019 偽りの姫神子
湖で事が起こってから数日が過ぎた。
朝から鳴月が吾月の屋敷に尋ねてきた。
それまでの間、鳴月は調べ物があるからと部屋に閉じこもり、尋ねても会うことはできなかった。
その間、碑透は結界を張り続ける練習だけを繰り返していた。専念できたからか以前はちょっとしたことで結界が解けてしまっていたが、今日は寝ていても結界を張り続けることができた。
一度結界を張り続けるコツを掴めばあとは難しいことはなかった。
「姫神子さま。お会いしないうちにしっかりと練習なされたのですね。姫神子さまの纏う結界は、とても安定しております。もう十分でしょう。」
碑透の顔を見るなり、鳴月は目を細めて碑透を褒めた。
「お時間をいただきましたが…古い記述を調べておりました。」
客間では、碑透、吾月、燈夜、態狸が鳴月に注目していた。
「わたくしはあまり呪術の類には明るい方ではないのですが…。姫神子さまを襲った黒い靄は、呪術の一種と考えられます。」
「え、でも鳴月。薄茜の国は結界に守られているから呪いからも守られるっていっていたわよね?」
鳴月が言っていた言葉を思い出し、問いかける。鳴月は碑透を見ると、視線を碑透の左腕に移した。
「姫神子さま。傷をつけられた際に血を採られたような覚えはありますか?」
吾月と碑透がはっとする。
恍惚とした表情で血を舐めた少女を思い出した。考えてみれば、吾月に話したことで満足してしまい、以来誰にもその話はしていなかった。
もちろん鳴月にも。
「思い当たる節があるようですね…。吾月様。私の契約する現身を使って現在の神殿の様子を少し探りました。きっと吾月様はご存知でございますよね…。神殿で姫神子を名乗る偽の少女が立てられていると。」
碑透にとっては、寝耳に水だった。
吾月からはそんなこと聞かされていない。思わず吾月を見ると罰が悪そうに視線を逸らされた。「あぁ。知っています。」と、気まずそうに鳴月に返す。
碑透は、まだレジスタンスに協力するとは言っていない。吾月にとっては碑透を巻き込むべきではないという配慮があったかもしれないが、自分の偽物がいるというのはいい気分がするものではない。
「おそらく、呪いの術者はその少女でしょう…。通常、神力を使うための契約をできるのは万物の神力のみです。わたくしにも方法はわからないのですが…血の契約という呪いによって、血を媒介として人の持つ神力を奪い取ることができるようなのです。幸いと言って良いのか…姫さまの神力は封じられております。現時点で神殿に悪用されることはございませんが…」
裏を返せば、碑透が力を得れば呪いによって奪われるということでもあった。
「やられたな…。」
声をあげたのは吾月だった。
神殿は碑透が攫われることを懸念して、呪いを使った策を講じたのだろうか。
神殿の意図は図りきれないが、事実、吾月たちは進むことも戻ることもできない状態に直面していた。否、神殿に碑透の力が渡ってしまうことを考えれば、神力を取り戻すデメリットの方が大きい。
自分はこのまま吾月たちに見放されてしまうのだろう。そんな不安が碑透の中には渦を巻き始めた。不安げに吾月に目を向ける。
「大丈夫だ…碑透を見殺しになんてしない。」
吾月が力強く言うが、燈夜が吾月を諌めるように視線を送る。吾月自身は軽々しく言った言葉ではないようだが、薄茜の国のことを考えると正しい判断とは言えないだろう。
「姫神子さま。不安な顔をなさらないで下さいませ。吾月さま達は姫神子さまを助けることになるでしょう。」
その場にいた全員が言葉の続きを待つ。
「姫神子と守部は一心同体。それは皮肉にも血の呪いに近くもあります。姫神子さまの力が戻れば吾月さまも役割を果たせるだけの力を得るでしょう。逆に姫神子さまを失えば吾月さまも…。」
はぁ。と、燈夜が絶望したようにため息を漏らす。
碑透の持つ不安も少しは消えたが、いよいよ神殿と対立することに覚悟を決めなければいけない。吾月にも迷惑をかけてしまうのだ。
「でも、湖のあれはなんだったのかしら…。結局答えになっていないような気がするわ。」
「姫神子さまに害を加える術の一つでしょう。結界で防げるのは、自分以外の力なのです。姫神子さまと繋がりを持つ者が呪術を使えば防ぐことはできません。ですが。姫神子さまに命の危険が及べば、姫神子さまの力を使うこともできなくなりますし…。わたくしには術を行使した意図まではわかりかねます。」
「理由は何にしろ、結界で防げないってことは…また同じことが起こる可能性があるってことだろうな。」
吾月も気にしていたのだろう。碑透の消えなかった不安をそのまま口にしていた。
「燈夜。」
「…はい。」
嫌な予感を感じているのだろう。燈夜は返事をしたものの、聞きたくないといった様子で吾月に視線を向けた。
「お前にこの国の決裁権を預ける。おれは碑透とともに草薙の剣を探しに行く。」
「そんな事を言い出すだろうとは思いましたが…。決めたようですし、守部の候補として神殿に潜り込むと決めた時と同じ。止めても無駄ということですね。あなたはいつもいつも。ですが、前回同様、急ぎのもの以外は決裁権は頂きません。帰ったら仕事をこなして頂きますのでご承知おきを。」
吾月が無茶をいうのは一度や二度のことではないのだろう。燈夜は諦めたように溜息を吐いた。吾月も苦笑いを浮かべたが、仕方ないと頷く。
今回は神殿に出向いた時よりも長い間、屋敷を空けることになるだろう。
(私が足を引っ張っているのよね…。)
吾月が守部に選ばれなければ元の姿のままでいられたし、碑透のお守りをする必要もなかった。
神殿で傷を受けなければ力を利用されることもなかった。
碑透がこの世界に呼ばれなければ無用な混乱を起こすこともなかっただろう。
まるで厄病神のように薄茜の国に良くないことばかりもたらしている。
(私が居なければ…)
考えに耽っている間、周りは草薙の剣を探す算段を立てていた。
「碑透。明日は準備に充てることにする。明後日までに覚悟を決めれるか?」
吾月の声に、思考が現実に引き戻される。悩んでいても現状は変えられないのだ。この世界で自分はまだ何もできていない、吾月達のために何かをしたいと思えた。吾月の言う覚悟は、おそらく神殿と戦う可能性も含めた覚悟のことだろう。
「わかったわ。」
口にしてから、ようやく覚悟が決まった。




