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未来神話  作者: 相木 夕依
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001 失恋と旅立ち

 凍てつくような痛み。心から広がっていくそれは、体さえ支配するように自由を奪った。


 高く広がる空を、地べたに座って見上げたまま、もうどのくらい時を数えただろう。吸い込まれそうなほどの深い青。これだけ広い空なのだから、私を覆い尽くす苦しみを全て吸い込んだって何も変わらないんだろう。青さも。高さも。広さも。何も…。


 少女はそんな途方無い事を考えていた。


 吐いた息が白く濁って空へ消えていく。晴れ上がった空。冬の日差しにはピリリと冷たい空気を和らげるような暖かさはなかった。


 何もかもがどうでも良くて、背中からドサッと音を立てて倒れてみた。ふわふわに見えた雪の絨毯は、想像していたよりも固く、思わず眉根を潜めた。冷たい雪が背中から体温を奪う。


 昨日降り続けた、東京にとって異常としか言えないほどの大雪。それはまるで世界を、全てを、少女の心さえも真っ白に漂白するかのようだった。それまで持っていた全ての色を失ってしまったようだった。


 たった1つ無くしただけで。


「ふられちゃった…。」


 自嘲と罪悪感を含んだ言葉は、白い息とともに空へと消えた。同時にもう枯れたと思っていた涙が溢れ出した。人間の体の八割は水分だと聞いた事があるが、その何割くらいが涙として消えたのだろう。


 頭は割れるように痛み、目は燃えるように熱い。熱を孕んだ涙が、外の空気に触れて冷たい雫となって雪を溶かす。体を丸め、言い聞かせるように同じ言葉を繰り返した。


 体も心も、その言葉を納得する事が出来なかった。


 杉の木に積もっていた雪がドサリと音を立てて、地面に落ちた。降り続いた大雪は今では嘘のようで、大気は空を青に染めている。


 こんな世界なんて滅んでしまえば良かったのに。


 今日は特別な日だった。ずっと待ち望んだ、一日のはずだった。幼い頃、少女は母から幾度も教えられた。小高い山の上。長い石段の続いた場所に、その家は在った。


 鬱蒼と茂る杉の森に囲まれ、正面からはその大きさを測りきれないほどの屋敷。


 少女、碑透(ひすき)の家は、代々古くから続く神社だった。


 碑透の母は、先読みの力が強く未来の可能性の一端を視る事が出来た。政治家や経済を動かす人間は、節目ごとに母に言葉を求めた。表立って存在を示す事は無いが、十分すぎるほどの権力を持った母。碑透はその姿を幼い頃から見ていた。


 自分もいつか巫女として神社を受け継ぐ事になる。少し考えただけで未来が暗く翳るようだった。碑透は、母のように未来を視る事も神様の力を感じる事も無かった。そもそも、神様を信じていないと言っても良いかもしれない。


 母が未来を言い当てる姿は何度も目にしていたが、それが神様の力によるものだと誰が分かるのだろう。神様には会った事も無いし、感じた事も無い。


 ただ、母の言葉は確かだった。碑透自身、人生の分岐を迎える前には母に呼び出され、決断するべき未来を告げられた。一六歳の誕生日についてもそうだった。



 碑透が八つの頃だったろうか。空を見上げているこの場所で、碑透の未来…今が告げられた。


「碑透、おまえは一六度目の誕生の日、苦しみの中で新しい世界に出会う。その世界はお前に取って、得る物も失う物も等価で存在するだろう。異界との扉は心の中にあり、引き寄せる者はその運命を分け与える。それと引き換えに、おまえを手に入れようとするだろう。」


 淡々と告げられる言葉は、神言のようではないが改まっており、人の声であるのにまるで電子化された音のようだった。


 碑透の母親の言葉はいつもそうだった。八歳の自分にとっても、今の自分にとっても、その言葉は意味深で漠然としていて実感の湧かないものだった。


 幼ながらに母の言葉の意味をしらべて何度も意味を考えた。「等価」「異界」「運命」繰り返すたびに自分に課せられた使命に胸が震えるようだった。


(私は、不思議な世界に行って街を救うのかしら?まるで物語の主人公のように。)


 そんな夢物語を考えていた。



「・・・それが、これ?」


 もし、この現状が母の言った、失う物と言うのなら、等価になる物なんてありえない。彼に代るものも、代わりを見つける自分すらも拒絶したかった。


(私にとって、いつの間にか彼が世界だった。)


「こんな世界、いらない。こんな世界なら、私の前からなくなってしまえば良い・・・」


 止まない大粒の涙が絶える事無く流れ落ちた。ふと、涙を拭うように、ふわふわとした柔らかい空気が頬を撫でた。


 この世に生を受けたばかりの赤子のように、なにもかもを忘れてその風に身を任せたいと感じた。これが母の言っていた運命への導きかもしれない。


 そう思った瞬間に体を引き裂くような、電撃に似た痛みが身体中を駆け巡った。


「なっ…に…?」


 声にならない喘ぎが口からこぼれる。突然、世界は色を失い、音を失った。それが意識を手放す瞬間だった。


 自分が目を開けているのか閉じているのか、何かを聞いているのかいないのか…まるでまどろむ様な世界で、ただ柔らかい風だけが自分の進むべき道を示しているようだった。包み込まれるようなどこか懐かしい温度、匂い、音を感じた気がした。


 次の瞬間、急速に体を引かれるような感覚に陥った。勢いのある水圧に流されるような圧倒的な力に、抗う統べもなく何かに引き寄せられる。


 流れが止まったのは、意識を手放した時と同じような身体中に突き刺さる痛みが走った瞬間だった。


 さっきまであやふやだった体が定着したように感じる。気を失いそうなほどの痺れの中、すぐ近くに気配を感じた。


 懐かしいような生まれる前から知っているような…やわらかな温もり。目をあけたいのに身体を拘束する疲労は、それを許してはくれなかった。


まどろみに抗うこともできず、意識は再び落ちていった。

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