそが優花をここまで成長させた。

それはとても喜ばしいことだ。

確実に上手くなった優花はこのまま続ければもっともっと強くなるだろう。

これまで通り。

ずっと出来たならば。

「優花」

独り言のように和仁は娘の名を口にした。

「もう辞めよか?」

自分の口から漏れたその言葉に和仁は一瞬後悔した。

でもいつからか覚悟は決まっていた。

優花はそのまま下を向いていたが、和仁は娘が自分の言葉をしっかりと受け止めていると確信していた。

言葉が続かない二人の間を都会はいつもの騒がしい音を出して通り抜ける。

「ごめん」

俯いた娘の小さな小さなその声は都会の騒音にかき消されることなく、和仁の耳に届いた。

和仁はそっと目を閉じる。

冷たい風が吹いてガサガサと葉を鳴した。

「ようがんばったな」

和仁の声を聞いて優花は声を出して泣いた。

娘の泣く声を聞いて和仁は体中の力が抜けていくのを感じた。

「めっちゃめちゃのめっちゃめちゃのめちゃめちゃにがんばる」

ふと和仁の耳にそう聞こえた。

でもそう聞こえた優花の声は幼かった。

それから少しずつ大きくなっても優花は努力を怠ることをしなかった。

よくやった。

心からそう思う。

そして、これでもう優花が泣くこともなくなるのだと思った。

もともと優花は泣かない。

こんなことさえしていなければ泣くこともなかった。

だからもう大丈夫だ。

(こんなこと・・・)

家族全員が本当に一生懸命だったんだと和仁は思った。



観覧席がワッと沸いて、七海は思わずそっちに目をやった。

自分がゲームを取っても誰も盛り上がらない。

天才少女が当然のようにゲームを取ったのだと言われるだけだ。

盛り上がるのは相手がいいショットを打ったり、ポイントを取ったりした時。

そう。自分がやられた時、盛り上がるのだ。

誰も自分を応援していない。

そんなことは前からわかっているし、別にどうでもいいことだ。

なのに今日だけはそれがすごく気になった。

エンドチェンジをして七海は観覧席側に行く。

「この試合、まだまだわからんぞ」

当たり前のことを言う観客に腹が立つ。

「以外とプレッシャーに弱いんかな」

「天才は打たれ弱いもんやしなぁ」

いろんなことを言っているが、結局は自分が負けることを期待しているのだ。

イライラする。

「3ー2」

愛想なくゲームカウントを言ってすぐに打ったファーストサーブがネットにかかる。

七海はそれをまったく気にすることもなく、さっさとセカンドサーブを打った。

不用意に打ったセカンドサーブはたいしたスピンもかからず不用意にサービスライン付近まで飛んでいく。

あっと思って七海は打球の行方を追う。

それがラインにギリギリ入ったのを見て、ほっとしながら次の体勢に入ろうとしたその時、リターンがはじき出された。

七海は一歩も動こうとせず、そのままリターンエースになった。

観覧席がワッと沸く。

それに反応して七海はますますイライラを募らせた。

「こんな七海ちゃん初めて見た」

美月の言葉に凛々は何も言わず頷いた。

「集中出来てないな」

隆俊は言いながら無理も無いと思った。

七海に限らず1シードのプレッシャーは想像以上に大きい。

フェンスの後ろからだといとも簡単に勝ち上がっているように見えるが、当の本人は緊張の固まりなのだろうと思う。

第15ブロックの美月でさえ相当緊張していた。決勝の相手は公式戦でまだ一度も勝ったことがない子だったがそれでも負けたらどうしようと弱気になったのだ。

七海のブロックには急成長の坂口優花がいたし、さらにそれを破ったのが真田鈴だった。

「プレッシャーかかってる?」

それは誰でも容易に想像が出来た。

「プレッシャーと言うより怒ってんねん」

「怒る??」

「そう。七海ちゃんは実はよう怒んねん。それでも相手に負けそうとかそんなんで怒ったりはせえへんねん。ただ自分に怒ると言うか。でも今日のはなんか違う」

「うん。いつもの七海ちゃんの怒ってるのは放っといても、すぐ自分で解決すんねんけど」

「今日はそれが出来へん?」

「みたい」

確かに怒っているのは見て取れる。

ただそれはやはりプレッシャーから来るのじゃないかと思う。

「七海ちゃんはプレッシャーに強いで」

美月がそう言って凛々も同意する。

隆俊はやはり納得いかない様子だったから凛々が続けた。

「七海ちゃんは試合でプレッシャー感じたこと無いねんて」

「無い?!!」

「そう。試合は練習したことを発揮する場所やから、負けそうとか勝てそうとか思っても、それを意識したりすることはないねんて」

それが本当だっったらスゴいことだと思う。

「お父さんと練習してる時だけプレッシャー感じるらしいわ」

「あぁ、お父さんな」

隆俊はその意見にはすぐに同意した。

隆俊には怖くて見れないが、斜め後ろには七海の父親が長身の背筋をピンと伸ばして、いつもの、いや、いつも以上の怖い顔をして座っていることだろう。

「お父さんが今、プレッシャーかけてるとか?」

「あはは。試合中は何も言ってけえへんから大丈夫やねんて」

「じゃあ?」

「うーん、なんて言ったらええんかな」

凛々が言葉を探る。

「プレッシャーってマイナスな気持ちやん?」

「うん」

「少なくとも今はそうじゃないはずやねん」

「どういうこと?」

「七海ちゃんは楽しみにしててんから」

「楽しみ?!」

「おぉっ!!」

真田鈴のバックハンドがクロスを貫いて観覧席が沸いた。

「絶好調やな」

観覧席からそんな声が聞こえて、隆俊は凛々がまだまだ上げてくると言ったのを思い出した。

「あぁー、もうっ!」

思わず声を出した七海を見て、美月と凛々は顔を合わせた。

そしてすぐに視線をコートに戻すと、凛々は「このままやったらマジで負けんで」と言った。



テニス少女U12 -8-2 

『ゼロポイント 再び(2)』

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