-3-1 かりそめ(1)
第3話 かりそめ はじまりまーす。
山里楓は次の対戦相手の試合を見ていた。
第5シードの楓はここまで順当に勝ち進み、次はベスト4をかけて第4シードとあたるハズだった。
「ラッキーや。こけるで」
忠司は小声で娘に言った。
第4シードを3-5と追い詰めたのはノーシードの4年生だった。
「前の大会でベスト8で負けた子や」
忠司の言葉は楓はベスト4だったと言わんばかりだ。
楓は再び目の前のコートを見る。
フォアバックとも両手打ちのストロークは強力で、フラット気味に放たれるショットは何よりスピードがあった。
「速っ」
楓は思わず声を出した。
「なんや。あんなん打てるやろ」
忠司がすかさず反応する。
「テニスは打球の速さだけじゃ、あかんねん。いっつも言ってるやろ、テニスはミスせんほうが勝つって。あんなカッコつけて打ってたって、調子のええ時にしか勝たれへん」
楓はその調子の良い時が今だと思うが、忠司はそう捉えない。
「それからな、バック狙いや。バックでええの打ってくる子はほとんどおらん。バックにさえ打ってたらええねん。それで決められることはないわ、な」
「うん」
忠司はいつもと同じことをいつもと同じように何度も言った。
そして楓はいつもと同じようにうんと言う。
楓のゲームプランもいつも同じだ。
まずトスが勝てばリターンを選ぶ。
そしてゲームが始まると、とにかくスピンをかけて、高くて深いボールを相手のバックに打つ。
配球はあまりに単純だが、実際にはミスもあるから少しはフォア側にも打ってしまうからちょうどいいらしい。
そして、1試合に3回だけフォア側にショートアングルを打つ。打つタイミングも決まっている。
1回目は第3ゲーム、2回目は第6ゲームで最後は第9ゲーム。もし相手が反応できずポイントが取れたなら、決まらなくなるまで何度やってもいい。
すべて忠司が決めたことだ。
「それから1回戦みたいにやること忘れたらあかんで」
「うん」
楓は美月との試合で、第1ゲームにショートアングルを打った。それでゲームが取れたから忠司はそれについては文句を言うのを我慢した。ただ第6ゲーム以降については小言を言った。
2回目のショートアングルを使わず、変化のなかった楓のストロークは後半には美月に慣れられた。もともと粘りのプレーをする美月だから、球種は違えど、同じように繋いでいては決まらない。
スピンをかける楓より素直にボールを運ぶように打つ美月のほうが分があるようにも思えた。
そして何より相手はあの持田美月なのだ。
今はパッとしないが元々は同学年のトップクラスだった。
忠司が才能があると見込んだ楓は始めての美月との試合で、あっさり0-6で敗れた。
忠司は楓が同じ3年生に負けるとは思ってもみなかった。
そして、ただただ返してくる美月のそのプレーには腹が立ったが、すぐに考えを改めた。
忠司は大人になってからテニスを始めて、すぐに虜になった。そして忠司は夢中でプレーするうち、テニスがどういうスポーツなのかを学んだ。
他のスポーツに比べて難易度が高いと何かの本で読んだことがある。初心者がちょっと遊びでと言ってもラリーも出来ないのがテニスだ。
そして一番みんなを勘違いさせるのがテレビで見るテニスで、これは我々が行うものとはまったくの別物なのだ。あれは同じルール、同じコート、同じ道具を使うが、一般人とは全然違う人間が行うまったく別のスポーツなのだ。
一方、我々がやるテニスは、相手のコートに上手に返球することが一番重要となる。
そしてそれが出来るようになれば今度は相手のミスを誘うショットを練習していく。
それからそれからと覚えるショットはたくさんあるが、その中でエースを取るというのは優先順位がとても低いと忠司は考える。
それなのに変に楓に期待した忠司は、自分の学んできたことを忘れて、優先順位の低いショットを中心に練習していた。
結果、一番始めにマスターすべきことをやってきた美月にまったく歯が立たずに負けてしまった。
そして、3年生のその時点で第1ステップを完成させていた美月は尊敬に値した。
それからは地道に楓のミスを減らす練習をして、もう一つのステップを上り、相手のミスを誘うショットを覚えた。
そしてその取り組みはじわじわと成果を現し始めて、夏の大会でそれは完全に発揮された。
忠司は自分の考えが間違っていなかったことが証明されたような気になって喜んだ。
そして次の冬の大会までの目標を一つ決めた。
それは[持田美月に6-0で勝つ]ことだった。
それを達成することで忠司と楓の中にあるコンプレックスを払拭して、冬の大会でベスト8進出を狙うというストーリーだ。
そしてそれは5-0までは順調だった。
ただほんの少しの楓の間違いのために完全達成とはならなかった。
実際にプラン通りに出来たからといって予定通りになるとは限らない。ただ決めたことはきっちりとやらないと行き辺りばったりのプレーになってしまう。
楓に注意した一つはこれだった。
そしてもう一つ。忠司が必ず守らせたいことを説明する。
「わからんようになったのは仕方ないねんけど、そうなったら確認せなあかんやろ?」
楓は視線を落とす。
「なかなかこっち見ぃへんからお父さんのサインも気付かへんかったやろ」
「3ゲーム取られてやっと見たから良かったけど、あれ危なかったんやで」
「次からチェンジコートとか、流れが相手に行きそうになったらちゃんとこっち見ること」
楓は下を向いたまま返事をごまかしたが、忠司はその曖昧を放っておけない。
「わかった?ちゃんとやらな。な」
「うん」
楓は小さな声で返事をした。
テニス少女U12 -3-1
『かりそめ(1)』
終