悩みの櫓
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねえねえ、友達ってどうしたらできる?
――そうやって人に聞いて作った友達は、友達じゃない?
あたた、きついことをおっしゃるっすねえ。新年度からの環境が不安で不安でしかたないっちゅーのに、その突き放しかた。
あれか? 小説の中で出てくる、ニヒルな兄貴分ポジション! あの真似っこでしょ!
いやあ、リアルでそれはきついっす。このごろ辛いことが多くて、真正面からツンツンした態度を受け止められるほど、余裕がないなあ。時代はとろけそうなくらいの、デレデレデレで頼みたいところなんだよ、こーちゃん!
はああ、新しい環境が待ち受けていてもいなくてもさあ、悩みの種がつきないんだよねえ。
友達、学校、テストの成績……常に相手と比べて、ときには顔色をうかがわなくちゃいけない。悩みなんざゼロの世界にあこがれちゃうんだよなあ。
でもね、どうやら適度に悩まないとまずいことがあるみたいなんだ。そう考えるようになったのも、ちょっと昔に友達が体験したことがあったからなんだけどね。
今から数年前の友達も、悩み事に胸が潰されそうだったらしい。
僕と同じように、新年度を迎えてからの友達関係に悩んでいたそうだ。自己紹介の補正がかかっている数日間は、お互いフックになって、とっかかりしやすいっしょ? 経験ない?
友達はその大事な一の太刀を打ち込みそこねた。こうなると多かれ少なかれ、仲良いコミュニティができちゃって、割って入りづらくなる。
こうなると、外から入るのって難しいんだよねえ。共通の話題があれば助かるけど、付け焼刃の浅い知識だと、かえってニワカだと蔑まれるしなあ……。
そうなると勉強なりスポーツなりで、結果を出して一目置かれるのがいいのだけど、それもなし。その日もろくすっぽクラスメートと話せないまま、下校の時間になった。この間も、仲がいいグループ同士で固まって帰る姿がちらほらと見える。
――くっそ。俺もあの中に混じりてえ……。
誰がどうだ、というのはこの際、問題じゃなかった。ただひとりでいる状況が嫌だっただけ。混ぜてもらえるなら、どこでも構わなかったんだ。
でも、声をかける勇気は生まれなかった。声をかけて、もし突っぱねられたらと思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。
けっきょくその日も、友達はひとりでとぼとぼと家路をたどっていた。
その自宅の近くへ来た時だ。うつむき気味で歩いていた友達だけど、さすがに顔をあげる。
ひと目見て視界に飛び込んできたのは、いつも暮らしている我が家じゃなかった。
それは櫓のように見えた。周りの家々をはるかに上回る高さで立ちふさがっている。すべてを炭で作ったんじゃないかというくらい、どす黒い図体を持っていた。
思わず足を止めた友達は、両目をごしごしとこすってもう一度見直す。するともうそこには、いつもの門扉と壁と屋根を持つ、我が家の姿があったんだ。
見間違い? とも思って玄関の戸を開けても、内部は勝手知ったる我が家のもの。その日は問題なく過ごすことができたんだ。
ところがその日を境にして、友達は毎回、櫓に姿を変える自宅の姿を目にするようになった。
初めは家のすぐ近くに来るまで気がつかず、また目に映るのもまばたき同士の間くらいの、短い時間だったとか。
それが日を追うごとに、ひどくなっていく。一週間が立つ頃には、数百メートル離れた交差点からも確認できるようになり、見える時間の秒数も増えていったらしい。
両親に相談しても、にわかには信じてもらえない。明日の朝に眼科さんへ行こうといわれたけど、おばあちゃんは違った。夕食後に自分の部屋へ友達を呼んで問いかけてくる。
「あんた今、どえらい悩み事があるんじゃないか」と。
友達は目を丸くしたけど、悩み事があることは伝えた。だけどそれが、どんな悩みなのかは話さなかったらしい。
誰かの、特に家族の力を借りて解決しようとは思えない。自分の弱点をさらすことが、何よりも嫌に思う時期でもあったから。
言いたくないことを悟ると、おばあちゃんは小さく息をついてから、友達に告げる。
「話したくないなら、それでいいわ。だけどその悩み、たとえ解決する時があっても、何もかもを手放しにして喜んではいけないよ。
あんたの見る櫓は、あんたが思い悩んだ時間と、その犠牲になったものたちが作っているものだから。常に彼らの重さを背負っていることを忘れちゃいけないのよ」
そうおばあちゃんからアドバイスを受けて、数ヶ月が経った。相変わらず櫓は見え続けたけれど、この時期に校内で行われていた球技大会で、友達は思わぬ活躍をする。
ソフトボールの試合、最後のフライをとって勝利に貢献したんだ。決勝戦だったし、表彰もされるしで、一気にちやほやされた。
今まで最低限の関わりしか持てていなかったために、友達は心底嬉しかったらしい。球技大会のこと以外も、いっぱい話をすることができた。
これまで話すことができなかったぶん、人が変わったように話を振ったし、よく聞いた。
やっとクラスの一員になることができたんだって、心の中で涙を流したいほどだったらしい。
ほくほく気分の友達だったけど、それに気を取られたまま、家の姿をろくすっぽ確認する
ことなく、玄関をくぐってしまったらしい。
気づいた時には遅かった。目の前の廊下。左隅にある登り階段とおばあちゃんの部屋の戸。右手にある台所への入り口と、奥の風呂場への入り口。玄関から確認できるすべての場所と壁が、黒一色で覆われていたんだから。
立ちすくむ友達の前で、それらは一斉にどろりと崩れる。もちろん、天井の部分でさえも。
頭、肩を次々に叩かれ、押し倒される友達。それにも飽き足らず背中を無数のボールたちがぶつかってくるかのような感触。
目も閉じていないのに、友達の視界はもはや真っ暗になり、ただ痛みの感覚がなくなるのを待つばかりだったとか。
友達はその後、部屋で布団に寝かされている自分の姿を認める。
あとでやってきた母親曰く、玄関で突っ伏しているところを運んだのだとか。
身体は一日経ったら動かせるようになったけど、背中と肩には、これまでなかった大きなほくろがいくつもできていたみたい。ひょっとしたら頭皮にも。
きっとつもりにつもった悩みたちが、元のように自分の中へ戻っていったんだろうと、友達は感じているとか。