003-2 蟲毒の舞台
気付くと目からは涙が溢れていた。自分とは思えない体でも、涙は流れるのだとぼんやり考えた。吾月に肩を優しく叩かれ少し落ち着きを取り戻した。
「姫神子のいう文明。古代文明は神によって消されておる。すでに遠い昔となったが…この世界に大きな争いが起こった。灰色を全て白と黒に分けるような争いよ。傍観は許されなんだ。日の国とて例外ではなかった。」
「そんな…日本は戦わない国よ。戦争だなんて…!」
挟んだ言葉をやんわりと制される。
「そう。日の国はそれでも自らの攻撃は行なかった。しかし、日の国は小さな島国。物の流出を止められただけであっさりと壊れた。戦の影響で作物は育たず、人々は飢え、人以外の生き物も少しずつ減っていった…。飢えによる錯乱は町中を支配した…どうなったと思う。」
突然話を振られて慌てて考える。確かこの国には神がいると言っていた…。「神様に助けられた…とか?」などと、突飛な発言になってしまったかもしれない。しかし、玲郭は馬鹿にするでもなく、静かに首を横に振って否定した。
「姫神子は蠱毒を知っておるか?」
蠱毒…。母から教えられたこともあるが、元の時代にいた時に読んでいた小説でも目にすることはあった。生き物を壺などに入れて閉じ込め、共食いさせ、最後に生き残ったものを呪いとして使う呪術だ。「それが…」どうしたと、言う前に頭によぎる。閉ざされた島国。飢えた人々。
「まさか…」
「ほぅ、蠱毒を知っておるのか。そう。この小さな島国は蠱毒の舞台となった。人が人を食べる…とてもおぞましいことよの。…しかし、完成はしなかった。人を食べた者の中には、体が異形へと変わる者がおった…。それも完成に近づきつある、蠱毒の呪いの一つだったのだろう…。古い文献には地獄絵図と評されておる。呪いを受けた者はキメラと呼ばれた。今でもまだこの世界には醜いキメラが闊歩しておろう…。」
「どうやって…その悪夢は終わったの?蠱毒は完成しなかったのよね?」
「そう…蠱毒は完成せんかった。危機に瀕した世界に姫神子が現れた。そなたとは違い、その時代に生まれた少女だったという。その頃には、外の世界…日の国以外の世界は、ほとんど争いによって滅びておった。姫神子は…その力を持って、荒廃し穢れを撒く外の世界を青に還した。姫神子の力と人々の祈りによって神が地に降りられた。日の国は豊かさを取り戻し、同時に文明は神の手で隠匿された。姫神子が何処からやってきてその後、どうなったのかは分からぬ。事実とは異なる部分もあるやもしれぬな。その姫神子は世界を青に還したことから、蒼清の姫神子と呼ばれておる。同じように今の世にも姫神子が必要となった。召喚に関する研究を重ねようやく依り代に神力を持つ者を呼ぶことができた。」
「それが…私。」
碑透にとっては壮絶な話に思えた…。青に還すという意味が何にしろ、日本以外の世界を滅したということだろう。沢山の命を日本のために消した。それを正義と言えるほどに傲慢にはなれなかった。
「姫神子。この世界に呼ばれたそなたには、世界を救う義務がある。そうは思わぬか?」
問われたにもかかわらず有無を言わせない響きがあった。人を殺すという意味があるとするなら、受け入れられるものではなかった。
「救うって…」
なにから?その言葉は、ドンっと、響いた爆発音に遮られた。地面が大きく揺れる。椅子に座っていた碑透も思わず吾月の腕を掴んでしまう。「大丈夫だ。何も怖いことは起こらない。」と、優しく碑透を落ち着かせてはくれるが吾月は悔しそうに舌打ちをする。
何も怖いことは起こらない。そんな根拠がない言葉で不安は拭えなかった。バタバタ。部屋の外は慌ただしく人の走り回る音が聞こえる。それに混じって金属がぶつかり合うような音も聞こえるようだ。
「何なの?」
「何事ですか!」
碑透の疑問は、この場所に碑透達を連れてきた青年の言葉に遮られた。廊下に立っている見張りに向けた言葉だったようだ。今は、見張りから報告を受けている。聞き取れはしないが表情は険しく感じられた。
「…碑透。俺が今だ、と言ったら立ち上がって入り口に向かって走るぞ。」
「え…。」
聞き取れないほどの小声ではなかったが、直ぐには意味を理解できなかった。「分かったな」と、碑透を見ずに声をかけられる。金属音と重たい足音…戦いの喧騒が徐々に近づいているように思えた。吾月は動じた素振りを見せてはいない。玲郭も落ち着いた様子で扉を見ていた。
「まるで計ったように来たものだな。内通者がいたようだのぅ。」
「私には姫を守る使命がございます。何者にも傷つけさせはしませんのでご安心を。」
お互いに牽制するように吾月と玲郭が向き合う。と、同時に扉から大きな音がした。思わず振り向いて目を見開いた。四・五人の人間が吹き飛ばされて扉が大きく開いたのだ。
「今だ!」
吾月の言葉と同時に手を引かれる。扉には四・五人の人間を吹き飛ばした何かがある。危険ではないだろうか…漠然と思考が過ったが、吾月に引かれるまま扉に向かって走る。扉のすぐそばには、飛んできた人間を避けきれず、倒れた青年が起き上がるところだった。
「吾月!」
声と同時に、鞘に入ったままの剣が投げられた。大男が吾月に走り寄り、背中合わせに武器を構える。人間数人を吹き飛ばしたのは大男の持つ大きな斧のようだ。
「守備は?」
「この通りさ」と、吾月が武器を持ったままおどけてみせる。
「はー…。ひと先ずはお前のことじゃない」
「上々だ。」
にやりと笑いながら、吾月は向かってくる相手を切りつけた。




