-3-3 かりそめ(3)
「バックに深いボールを打つこと。軸足をしっかりと決めて、ヘッドを利かせて下から上に振り抜くこと。それと3ゲームごとにショートクロスを打つこと。」
楓のそばで忠司はしつこく助言を行う。
「相手の子はフラットで低くくるから、コンパクトに構えてしっかり合わせていくねんで。早めにテイクバックを完了すること、な」
熱心な父親のアドバイスは時間さえあればまだまだ続いただろう。
「小夜が勝ったらポテト奢ってくれるんやんな」
一方では絢音が小夜の試合をダシに啓介にご褒美の予約をしていた。
やがて目の前の試合が終わり、入れ替わりに楓と小夜がコートへと入っていく。
「小夜ちゃん、がんばれ!思い切り行け」と啓介が声を掛ける。
そして忠司は楓になにやらジェスチャーをしてうんうんと頷いてみせた。それを見た楓は小さく頷いて、ベンチへと進んだ。
第3コート U11女子3R
山里楓 ハナテンTC
VS
城戸小夜 星空TT
忠司はコートの入り口の右端でコートを斜め後ろから眺めるようにビデオをセットして観戦を始めた。
啓介たち3人は入り口の左手でフェンスにしがみついてコートを見守る。
本部側のフェンスの入り口を挟んで左右に両者が陣取る形になって、コートの中ではいよいよサーブ練習が始まった。
楓はサーブでもラケットを下から上に振り抜いてスピンを利かしてた。小夜はリターンの構えをするが、タイミングもポジションも合わず、かろうじてジャンプしてようやくラケットにボールに当てるくらいしか出来なかった。
そして小夜のサーブはスライスのような回転がかかったりもするが、だいたいは手首が折れてラケットがボールの下側を撫でることが多かった。小夜のサーブはまだまだ球種を言えるほど明確な意志を持って打たれていない。
「サーブヘタやな」と大輝が今更どうしようもないことを言った。
「ハンデや。ハンデ」と啓介は冗談で返す。
それを耳に入れた忠司は冗談と受け止めることが出来ず「あんなサーブでここまでよう勝ち残ったな」と自分にだけ聞こえる声で言った。
二人のサービス練習が終わり小夜がボールを受け取ると、それぞれがポジションについて「お願いします」と挨拶をした。
ベースラインの中央で、小夜がトン、トンと2回ほどボール衝きをする。
一呼吸於いて、トスを上げ、落ちてきたところを下から撫で切るようにして打った。
アンダースピン気味のふわっとしたボールが楓のコートに飛んで、サービスボックスでワンバウンドする。
楓はボールが来るのをしっかり待って、下から擦り上げた。
打球は小夜のバック側に飛ぶ。
小夜は左にまっすぐ走る。
「またまっすぐ行ってる」
「そうやな」
大輝と啓介には見慣れた光景ではあるのだが。
小夜はボールの後ろに入るような動き方をしない。
ボールを打つ位置にまっすぐ向かうのだ。
そしてボールに追い付くと、
「行ける」
「うん」
急激に力の方向を相手コートに向けて、バシンと打ち込んだ。
おぉっと周りがどよめく。
一番驚いた楓が慌ててラケットを引く。
ボールは楓が構え終わるのを待たずにもうそこまで来ている。
楓は構えるのをそこまででやめて、なんとかラケットを出す。
左足を上げて体の後ろ気味にボールを掴んだラケットを強引に上に振り抜いた。
完全に振り遅れたのが幸いしボールはしっかりガットに食いつき、スピードはないものの、ぐるんぐるんとスピンを効かせながら打ち返せた。
すでにセンターよりに少し戻った小夜はもう一度バックサイドへ行って、ラケットをセットする。
地面に到着したボールは勢いよく跳ね上がったが、小夜はまったく躊躇せずそれをバシンと打ち込む。
おぉっとまたどよめきが起こる。
ネットすれすれにミサイルのように飛んできたボールに、楓はラケットを少し前に出し面を上に向けて高くロブを上げた。
小夜のコートに戻ってきたボールはコートの真ん中で高くバウンドした。
小夜は楽々とボールの横に到着すると体をぐっと捻って、ボールが落ちてくるのを待った。
ボールが落ちてきて小夜が打ち込む瞬間、楓が逆サイドへ走った。それを知ってか知らずか小夜は相手が勝手にいなくなったセンターへバシンと打ち込んだ。
おおぅっと三度どよめく。
「怖いもん知らずや」
忠司が負け惜しみを言う。
「15-0」
1ポイント目を気持ちよくエースで奪ったハードヒッターがそのストロークに似合わない緩いサーブを打つ。
楓はさっきと同じようにしっかり待ってスピンをかけて相手のバックにリターンをした。そしてそこからベースラインのかなり後方にポジションを取った。
小夜はまっすぐ横に走り、ボールに追い付くと力の向きを90度変えて、相手コートにバシンと打ち込んだ。
クロス側に一瞬動いた楓はストレートへ打たれた打球にまったく触れることが出来ず、2ポイント連続でエースを取られた。
「早いなぁ」啓介はつぶやく。小夜の打球のことではない。
「何が?」と聞く大輝に「下がんのが」と答える。
「小夜の打球にビビったんちゃうん」
「そうやろな。にしても早過ぎるわ」
楓にしてみれば返す打球すべてを強打され、最後にはエースを決められたのだ。
すぐにポジションを変更するのはむしろ素早い対応とも考えられる。ただ楓自身、冷静に判断しての行動でもなかった。ある意味、勝手に防衛本能が働いたようなものだ。
そして2つ目のウィナーを取られた楓はすっかり冷静さを失ってしまった。
小夜に良いボールを打たせまいとして、リターンに力を込めると、思いっきり引っかけてアウトになった。
そして次のリターンでは気が逸って打点が前になり過ぎた。ボールはネットに捕まり、楓は第1ゲームを落とした。
忠司は表情は変えなかったが、小さく舌打ちをした。
小夜は特に喜ぶでもなく、ネットに吊されたスコアを1枚めくって1-0にするとチェンジコートをした。
「あの子、すごいなぁ」
観客の声に気付かないフリをして、忠司は「あんなん続かへん」とぶつぶつ言いながら楓を見ている。
楓はベンチを横切るついでにタオルで顔を拭いていた。
「何してるんや、チェンジコートではこっち見るって約束したやろ」
忠司は楓に向かって小さく手を振って気付かせようとするが楓は一切こっちを見ない。
「流れは早く切らんとあかんのに、わかってないなぁ」
楓は向こうを向いたままタオルを置いて反対サイドへ行ってしまった。
一方小夜はこっちのサイドにチェンジする時に絢音と目が合ってニカッと笑顔を見せた。
そして、すっかりペースを掴んだと思った小夜だったが、楓のサービスゲームになると途端にミスが出始めた。
リターン自体にあまり慣れていない小夜にとって、楓の変な方向に跳ねるスピンサーブはやっかいだった。
「ちょっとキックしてるわ」
「そやな」
「それに高いし。小夜、届いてへんもん」
「そやな」
それでも小夜はギリギリ空振りを免れたような体勢からでも懸命に打ち込んだ。
そして無理して打ち込んだボールは当然のように入る確率を低くした。
結局、ミスの数がエースの数を上回り、楓がサービスゲームをキープした。
「そうや、そうや。普通にやってたら勝手に負けてくれんねんから」
忠司は独り言に嫌みを込めた。
ただ小夜のサービスゲームになると楓はまた防戦一方になった。
お互いのサービスキープが続くものの試合は完全に小夜に支配されていた。
小夜の打つショットが入るか入らないか、それがポイントのすべてだった。
「何をやってるんや。やらなあかんことがあるやろ」
楓は得意のトップスピンを小夜のバックサイドに入れるが、小夜は他の選手と違って後ろに追いやられることがなかった。
それどころか逆に踏み込んで打ってくる。
攻められない打球を打っているはずなのに、楓は小夜からの攻撃を受けていた。
実際にはミスも出ているからスコアは競っているが、気持ちは完全に楓が負けていた。
忠司は体の前で手を合わせてそれを広げる。
「深いボールの時はミスを誘ってるんや。わからんかなぁ」
楓は下を向いてこっちを見ない。
忠司は何度も手を合わせてはそれを広げた。
「おっちゃん、アレ」
それを見た大輝が啓介に言う。
「思いっきりアドバイスしてるな」
「ええん?」
「ええことないけど、ほっといたらええねん」
大輝は、ズルいことをしているんだから文句を言ったらいいと思うが啓介にはまったくそんな気はない。
1回戦で追い付かれそうになった時にもやっていたらしい。
「親の問題でもあるけど、本人の問題でもあんねん」
と言って楓を見る。
「今回は本人は見てないみたいやん」
楓はポイントとポイントの間は父親に背中を向けてガットを直していた。
「自分のことは自分でやらなあかんねん」
楓はガットを直しながら自分のプランを思い出していた。
トップスピンでバックを狙って高く弾ませること。
軸足をしっかり決めて下から上に振り抜くこと。
3ゲームごとにショートアングルを打つこと。
3つともやっているつもりだった。
ただショートクロスはあまり効果がなかった。それどころか、角度があまりつかなかったから小夜に思いっきり打ち込まれた。幸い小夜がミスしてくれたからポイントは取られなかったが、売り込まれた時はゾッとした。
軸足も決めてる。下から上に。高く弾ませる。
やっているつもりなのに、どれもいつもの効果は発揮されない。
もしかしたら小夜には通用しないのか。
ゲームカウント3-3。
今はかろうじて均衡を保っているが、楓には小夜の調子が確実に上がってきているように思えてならない。
このままで勝てるのだろうか。
今やっていることでいいのだろうか。
楓の心に不安が募り、その不安は楓の顔を父親の方へ向けさせようとしたが、楓は頭を振ってコートに視線を戻した。
小夜は相変わらず緩いサーブを打ってくる。
ここからの展開を切り替える方法が浮かばない楓は自身を失いつつあるスピンを小夜のバックに入れるしかなかった。
小夜はそれにまったく押されることもなく、平気で踏み込んで打ってくる。
「フォアや、フォア」
忠司は声にならない声を出しながら右手をフォアハンドのように動かす。
小夜がバックに打たれることを予測して先に動いていること、それとたまに打つフォアで比較的ミスが多いことに忠司は気付いていた。
忠司の目にも楓の劣勢は明らかだった。
ただ、内容はどうであれ楓もサービスゲームをすべてキープしているのだ。
小夜は楓のサーブに対してタイミングが合いつつあるが、それでもこの小夜のサービスゲームをブレークして4-3にしておけばかなりのプレッシャーを与えれるはずだ。そこで楓がサービスゲームをキープすれば5-3。一気に勝利に近付く。
均衡を破るなら今だ。
ショートアングルでも普通のラリーでもいい。
とにかくフォアに入れれば道は開ける。
「フォア、フォア」
忠司は今にも叫びだしてしまいそうなくらい必死だった。
そして楓は敗けることに対する不安と一人で戦う心細さに必死に耐えていた。
テニス少女U12 -3-3
『かりそめ(3)』
終