-7-4 天才少女 再び(4)
もう何年も経ったんだなと友寄は歩きながら記憶を辿る。
その男の子は友寄がラケットの握り方から教えてきたのだ。
すべてのショット、すべての戦術、体作りまで。
他の子供はダメだった。
教えてもやらない、続かない。
まじめに取り組んだこの男の子は数年経つと予選を免除されるまでの実力になった。
本戦の日の朝、友寄がヒッティングをして「絶対に優勝してこいよ!」と言って送り出した。
朝のレッスンを1コマこなして、試合会場に向かう準備をしている時に携帯が鳴った。
男の子の父親からだった。
「友寄コーチの言う通りにしてたら勝てるんちゃうかったんか!」
父親は友寄が電話に出るやいなやまくし立てた。
「だからトップスピンに変えてくれ言うたんや。上位の子らはエッグボールばっかりやぞ」
「スピンかけて繋いどいたら1回戦で負けることなんかなかったんや」
今より少し若かった友寄は負けじと言い返した。
ケンカを買ったのでも、売りたいのでもなかった。
ただ意見をぶつけ合えば分かり合えると思っていた。
「やかましいんじゃ!こっちは客やぞ!!」
それが最後に聞いた台詞だった。
その選手がクラブを退会してしばらくすると選手コースのメンバーがぞろぞろと辞めていった。
友寄は知らなかった。
たくさん不満があったそうだ。
それなら言ってくれれば良かったのにと思うと、なんだかバカバカしくなった。
そうして間もなく、多くの生徒に辞められた責任で友寄はクラブをクビになった。
どうせクラブも自分に不満を持っていたのだろうと思った。
もはやどうでもよかった。
地元に戻ると友寄を心配した昔のテニス仲間が新しい就職口を紹介してくれた。
その小さなテニスクラブでジュニアを見てくれと言う。
マチカネテニススクール。
もちろん友寄は知っていた。
小学生の女の子しかいなくて、一番うまい子でも本戦には上がっていない。
これなら真剣にならなくてもいいだろうと友寄はその話を受けることにした。
友寄はテニスウェアから地黒の肌を覗かせて第8コートの向こうへ歩いていく。
ついさっき、第8コートで萌菜を見つけて「どうやった?」と声を掛けた。
萌菜は質問には答えず「コーチ、遅いやんか!」と友寄に文句を言った。
「コーチが遅いから優花ちゃん1試合目で負けちゃったやんか!」と言って泣いた。
「人のことで泣いてるヒマがあったら、もっと自分の練習してこんかい」
昔の友寄ならそう言っただろう。
今は萌菜が泣く理由が少しわかる気がして、友寄は「うん」とだけ言った。
「いつの間にかまた怒られるくらいになってきたな」
なぜそうなったかなど考えるまでもなかった。
優花がマチカネテニススクールに来たのは数年前だ。
優花はみんなの前で「シャラポワになりたいです」と真剣な顔で挨拶をした。
エキスパートコースという名前だけの選手育成コースに在籍するみんなはクスクスと笑ったが、「その前に追いつきたいライバルがいるので、その子に追いつけるようにめちゃくちゃがんばります」と表情を崩さず付け足した。
友寄は面倒くさいなと思った。
そして友寄がなんとなく想像していた通り、周りの子供たちもその子に引っ張られてがんばるようになってしまった。
面倒くさい友寄は子供たちがすぐに練習が嫌になるように厳しい球出しをしたが、みんな罰ゲームを楽しむように練習についてきた。
そんな中でも優花は楽しんでばかりではなかった。
笑顔を出しても次の瞬間にはすぐに真剣な顔をした。
少しでもうまくなりたい。
そういう気持ちが態度にも現れていたが友寄はそれを見ないフリをした。
それでも優花はうまくなることに貪欲だった。
「コーチ、練習の前のアップって何をしたらいいんですか?」
友寄はどこまでも冷めていたから、いい加減に説明をしておいた。
すると次の日、優花は一人で変なアップをしていた。
そしてその次の日には人数が増えていた。
しばらくするとエキスパートコースの子たちがみんなで変なアップをしていたから、友寄は仕方なくちゃんとしたやり方を教えた。
友寄には迷惑だった。
面倒を増やされるとかそんなことはまったく気にしないが、子供たちの真剣さを見せられるのが嫌だった。
どこまでも自分を抑え付けたかった友寄だったが、子供たちの遠慮を知らないその熱意を見せられるうちに、少しずつそれに応えるようになっていった。
大活躍する子供はいなかったが、みんながそれなりにがんばって、たまにいい成績を出した。
子供たちはそれらを素直に喜び、負ければ率直に悔しがった。
それでいいと思った。
この子たちにはこれくらいでいいのだと思っていた。
それが夏の大会で優花が予選で負けた時、みんなが自分のことのように悔しがって落ち込んだ。
友寄は取り残された気になった。
みんなこれくらいがちょうどいいと思っていたわけではなかった。
友寄がそれだけしか与えないから、みんなそれしかがんばれなかったのだ。
これくらいでよかったのは友寄自身だったのだから。
もっともっとがんばりたかったのに、それを友寄が与えていなかっただけだ。
なのに優花は友寄に自分の努力が足りなかったせいだと言った。
父親の和仁も本人の努力不足ですと言った。
でも友寄は自分のせいだとは言えなかった。
それから友寄は以前と方法は違うが、子供たちの真剣な気持ちに最大限応えようと努力をした。
教える側と教わる側の気持ちと行動が一致した時、それは大きな成果を生んだ。
夏の終わりから冬になるまでの間でみんなすごく上達して、間違いなく以前よりレベルを引き上げることが出来た。
そして、その成果を発揮する一区切りがこの冬の大きな大会だった。
皆、それぞれ成績を上げることが出来た。
ただ、皆の希望でもある優花に結果を出させてやることは出来なかった。
午前中のレッスンが終わって会場へ向かう準備をしていると友寄の携帯が鳴った。
優花から試合結果を伝えられた友寄は「どっちかは負けるんやから」と優花を慰めた。
そして「次にまたがんばれ」と元気付けた。
試合は必ず一方は負けるのだ。
優花はうまくなった。そしてこれからもうまくなる。
だから1試合だけの結果で気に病むことはないのだ。
優花の努力なら次にきっとうまくいく。
だから大丈夫だ。
「がんばったんやったらそれでええんやから」
最後に言った友寄の言葉が優花の心をえぐった。
「がんばってません」
「優花、がんばってません」
そう言って優花は電話を切った。
バシンバシンと打ち込まれるボールを七海は4年生ばなれした技術で捌いていく。
そのシーンだけを見ると七海のうまさが光っていたのかもしれない。
それでも凛々の解説を聞きながら流れを見てきた隆俊はそれが七海を良い方向へ導いているとは思えなかった。
そのテクニックがかえって今の「良くない」流れを作り出してしまったのだと感じた。
方法が無ければ一か八かに出れたのかもしれない。
しかし七海の持つテクニックが七海自身になんとかなるかもしれないという幻想を抱かせる。
そしてそこに訪れる現実は七海の幻想通りにはならず、小さなハードヒッターにようやくの1ゲームを奪われてしまった。
さっきまで「もう3-0だ」と思っていた観客達は、ここに来て「まだ3-1だ」に考えを改めた。
テニス少女U12 -7-4
『天才少女 再び(4)』
終
テニス少女U12「天才少女 再び」終わりました。 次回、第8話 お楽しみに☆