-7-2 天才少女 再び(2)
観覧席には上がらず、階段の横から澤田梨佐はコートを見ていた。
第3ブロックを1ゲームも与えず勝ち上がった梨佐はこれで親に文句を言われることもないとほっとしたが、本部で結果を言い終えると、父親から第8コートの試合を見るように言われた。
そこでは、梨佐の予想通り七海が試合をしていた。
七海は梨佐のライバルだ。
と梨佐の父親は言う。
梨佐は七海と同じ4年生で、その学年のNo.2だ。
順位からするとライバルと言っても間違いではなさそうだが、向こうが梨佐をライバルと認めているとは思えない。
なぜならこれまで何度か対戦した中で競ったことは一度もないのだから。
父親は負けるたびに梨佐を叱った。
もっと気合を入れろと言ったり、やる気を出せと言った。
父親は父親なりに娘の力を信じているのだ。
だから梨佐にもっと出来たはずだと言った。
でも梨佐はそれ以上は何も出来たことはなかった。
「もっと足、動かさなあかんやろ」
七海はリターンを丁寧にコーナーに運んだ。
その打球は決して速くはなかったが、対戦相手はそれにギリギリで追い付いて返球する。
そしてそのボールをまた七海が丁寧にコーナーに運ぶ。
それにもギリギリ追いついて返球するが、結局最後はガラガラに空いたオープンコートに緩く打ち込まれて9ポイント目も七海が奪った。
「はぁ、もうちょっとがんばってくれたらな」
七海の実力を見たがる観客が言う。
梨佐はだから七海との試合はイヤなんだと思う。
「天才少女が繋ぎまくるトコロまでも行かへんな」
七海が簡単そうなボールでポイントを取るから、対戦相手が弱く見える。
「相手が強いと思い込んで萎縮してんのやろ。気合が足りんわ」
そして気持ちの問題にされる。
梨佐は対戦相手と自分を重ね合わせる。
対戦相手は右に左にと走らされていた。
そしてようやく追いついたボールをバシッと打ち込んでみたものの、それも大きくアウトして10ポイント目も奪われた。
「もっとがんばらな1ポイントも取られへんで」
(がんばってるかもしれんやん)
梨佐は対戦相手の弁護をする。
(なんでがんばってないってわかるん?)
梨佐自身、七海に勝つことを目標に毎日毎日練習をしている。
初めての試合は0-6だった。
それでもめげず前向きにがんばった。
次の試合は2-6だった。
なんとか2ゲームを取って、次こそは絶対に勝つんだと決めて、練習もそれまで以上に力を入れてがんばった。
だけど3回目の試合は0-6に戻った。
まったくミスしない七海の打球をひたすら追い回して拾い打ち返しても、最後には七海に決められた。
それでも出来ることは精一杯やった。
どのゲームも勝つつもりでやったし、次は勝てると信じている。
今まで一度だって諦めたこともないし、がんばらなかったことなんてなかった。
「あかん。また同じや。もっとがんばらな」
(がんばってるに決まってるやん)
梨佐は一方的に決めるつける大人のことがキライだった。
「あれじゃ、あかんな」
隣に来たテニスウェアから地黒の肌を覗かせたおじさんが呟いて、梨佐はそっちをキッと睨んだ。
「と言うか、あの子が何もさせへんのか」
梨佐は睨んだままそのおじさんを見る。
七海は11ポイント目も丁寧に打ち返す。
「ただ丁寧に打ってるだけやのになぁ」
観覧席の前の方で子供と一緒に見学している大人の声が聞こえる。
「ちゃんと構えて、ちゃんと打つ」
隣の真っ黒なおじさんがまた独り言を再開して、梨佐はそっちを見た。
「それってすごい武器になんねんで」
と真っ黒いおじさんが梨佐を見ながら言って、梨佐は驚いて目を逸らした。
「それでも、相手はなんとかせな、あかんもんなぁ」
梨佐はコートに視線を向けたまま、真っ黒いおじさんの言葉に耳を傾けていた。
真っ黒いおじさんもコートに視線を移した。
そこでは対戦相手が強引な強打でミスを出していた。
(それやったらあかんねん。自滅やん)
梨佐は自分が七海と対戦した時のことを考える。
七海の安定したショットに負けて、無理をしだすとミスを重ねて一気にゲームを奪われるのだ。
「ここでキレたら終わるな」
観覧席で好き勝手に言う大人と今は梨佐も同じ考えだ。
そして七海の対戦相手はそれには気付かず強くボールをヒットする。
速いだけでコースを付かない打球は七海に難なくコーナーへ返球される。
自分の打ったスピードボールの力を利用して速くなった七海の打球を懸命に追いかけ、ぎりぎり届いたところからもう一度ハードヒットする。
バランスを崩して無理をした打球にスピンがかかる余裕はなく、バウンドしないままベースラインを通り過ぎた。
七海は連続して12ポイントを奪い3-0とリードを広げた。
ここから七海が逆転を許すはずはない。
さっきのゲームは絶対に取らないといけなかったんだと梨佐は思う。
「ふーん。うまくいけばここから面白くなるかもしれんから、しっかり見とき」
なのに真っ黒いおじさんは妙なことを言った。
そして「しかしこんなに強かったんか。もうちょっと近付けてやれたと思っててんけどな」と言ってコートに背を向けた。
「ここから挽回出来るん?」
梨佐は真っ黒いおじさんの背中に話しかけた。
「するしかないやろ?」
真っ黒いおじさんは背中越しに続ける。
「なんとかしようともがいてるやん。待っててもあかんねん。何かせな」
それをさせないのが七海だ。
「前さえ向いてたら可能性は無くならへんねん」
それは理想だ。
「キミもそうやってがんばってんのやろ?!」
梨佐の心臓がドクンと鼓動した。
「あほみたいな言葉でバカバカしいけど、結局、どれだけ自分を信じてがんばれるかやねん」
言われなくても信じているし、がんばっている。
「努力の塊みたいなクセにそれが出来へんくなる奴もおんねん」
そう言うと真っ黒いおじさんは観覧席の隅に座っている女の子の所に行って声を掛けた。
真っ黒いおじさんはどこかのテニスクラブのコーチらしかった。
なるほどコーチらしい白々しい言葉だ。
大人はみんなそういうことを言う。
梨佐も小学生の高学年になって色々と物事を知るようになった。
大人が子供に言うそういう白々しい言葉をキレイゴトと言うんだ。
「キミもそうやってがんばってんのやろ?!」
真っ黒いおじさんの言葉が浮かんでくる。
私の何を知っているというのか。
そうして、目の前では七海がサービスを打ち、それを対戦相手が懸命に返した。
がんばってラリーを続け、速いボールも何球か打ったが、最後は七海にポイントを取られた。
いくらキレイゴトを言ったところで結果は同じだった。
でも結局、がんばるしかないのだ。当たり前だ。
そこで何も出来ないのだとしたら。
それでももがき続けるしかないのだろう。
それをしないのは諦めた時だ。
コートでは七海のスマートなテニスに対戦相手がもがき続けていた。
ただ速いボールを打つだけだった。
いつの間にか梨佐はそれに見入っていた。
それが効果的なのかどうかはわからなかったけれど、とにかくそれを続ける対戦相手に自分にない何かを感じた。
自分は本当に自分を信じてあげていたのだろうかと梨佐は思う。
頭では理解しいていても心で理解出来ていなければ、それは本当にキレイゴトでしかなかっただろう。
バシン。
ほんの少し、14ポイント目になってほんの少しだけあまくセンターに入った七海のボールを対戦相手がしっかりと構えて振り抜いた。
そのボールは相変わらずコースを付かずセンターに打ち返されてきたが、これまでと同じように余裕を持って準備していたはずの七海のラケットコントロールを狂わせてネットミスを誘った。
梨佐は横を見る。
真っ黒いおじさんはそこにはもういなかった。
梨佐はいなくなった真っ黒いおじさんの方に向かって「いちいち言われなくても知ってんねん。ちょっと忘れてただけやねんから」と強がりを言った。
テニス少女U12 -7-2
『天才少女 再び(2)』
終