-1-1 デビュー(1)
9月になるとクラブに漂っていた緊張感がかなり和らいだ気がした。
夏休みにはたくさんの試合が予定されていて、萌菜の先輩たちはそれらに向けて熱心に練習をしていた。
その親たちも子供たちと同じように、また時には本人たち以上の熱の入れようで、忙しそうに子供の練習と試合の手伝いをした。
そして8月になり、夏の大きな大会が近づくにつれ、レッスンを見守る親たちの目が厳しくなっていくように感じた。
まだ娘が試合デビューを果たしていない私には、幸か不幸かその気持ちを共有することは出来なかった。
だけど、その大きな大会で我がクラブのエースである優花ちゃんが念願の本戦出場を逃したその日、母親と共にまぶたをたっぷり腫らしてレッスンを受けに来た姿を見て、私は胸が締め付けられる思いがした。
それからしばらくして優花ちゃんは持ち前の笑顔を取り戻し、今はデビュー戦を明日に控えた萌菜とラリーをしてくれている。
「萌、足動いてないでー!!」
すっかり姉御振りも取り戻した優花ちゃんの叱咤は心強いかぎりだった。
そして同時にコートサイドではママたちが私にアドバイスや対戦相手の情報をくれた。
「相手の子って2回試合出てるけど、どっちも負けてるから、萌ちゃんきっと勝てるよ」
私は優しい励ましに感謝した。
そして相手のことを思い出す。実を言うと私もその情報は知っている。
1ヶ月ほど前にドローと呼ばれるトーナメント表が公表されると私はすぐに対戦相手のことを調べた。
対戦相手はこの夏休み始めの大会でデビューして、そこでは同じくデビュー戦で0ポイントの子と対戦して2-6で負けていた。続けて開催された大会では少しだけポイントを持っている子にまたもや2-6で負けていて、今のところ2連敗していた。
もしかしたら萌菜より小さな子かもしれないと都合のいいことを想像する。
みんなが言うには、小さなうちにデビューする子も多いらしく、4年生で比較的背の高い萌菜はかなり有利だと言ってくれた。上手い子に当たれば仕方がないが、普通の子同士であれば学年が上の方が絶対に有利なのだそうだ。
この子は戦績もぱっとしないし、みんなの言うようにたいしたことはないのかもしれない。
そう思うと少し気持ちが落ち着いた。
だけどその落ち着きは長続きしない。
残念なことに萌菜もたいしたことはないからだ。
今も萌菜はサーブを打ち損ねて、ボールをネットの手前でバウンドさせた。
「やっぱりサーブ入らへん。これは明日も無理やわ」
思わず弱音が出る。
「萌ちゃん、最近すごいがんばってるやん。大丈夫やって」
確かにがんばっている。だけどその結果がネットも越えないとなると不安にもなる。
せめてダブルフォルトはしないで欲しいと思う。
「萌!もっと上で打ったらええねん」
優花ちゃんのアドバイスが飛ぶ。
「うん」と頷いて打った萌菜のサーブはネットを越えてコート中央の四角いところを捉えてバウンドした。
「優花、ナイスアドバイス!明日からコーチやるか?!」
仕事を奪われたコーチが優花ちゃんを牽制するように冗談を言って一人笑っている。
「うちの娘は優花ちゃんにレッスンしてもらうから、もうコーチいらんわ」
他のママがすかさず優花ちゃんの味方に回ってコーチをやり込めるとみんなが笑った。
帰り際、私は優花ちゃんのママから萌菜を早く寝かせるようにアドバイスをもらって、萌菜は優花ちゃんら先輩みんなから「絶対勝てる!」と勇気をもらった。
少しでもミスをしないように。
せめて大差で負けないように。
恥ずかしくない試合を。
私の心の中を走り回っていたマイナス思考もみんなの言葉で浄化された。
「とにかくがんばったらええねん」
最後の優花ちゃんの言葉に親子揃って「うん!」と答えて家に帰った。
萌菜、4年生の秋。
いよいよ明日、公式戦デビューする。
私は自分のことのように今からワクワクしてきた。
テニス少女U12 -1-1
『デビュー(1)』
終