003-1 日の国
3話も分割しました。内容は変更していません。
「その答えは、神殿の巫女から直接聞くといい。」
言葉と同時に、コンコンと扉を叩く音がする。碑透は気付かなかったが、この部屋に近づく人物に吾月は気付いていたようだ。吾月が「どうぞ」と声をかけると、ガチャリと音を立てて扉が開いた。
そこにいたのは、神殿の巫女と呼ばれた老女ではなく、二十代中頃に見える青年だった。
腰には重そうな剣をぶら下げている。命を奪うことさえあるだろうその存在に、碑透は思わず顔をしかめた。長身でしっかりとした体躯。神経質そうな顔立ち、帯刀する大剣を軽々と振るうことが出来るのだろう。
碑透を見るより先に吾月を一瞥する。その僅かな視線に、緊張が走った。
「姫神子、付いて来てください。」
名乗ることもなく、踵を返しスタスタと歩いてしまった。未だにベッドで状態を起こしただけだった碑透は慌てて立ち上がる。多少のふらつきはあったが、吾月の支えもあって立つことができた。
問題は、起き抜けのままだということだが。そう言えばいつの間にか着替えさせられていたようだ。七日間眠っていたと言うのだから着替えているのは当然だが。
「安心しろ、着替えさせたのは俺じゃなくて侍女だ。悪いが、そのまま付いて行くぞ。こちらとしても猶予があまり無さそうだ…。」
窓の外を一瞥した後、吾月は碑透を扉に促した。青年が進んだ通路へ歩き出す。一刻の猶予も許さないほどにこの世界は危機に瀕しているのだろうか。それにもかかわらず、七日間も寝てしまったのは大きな損失だろう。申し訳のなさも相まって少し早めに歩みを進める。
眠っていた格好とはいえ、外に出て恥ずかしい格好ではなかった。濃い空色のワンピース。胸元は少し開きすぎにも思えたが、肩紐や胸元、裾に散りばめられた細かなビジュに上品さがあった。袖を覆うように服に直接取り付けられているストールは、羽衣のように神秘的に思えた。シンプルなデザインとサラサラとした肌触りのおかげか、窮屈さもなく眠ることが出来たのだろう。
深い空の色。
この世界に来る前に見上げていた空もこのワンピースのような色だった。
胸がざわつく。元の世界に未練がないかと言われると、分からなかった。父はいないが、母親や近しい友人もいた。変わった家ではあったが、それなりに幸せで不便なく過ごしていた。ただ、戻りたいとは思えなかった。
絶望。罪悪感。嫌悪。悲しみ。怒り。全てあの世界においてきた。そういうことにしていた。戻れば、見ないふりはできない出来事。
「碑透…。」と、吾月に声をかけられる。気付くと、目の前にはあの大きな鏡張りの扉があった。その前で、碑透たちを呼びに来た青年が待っていた。
鏡に映し出され、自分の姿を改めて認識した。「姫神子」そう自分でも口にしてみる。
新しい自分。
そう思うと最初に取り乱したのが嘘のように受け入れることができた。
ギ…と、重たい音を立てて扉が開いた。青年が、扉の前に立っていた見張りに開けるように促したようだ。緊張しつつも部屋の中へ足を踏み入れる。中には、廊下と同じ空色の絨毯が続いている。
この世界に来てから、青ばかりを目にしていた。吾月の様子を窺うと、その赤味がかった瞳と目が合った。青ばかりの空間に吾月の瞳は異質なものに思えた。
「大丈夫だ。行くぞ。」
何が大丈夫なのかと、疑問に思いながらも碑透は正面に目を向ける。
大きな椅子。玉座と言うに相応しい場所に、老女が座っていた。
その左には一四・五位の少女が静かに控えている。あとは部屋に入った碑透達以外、誰もいなかった。
「待っていたぞ、姫神子。お座りなさい。」
老女の座るものと向かい合わせに置かれた椅子へと促される。言われるままに腰掛けるが、何を言えばいいのかわからず、黙ってしまう。ただ、吾月がすぐ横に控えているおかげで萎縮することなく向き合うことができた。神殿の巫女は碑透の様子を観察する。
「守部を信頼しておるのだな。守部は姫神子を召喚し、常に側に控え、守り抜くための存在と言われておる。守る役割を担うという意味を持って守部。姫神子に信頼されるのもまた摂理。」
淡々と音を変えずに放たれる言葉。信頼について語るとは思えないほど、冷ややかな声だ。
「あなたは…誰なの?」
「妾は神殿の巫女。名を玲郭ともうす。この国を束ねておる。」
束ねるというと、やはり王様のような存在なのだろうか。吾月のわざとらしい恭しさも納得がいくように感じた。
「私は碑透…と言います」
女王とはどの様なものだろうか。敬語には不慣れな碑透だが、最低限、丁寧に自己紹介する。
「この世界は今、危機に瀕しておる。危機を救うために姫神子の召喚が成された。長い時の旅。疲れたであろう。」
長い時の旅…不思議な言い方をする。長い時間には感じられなかった。全てが曖昧で流されるままにたどり着いた。それが、この世界だった。
「不思議そうな顔をしておるのぅ。不安に思うことはない。姫神子が思うほどこの場所はそなたがおった場所とは離れておらん。同じ…東京には変わらんのだ」
「…え?」
「此処は、そなたのよく知る東京の未来だ。」
パリン。何かが弾けるような音が聞こえた。物理的なものではなく、心のどこかにあった何か。
「ここは東京…日本なの…?」
零れた言葉は質問というよりも、信じられないあまりに溢れた言葉だった。
「今は日の国と呼ばれておる」
玲郭に肯定されるが、言葉は耳に入っていなかった。いくら時代が変わったとしても、自分が絶望を閉じ込めたかった世界には変わりない。同じ世界だ。吐き気を伴う何かが胸の中を駆け上がるように感じた。
「でも…でも!ここは私の知る東京とは全然違うわ!建物だって…それに、薬だって…医療がほとんど無い未来なんてありえないわ!機械だって見かけなかった!存在した文明が無くなるなんてありえないわ。」
「そなたの言う言葉の意味は分からぬが、文明が消えたことも全て史実。信じなくともここはそなたの知る東京には変わりないのだ。妾は、場所が変わらないということで安心できると思っていたが予想外の反応だの。」
玲郭は冷たい表情に憐れみを滲ませながら碑透を諭した。否定はしていたが…腑に落ちる部分はあった。言葉、蜂蜜、自分を人間だといった吾月の言葉。そして、元の世界と変わらない空…。




