表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テニス少女1 U12  作者: コビト
10/35

-2-4 置いてけぼり(4)

山里楓は、美月がミスしないように丁寧に返したボールを遠慮なく下から擦り上げた。

ハードヒットではないが、大きな弧を描いたキレイなスウィングだ。

ラケットに擦られてグリグリと回転したボールはネットの遙か上を通り、美月のベースラインの辺りでググっと落下した。思ったよりもベースラインの内側に着地したそのボールは今度はそこから高く跳ね上がる。

生真面目に膝を深く曲げて低く構える美月は、ボールが落ちてくるであろうベースラインの遙か後ろまで下がり、ボールが腰の高さまで落ちてきたところをヒットした。

そしてボールが飛んでいくのと一緒に美月もベースラインに戻る。

美月が返球したボールは楓にまた下から擦り上げられて、美月はさっき戻ったばかりの定位置からまた後ろに下がる。

今度のボールはさっきより高く跳ねて、美月を後ろのフェンス辺りまで追いやった。

美月がジャンプしてようやく届いたボールが相手コートのサービスライン辺りに落ちると、すかさずそれに反応した楓がすぐ前に詰めて緩くショートアングルに打った。

美月は後ろのフェンスから今度は前方へ猛ダッシュする。

美月が走りながら出したラケットの先端がもう少しでボールをすくい上げるというところでボールはツーバウンドした。

長い長いストローク戦を制して1ゲーム目を取った山里楓は小さくガッツポーズをした。

楓にとってみれば初めて美月から1ゲームを奪ったのだ。スタートから少し緊張気味であったところを見ると、かなり意識していたのだろう。

一方の美月は調子は悪いものの、懸命にボールを追いかけていた。

美月はコートに入れば集中力を増すし、いつでも真剣にゲームに取り組むということは隆俊も里恵もよくわかっている。

そして、調子の良い悪いに関わらず、丁寧に丁寧にボールを返球するところもまったくいつも通りだった。

「テニス、イヤになったんかなぁ」

里恵は何も答えず、隆俊も返答を求めなかった。

そして第2、第3とゲームは進む。

美月はいつものように丁寧にボールを返球した。それを楓が擦り上げる。

同じ展開でラリーが続き、同じ展開で試合が進む。

1ポイントは長引くものの、最後には楓のポイントになった。

いっそのこと美月が昨日までの通りの不調だったらよかったのにと里恵は思う。

好調ではないものの、美月の良い面は出ていた。

それなのに、美月は大半のポイントを奪われ、ここまですべてのゲームを取られている。

美月が実力を発揮しても勝てないのじゃないか。

里恵は美月の限界を感じる。

「昨日よりかははるかにええ。もうちょっとがんばったら挽回できる」

隆俊はまだ美月に期待している。

その想いが通じているかのように、美月はさっきまでよりもっと走り回って、ボールを深く打とうとした。

ただ3-0とリードして力みの抜けた楓のショットは、さっきまでよりもっとスピンがかかって、几帳面にベースラインに戻る美月を何度もコートの後ろに追いやった。

美月はそれでも1球打ち返すごとにエンドラインへ戻った。

「しっかり動いてんのにな」

美月はずっと隆俊の教えを守っていた。

「すごく丁寧に返してんのに」

美月は里恵の教えも守っていた。

なのにポイントは楓に奪われた。

「ゲームカウント4-0」

相手にゲームを奪われることなく、4ゲームの差を付けた楓が自信満々にコールをすると、里恵はコートに背を向けてその場から離れてしまった。

隆俊は驚いて里恵の後を追う。

そして二人が立ち去る姿を美月が見る。

今まで必ず隆俊と里恵と二人で試合を見守っていたのだ。

試合中、どんなアドバイスも禁止されているテニスでは後ろにいても何も協力は出来ないけど、それでも何かの力になるからと必ず二人の姿を美月に見せるようにしていたのに。

「おい、どこ行くねん」

「私、もう見てられへん」

里恵は隆俊の方に顔も向けず、歩きながら言った。

「最後まで見たらなあかんやろ?」

そう言いながら隆俊は里恵を追いかける。

「あんなにがんばっても勝たれへんやん。めっちゃ丁寧に打って、めっちゃ走り回ってんのに、結局ポイント取られへんやん」

里恵はテニスクラブから出てそのまま歩道を歩いていき、隆俊はそれを追いかける。

「がんばってたら取れるって。美月、がんばってんねんから、オレらがちゃんと見といたらんとあかんやん」

追いついた隆俊が里恵の横に並ぶ。

里恵は目に浮かべた涙をこぼさないよう耐えていた。

「見んほうがいい!私らが見てるから、美月はテニスを辞められへんのちゃうん?!もう試合イヤって言ってたやん。ずっと勝たれへんのに、私らが無理矢理やらしてるだけちゃうん?元気でいっつも笑ってたのに、最近笑わへんやん。あんなに苦しんでんの、私らのせいちゃうん?!」

隆俊は何も言えなかった。

美月は素直だった。

自分たちの言うことを聞いて、平日はほとんど毎日テニスクラブに行って練習をして、土日はどこかの草トーナメントに行くか、それが無ければ3人で練習をした。

強要したつもりはなかったけど、いつの間にかそうすることが当たり前になっていた。

「そうかもしれん」

始めは少し調子が悪いだけだと思っていた。

そのうちまた勝つようになるだろうと楽観的に見ていた。

まさかこんなに長引くとは思わなかった。

里恵はそれを不調ではなく、実力だと結論付けた。

隆俊がそれを否定するのには、1年という期間はあまりに長過ぎた。

これまで長い間、美月に実力以上のものを求めてきたのかもしれない。

そして美月はそんな長い間、親の過剰な期待に応えようとしていたのか。

「美月、いつからイヤやったんかなぁ」

「わからん」

今となっては意味のない会話だということに気が付いたから、二人はそれ以上は何も言わなかった。

ここで二人が話し合って解決出来ることではない。

今更、美月本人の考え方など聞いたことも考えたこともなかったと気が付いた。

試合がしたくないというのが始めて美月が言った自分の気持ちだったのかもしれない。

「すごいしんどかったんかもしれんな・・・」

また二人は何も言わず、それぞれの心の中で自分を責めた。

そして少しして隆俊は何かを吹っ切るように口を開いた。

「とりあえず1回戻ろ。美月の試合も終わってるやろうし、オレらがおらんから困ってるやろ」

「うん・・・」

「そんで、・・・・帰りに話ししよ」

隆俊がそういうと二人はまた無言になって、コートへ向かって歩いていった。


コートに戻ると美月と楓の試合はまだ続いていた。

展開はさっきまでとまったく同じで、美月が丁寧に返して、楓がそれを擦り上げていた。

長い1ポイントの間に、一緒に来ていた同じクラブの子のお父さんが居った居ったと言ってやってきた。

「どこ行ってたん?さっきから美月ちゃんすごいんやで」

隆俊はコートを見るが、展開はさっきまでと変わらない。

「スコア、いくらなんです?」

「2-5やけど、今、美月ちゃんサーブで40-30。それよりさっき0-5トリプルマッチポイントを凌いでんって。そこからまた2回マッチポイントがあってんけど、それも凌いでブレークしたんやわ。もうすごかったで!美月ちゃんの粘り。美月ちゃん調子ええで。昔の美月ちゃんみたいや!ほら取った。3-5やで、3-5!」

流れがどちらに来ているとも言い難かった。

ただ目に見えないくらい少しの差が美月にポイントを与えた。

勝ちを目前にして3ゲームも取られた楓は、それでも弱気にならずに懸命に擦り上げていた。

それを美月は、序盤と変わらず、丁寧に丁寧に、もう一つ丁寧に返球した。

ボールが向こうに行って、それが打ち返されて戻ってくる。そしてポイントが交互に入る。

最後の最後、楓はプレッシャーからボールを入れに来た。

膝が曲がらず、無理に手だけでスピンをかけたその打球はグリグリと回転はかかっていたが、前に向かう力を伴わず、まったく上にも上がらず、ネットギリギリに飛んでいった。

そのボールがネットの白帯に当たると、力無くポトリと落ちた。


ゲームカウント6-3。


楓がシードを守って、2年越しのリベンジを果たした。

美月は良いプレーだったと思う。

と同時に隆俊は美月と楓の差を認めざるを得なくなった。

そしてこれでいいんだと思った。

里恵ももうこれで美月が苦しまなくて済むと思った。

始めは楽しさだけだった。

そしてすぐに夢中になった。

家族みんなで一つの目標に向かって進んだ。

この1年間は苦しみだけだった。

それでもみんなで同じ夢を見るのは最高だった。

嬉しくて、苦しくて、楽しくて、辛くって。

美月と楓がネットをはさんで握手をする。

対戦相手にありがとうございましたと言う美月を見ていると、テニスそのものへ感謝を伝えているようにも見えた。

楓がコートから出てきて隆俊と里恵に「ありがとうございました」と挨拶をした。

二人も「ありがとうございました」と言って、「がんばってな」とエールを送った。

そのエールがジュニアテニスに関わるすべての人達に届くように。

美月は楓の両親に挨拶をして戻ってきた。

「お疲れさん」隆俊が労う。

「がんばったね」里恵が誉める。

二人はいつもこうして迎えてあげれば良かったと思った。

「いっつも誉めてくれへんくせに、なんで負けた時に誉めるん?!」

美月は少し怒っているように見えた。

「最初から調子出てたら絶対勝ててたわ。ほんまに腹立つ」

隆俊と理恵の受け答えを待つ様子も無く美月はまくしたてた。

「楓、握手の時になんて言ったと思う?6-0で勝つつもりやったのに3ゲームも取られたって言ってんで」

やっぱり美月は怒っていた。

「0-5で負けててんやろ?3ゲームもまくったんやからすごいやろ」

「何がすごいんよ。だいたいちゃんと試合見といてや。持田家のルールやろ。お父さんが決めたんやからちゃんと守ってや」

美月の怒りは隆俊に向いた。

「もうええやん。終わったことやねんから」

それを里恵が宥める。

「ええことない。美月な、次やったら6-0で勝つからって言ったってん」

「次?やんの??」

「え?いつかわからんけど、ずっとやってたらいつか当たるやん」

「もう試合イヤなんやろ?」

「さっきイヤやっただけやん。今はすぐにでも試合したいくらいやわ。あー、腹立つ。そうや!美月ちょっと壁打ちしてくるわ」

そう言うと美月はラケットと負けボールを持って走っていった。

「ええんかな?」

隆俊は里恵に聞いた。

「まあ、本人がええんやったら」

美月は怒っていたが、二人には笑顔が戻った。

笑わなくなったのは美月ではなくて、隆俊と里恵だったのだ。

美月はいつも笑っていた。ただそれが隆俊と里恵が望んだ場面ではなかったから目に入らなかっただけだ。

テニス以外の美月が見えなかったのだろう。

「また大変やで」

そう言う隆俊はどこか嬉しそうに見えた。

「まあ、がんばるわ。隆俊もやで」

里恵はやれやれと言う風にしながら、まるで苦にしている様子はなかった。


それから、すぐに昨日マッチ練で美月を6-1で倒した4年生があっけなく1回戦敗退した。

「あーぁ、うちのクラブ全滅やん」

美月がそう言うと、みんなが「お前が言うな」と突っ込んだ。


これから美月が輝きを取り戻せるかどうかは隆俊にも里恵にもわからなかった。

もちろんまた昔のような光を取り戻して欲しいという気持ちはある。

ただ今はそれが誰にも負けないような光じゃなくても良いのだと思うようになった。

ピカピカに輝けない時もあるだろう。

それでもうっすらとでも光が灯ってさえいれば、それは周りの人たちの力や助けにもなるはずだ。

太陽のように力強く輝けなければ、月のように優しい光を放てばいい。

時に月の光は太陽よりも美しく映えるだろう。

それは、美月が生まれた時に隆俊と里恵が望んだことでもあった。

そして、いつか美月が自分らしい光を放つ日が来ることを信じることにした。



テニス少女U12 -2-4 

『置いてけぼり(4)』

テニス少女U12「置いてけぼり」終わりました。

次回から「かりそめ」はじまります。

お楽しみに☆

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ