-4-1 天才少女(1)
第4話 天才少女 はじまりまーす。
旦那が風呂に入っている間になかなか寝ない娘をようやくのことで部屋に追いやると、坂口夕子はやっと落ち着いたという風にパソコンの前に座り込んだ。
そして毎日のルーティンワークで協会のサイトから大会情報を開いた夕子はドキッとして背筋を伸ばした。
そこには娘がエントリーしている冬の大きな大会のドローがUPされていた。
最近、このサイトを開く目的は冬の大きな大会のドローの確認だ。
それなのに目的のドローが出てくると夕子の鼓動は早くなり、両方の肩の筋肉が震えた。
夕子は一旦マウスから手を離し、ゆっくりと深呼吸をした。
娘の試合デビューは去年、娘が5年生の頃だった。
4年生から習い始めてすぐにエキスパートコースという選手育成のようなコースに入れてもらい、平日の多くをテニススクールで過ごしながら、土日はそれまでと同じようにテニス好きの夕子とその旦那から手ほどきを受けた。
親の贔屓目無しに娘は本当にものすごいスピードで上達したと思う。
それでも試合に出ると娘はなかなか勝てなかった。
娘が上手になったことは間違いなかったが、みんながそれ以上にうまかったのだ。
負けん気の強い娘は自分のお小遣いを返上してレッスンを増やして欲しいと言ってきたから、夕子と旦那は積極的にそれに応じた。
娘はスタートの出遅れを取り戻すべく熱心に練習をした。
少しずつ勝てるようになってきて、6年生直前の春の大きな大会では、予選ブロックで2シードを破りブロック決勝に進出して大きなポイントを得た。
そして習い始めも試合デビューも遅かった娘だったが、生まれ月が幸いして6年生になっても同じカテゴリーで試合が出来た。
初夏の大会も何度か勝ってポイントを加算すると、夏の大きな大会では予選の第22ブロックながら初の1シードを獲得した。
ここまで長い長い道のりだったと思う。
ようやく念願の本戦出場を果たせると思っていたが、娘は決勝でブロックの2シードに負けてしまった。
2シードの相手は娘のランキングと3つしか違わない、ギリギリ1シードを逃した子だった。
積極的に攻撃してくる対戦相手は正に本戦行きのチケットを奪いに来たという感じだった。
娘は予め自分に手渡されたチケットを取られないように必死に守った。
夕子も旦那もそれぞれ手をぎゅっと握り締めて、チケットを渡さないようにした。
3人懸かりで守っていたチケットはそれでも相手の手に渡ってしまった。
娘は口元を真一文字に結んでコートから出てくると、相手の親に挨拶を済ませてこちらへ戻ってきた。
そして結んだ口元を緩めて持ち前の笑顔を作ると、「負けた」と言ってボロボロと涙をこぼした。
強気な娘が泣いたのはいつ振りだっただろうか。
そして大人になった夕子が人前で涙を見せたのもいつ振りだっただろうか。
泣いて泣いてボロボロになった娘はレッスンに行くといって、親子で瞼を腫らしてレッスンに行った。
それからもレッスンでは娘はいつものように熱心に練習をしたが、明らかに力が入り過ぎていた。
そして夏のショックを引きずった娘に試練は続いた。
夏休み明けの大会を1回戦で負けてしまった。
ポイントは決して大きくはなかった。
それでも僅差の子達が娘を追い越していくには充分だった。数人に抜かされてランキングが32位以下になった娘は冬の大きな大会のブロック1シードの座も譲ることになった。
それでも娘はもう泣かなかった。
自分が2シードになるとどこかで知った娘は夕子にそれを確認した。夕子はそれに答えるとすぐに娘を元気付けたが、娘はまったく気にしていないという風に「とにかくがんばったらええねん」と自分と夕子に向かって言った。
それから娘は一転して調子を上げはじめた。
秋に出た二つの大会の両方でノーシードからベスト8に進出した。後の方の大会はレベルが高かったが、第6シードを倒してベスト8に進んだ。
続くベスト4をかけた戦いでは第2シードを相手に娘のベストマッチとも言えるプレーで4-6と善戦した。
「絶対に本戦行くねん!」
それが娘の口癖になって、夕子も旦那も「絶対に大丈夫」が口癖になった。
夕子は再びマウスに手を重ねた。
ブロック2シードということは必ず1シードを倒さないと本戦には上がれない。
どのブロックに娘が入っているか。
各ブロックの1シードはランキングの高い順に第1ブロック、第2ブロックへと入っていく。
つまり娘の名前が後に見つかるほど娘の対戦する1シードのランキングは低くなる。
夕子はもちろん後に見つかることを願いつつ、大きく息を吸った。
そして息を止めてマウスをクリックした。
夕子は息を止めたまま画面を見る。
まだ名前の入っていないドローとその下に本戦シードの8人の名前があった。
娘にはまだ関係のない領域だ。
そして夕子は祈るような気持ちで画面を下にスクロールする。
程なくして夕子は止めていた息をゆっくり吐き出して目を閉じた。
閉じた瞼の裏が熱くなる。
夕子は再び目を開けて画面を見た。
11歳以下女子シングルス 予選 1ブロック
4.539 1 服部 七海 北大阪TC
BYE
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0.75 鈴木 千尋 TC三宝
0.00 真田 鈴 北摂ローンTC
BYE
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2.064 27 坂口 優花 マチカネTS
夕子が一番入っていて欲しくないと思っていた1番のブロックに娘、優花の名前が入っていた。
間違いであって欲しいと願ったが、何度見直してもその内容に間違いはなかった。
夕子はどうすることも出来ず、ただただ画面を眺めた。
「絶対に本戦行くねん!」
優花の声が耳に浮かんだ。
でも夕子はそれに応えることが出来なかった。
テニス少女U12 -4-1
『天才少女(1)』
終