-8-1 ゼロポイント 再び(1)
第8話 ゼロポイント 再び はじまりまーす。
真田鈴は1ゲームを取ると観客たちの目の前で「あー、よかった」と言った。
すぐにはっとして視線を上げると皆、自分を見ていたから、鈴は顔を真っ赤にして下を向いた。
「この子、ほんまに天然やな」
観覧席の一番前で、鈴の赤くなった耳を見ながら凛々が言う。
そして「このキャラの違いが今の流れに現れてんのかな」と付け足した。
鈴は恥ずかしそうに急いでベースラインへ戻った。そしてとんとんと地面にボールを突くと、すぐに集中した表情へと変わっていった。
鈴は視線を上げる。
ネットの向こうで七海がリターンのポジションについていた。
まるで力みの見えない七海のその構えを見ると鈴は少し嬉しくなった。
鈴が1ゲームを取った時、観覧席が少し沸いた。
「いよいよ始まるかな」
序盤に凛々と美月が使った「始まる」という表現が観覧席に広まっていた。
「天才が0ポイントの子に1ゲーム取られたで」
観客たちがざわざわとするのをネットの向こうの七海が見た。
七海は「天才」という口の動きはわかる。
どうせ自分のことを噂しているのだ。
七海は自分を天才だと思ったことはない。
父親も母親も言わない。
両親は口を揃えてまだまだだと言う。
なのにどこからともなく「天才だ」などと聞こえてきた。
そしてその後に「そこまでは大したことはない」と否定された。
勝手に誉められるのも、勝手にけなされるのもすごく嫌だ。
だいたいそんなことは言われなくたってわかっている。
今のトップは去年から既に上位だった。
「天才やったらもっと上位におるやろ」
だから知っている。
七海はイライラした。
観覧席なんてなければいいのにと思った。
鈴は益々集中力を高める。
七海を見ていると、どこに打っても、どこにでも返されそうな感じがした。
がんばらないとすぐに終わってしまう。
鈴は無意識にサーブに力を込める。
それを七海はいつもと同じように簡単そうにリターンする。
ズバッ。
鈴は自分の想像通り、リターンのコースを読むことが出来ず、七海のラケットからボールがはじき出されてから、慌ててそれを追いかけるしかなかった。
そしてそれにギリギリ追い付くと、少しでも体を大きくねじってボールを叩いた。
はじめは一歩も動けなかった。
このまままともな打ち合いも出来ないまま終わるんじゃないかと不安だったから、ボールに届くようになっただけで、鈴は嬉しかった。
ズバッ。
七海はやはりしっかりと肩を入れて、がら空きになった鈴のバックサイドへ運んだ。
それを鈴は懸命に追いかける。
なんとかステップなど鈴は知らない。
ただ必死に追いかける。
そして必死に体をひねって、不十分な状態からボールを叩いた。
バシン。
スピードを上げた打球が七海のフォアへ飛ぶ。
七海は少しポジションを下げるとやはりそれまでと同じようにしっかりと構えて打ち返した。
「だから、それがあかんねんって」
凛々の否定的な言葉とは逆に、観客たちは速い打球への七海の対応に関心し、イヤミではなく、改めて天才の所以を感じた。
バシン。
鈴の打球がスピードを増す。
ズバッ。
それを七海が冷静に対処する。
「ええ判断ちゃうん?」
隆俊が凛々に意見する。
「普通はそれでええんかもしれんけど、七海ちゃんはああちゃうねん」
隆俊がうーんとわからない顔をして、見かねた美月が会話に割り込んだ。
「私やったらしっかり下がって深く返すで」
「そうやろ?ハードヒッター相手に無理に打ち合う必要はないやん」
「美月ちゃんのスタイルやったらそれでええねん」
「そうやってパパに教えてもらっってるし、普段からそういう練習をしてるもん」
「そうやろ?」と凛々も言う。
隆俊も「うんうん」と頷きながら、少し違和感を覚える。
「七海ちゃんはそうじゃないん?」
「うん、違う」
凛々が即答する。そして「違うし、今は無理にでも打ち合う方がええと思うねん」と言ってコートを見つめた。
バシン。
鈴はフォアに振られたボールに追いつき、しっかりと構えたところから一気にラケットを振り抜いた。
センター寄りのバックに来たボールを、七海はうまく合わせてクロスへ振る。
鈴はフォアを振り抜いて回転した体をそのままバックサイドに向けて横へと走る。
そしてボールの近くでテイクバックを完了させると1歩だけ前に踏み込んだ。
バシン。
よりスピードを増した打球が七海のバックを襲う。
七海は鈴がボールを打つ直前にきっちりスプリットステップを踏んで、すぐにバックへと走った。
ギリギリ追いついたボールにしっかりとスピンをかけて深く高いボールを送る。
バシン。
ペースを作り出したい七海だったが、鈴はそれを認めず、バウンドした直後のボールを踏み込んで打ち込んできた。
ライジングで打ち込まれた打球は益々スピードを増す。
しかし七海はそれにも追いついて、両手でしっかりとラケットの面を作ると、ストレートのサイドラインギリギリにボールを運んだ。
「おぉっ」と観客が沸く。
「あ~ぁ」と凛々が肩を落とす。
七海の打ったボールがサイドラインを捉えた時、両手を高く上げた鈴が最後の1歩を踏み込んだ。
バシンッ。
クロスの奥深くにミサイルのような打球が飛ぶ。
反対のサイドに立ったままの七海は、それが自分のコートに突き刺さるのを見て、思わず天を仰ぐ。
「打たせ過ぎやわ」
凛々がため息混じりに続ける。
「今はかわしたらあかん。無理してでも打ちあわな」
予選で最強の服部七海が無理をしなければいけないほどなのかと隆俊は驚く。
「そんなに強い?」
「まだそんなに強くない。でも、あの子にしっかり打たせんのはまずいと思う」
場面は鈴から1-3の15-0だ。
スコアはまだ七海に余裕がある。
「あの子は打っていって調子が上がるタイプやわ。はじめは入らへんでもフルスウィングしてるうちに段々入るようになってくる」
隆俊は容易に子供の意見を受け入れず、返事をしようとしない。
そんなやりとりを横で聞いていた美月が父親に助け船を出す。
「凛々ちゃんと同じタイプやねん」
隆俊は娘の言葉にハッとして凛々を見る。
「そ。だからよくわかるねん」
隆俊は凛々からゼロポイントのチャレンジャーに視線を移す。
凛々はふぅぅっと長く息を吐いた。
そして「この子、まだまだ上げてくるで」と言った。
テニス少女U12 -8-1
『ゼロポイント 再び(1)』
終