-7-1 天才少女 再び(1)
第7話 天才少女 再び はじまりまーす。
市営のコートに幼い少女が大きなラケットを持って立っていて、通りかかった人がその微笑ましい光景に視線を奪われつつ歩いていく。
コートにはネットをはさんでその子の父親が立っていた。
父親の後ろのベースラインの両サイドが小さなコーンで囲まれて、的になっている。
あそこを狙って打つのかと通行人は練習を眺めながら歩く。
コーチ役の父親が球出しをすると、その少女はベースラインからフォアハンドを打ち始めた。
ネットを越えるので精一杯という雰囲気のその小さな少女の打ったフォアハンドは、軽々とネットを越えてストレートのほうへ飛んでいくと、5球連続して的の中に収まった。
通行人は「ほほぅ、たいしたもんだ」と感心して足を止める。
次にバックハンドでストレートに5球連続して打つと通行人から笑顔が消えた。
そして今度はフォアハンドに戻ってクロスへ5球連続打つ。
最後にバックハンドのクロスを5球連続して、合計20球連続で的の中に打った。
「ほわぁ、天才やな」
コートの外からそんな言葉がもれたが、コートにいる父親の耳はそれを受け付けない。
「入れるだけやったら誰でも出来る」
そうして幼い少女は1球目からやり直しをさせられた。
第8コート U11女子F
服部七海 北大阪TC
VS
真田鈴 北摂ローンTC
「普通にコースに打っただけやん」
七海は1ゲーム目をウィナーで奪うとざわつく観覧席に一瞥をくれて一人呟いた。
他の子供たちがママやパパと公園で遊ぶのと同じように、七海は両親とテニスコートで練習をして、他の子供たちと同じようにそれを楽しんだ。
幼い子供にとって、その内容などどうでもいいことなのかもしれない。
ただ親と一緒にいればそれで喜んだし、自分を見ていてくれれば嬉しかった。
それを知ってか知らずか、ネットの向こう側に立つ両親はいつも七海をしっかりと見ていた。
それはそれは真剣な眼差しで。
そして七海のテイクバックが少しでも遅れるとすぐに注意をした。
小学4年生になった七海は小さな手でガットをカリカリと直しながらチラリと両親を見る。
観覧席の両親はあの頃と変わらず真剣な顔をこちらに向けていた。
七海の心に(そんなんやったら負けんぞ)という父親の声が入ってくる。
(だからさっき試合見ときって言ったやろ)という母親の声も入ってきた。
(今のは違うやん。ちょっとコースに振っただけやもん)と七海は心の中で言い訳をしながらエンドチェンジをして観覧席側に来た。
七海の心の中の両親はそれ以上は何も言わなかったから、七海は少し安心した。
そして本物の両親の視線をなるべく避けるように下を向いてボール突きをしながらデュースサイドへ向かう。
「こりゃ、ワンサイドゲームになるかもなぁ」
観客のアテにならない予想が耳に入ってきた。
「ちょっと諦め早いな」
そして次は対戦相手への批評だ。
七海は声のするほうを少し見たが、すぐに目を粒ると大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。
そしてうんうんと一人うなずくとサーブのポジションに入った。
(私は私のペースでやったらええねん)
七海はゆっくりと高いトスを上げた。
そして同時に持ち上げたラケットをがくんと背中に落とすと、すぐにまたラケットを跳ね上げた。
七海のサーブはそれほど速くはなかったが、まっすぐセンターに飛んでいってエースを奪った。
「ノータッチか」
観客が少しざわつく。
七海はもうそれには反応せず、サイドを変える。
「15-0」
少女らしいか細い声でカウントをコールして、また高いトスを上げた。
ゆったりとしたフォームから落としたラケットを跳ね上げて、パシンとサーブが打たれる。
「またセンターか」
バックに反応したリターナーはフォア側に飛んだボールを眺めて見送った。
「やっぱり反応悪いな」
「あういうのちゃんと追わなあかんやろ」
観覧席からふがいないリターナーに対する文句がもれる。
同じく観覧席にいる隆俊もそれはもちろんそうだと思った。
取れないボールでも取る姿勢を見せる。
これがじわじわとプレッシャーをかけることになるのだ。
隆俊は自分の経験上でもそれは実感として知っている。
それでも何かリターン側の言い分を考えた。
反応の問題や横着をしたのとは違うような気がしたからだ。
「あの子のサーブってなんか不思議やな」
隆俊がそう言うと「さすがマニアですわね」と凛々がおどけて答えた。
そして「でも、あれはたまたまやで」と続けた。
「たまたま?まぐれってこと?」
「まぐれって言うか、」
「30-0」
他の観客も凛々の話に聞き耳を立てたが、その間に七海が3本目のサーブを打つ。
もう一度センターへ入ったサーブに今度はきっちりとリターナーが反応した。
ギリギリ届いたわりにしっかり押し返されたリターンはクロスへコントロールされた。
「サービスエースなんか狙ってないねん」
七海はタタッとフォア側に走るとスッとポジションに付く。
そしてボールが来るのをゆっくりと待って、まるで球出し練習のように来たボールを打ち返した。
ズバッ。
その打球は決して速いようには見えないけれど、それでも第1ゲームをブレイクした時のようにエースを奪った。
「なんや?!さっきから」
「相手の反応が悪過ぎるだけやろ」
変化に敏感な観客が何かを感じ取る。
そして慎重な観客がそれを否定する。
七海のボールがすごいのか、リターナーの反応が悪いのか。
観客の意見が割れ始めた。
「アレが狙い?」
隆俊が凛々との会話を再開する。
「あれもたまたま。七海ちゃんは狙わへんもん」
「狙わへん?」
観客も凛々の解説に耳を傾ける。
「どういうこと?」
「そのまま。狙ってないんやん。普通に打ったらああなっただけ」
隆俊も観客もなんだかわかったようなわからないような気持ちになった。
それを感じ取った凛々が「七海ちゃんと試合やったらなんとなくわかんねんけどなぁ」と言ったが、そういう機会がまず無い観客たちにはなんの救いにもならなかった。
そして七海が4本目のサーブを打つと、リターンは大きくアウトした。
一部の観客は凛々の話の影響を受けて、なんとなくリターンしにくそうだったように感じた。
でもそれが七海の力なのか、対戦相手の実力不足なのかはわからなかった。
隆俊は自分だけはその謎を解明したかったが、どう見ても七海がただ丁寧に打っているだけにしか見えなかった。
それでも結果的に七海はゲーム開始から8ポイントを連続して奪い2-0とリードを広げた。
「やっぱり相手がたいしたことないんちゃうか」
慎重派の観客がスコアの結果を使って自分の意見を主張すると、服部七海はやっぱりすごいかもと思った観客達もすぐに慎重派に同調した。
そして、それが転じて服部七海もやっぱりそれほどたいしたことはないんだろうと思った。
テニス少女U12 -7-1
『天才少女 再び(1)』
終