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周りに居た他の参加者は大喜びで手を叩いていた。
そんな参加者達を掻き分け、エマの兄、サミュエルが騒ぎを聞きつけてやって来た。
「アラン、エマ、それにクロエ!シモンが逃げていったぞ?何があったんだ?」
サミュエルは少々驚きながらあらましを聞くと溜息を吐く。
「確かに爵位の問題で婚約破棄に手間取ってはいたが……。あーあ、これでエマの婚期は遠退いてしまったかな?」
「お兄様、いいのよ!あんな馬鹿と一生を共にするくらいなら独身のが気楽よ。……でも、クロエ。ごめんなさいね。貴女の婚約披露パーティーをめちゃくちゃにしてしまって」
しょんぼりと落ち込むエマの肩に手を添え、クロエは首を振る。
「いいえ、エマ。めちゃくちゃにしたのはアラン様よ。それにアラン様がめちゃくちゃにしなかったら結局私がめちゃくちゃにしていたわ、暴力という名の力でね」
二人が笑顔になると、アランとサミュエルも笑った。
「エマの嫁ぎ先に私の従兄弟の所はどうだろう?私ほど裕福では無いが、堅実な男で、まあまあな物件だ」
「アラン様……。暫く考えてみるわ。ありがとう!」
それじゃあ、とエマとサミュエルが辞そうとした所にクロエが声を掛ける。
「ところでエマ、アラン様にオシメを替えて貰ったって本当?」
エマは真っ赤になって怒り出した。
随分と賑やかに喧しく、婚約披露パーティーは過ぎていった———。
★
嵐の様な婚約披露パーティーの翌朝。
アランとクロエはシガールームで食後の茶の時間を過ごしていた。
アランが吹かす葉巻の香りにも随分と慣れた。
「アラン様、昨日はお疲れ様でした」
クロエが虚ろな眸で煙の行方を見守るアランに声を掛ける。
すると、クロエに焦点を合わせたアランが視線を逸らす。
「呆れただろう?年甲斐も無く派手な行いをしてしまった。あんなだから社交界でも碌な噂が無いのだ。私にあるのは富だけだ」
アランは少し長くなった前髪を指先でいじっている。
その鬱屈とした態度にクロエは驚いた。
いつも堂々と振る舞うアランが落ち込んでいる。
この人にも人間らしい一面があったのかと驚いたのだ。
「まあ、多少やり過ぎたかもしれませんが、良い思い出になりましたよ」
クロエがあっさり言うとジト目でアランはクロエを伺う。
「本当に?」
「ほんとに」
アランは手の中で持て余していた葉巻をまた一口吸う。
そのタイミングでクロエは爆弾を投下する。
「昨日の一件で、どうやら私は貴方を好きになってしまったようですよ」
アランは盛大に噎せる。
シガールームで噎せるアランは二度目だ。
焦るアランにニコニコと笑うクロエ。
まるで立場は逆転してしまった。
「待て、待て!君が、私を?!」
アランは胸をトントン叩きながら涙目になっている。
「はい。私が、貴方を」
「嫌われてはいないんじゃないかと最近薄っすら思ってはいたが、唐突過ぎやしないか?」
「唐突じゃありませんよ?だって貴方、良い人だわ」
「それは、都合の良い人じゃなくて?」
「まあ、都合も良い人ではありますけどね」
「なんだ、やっぱりそうなんじゃないか」
「あら、都合も良い人を好きになってはいけないかしら?」
クロエが横の椅子に腰掛けるアランを覗き込む。
「いけなくはない。いけなくはないんだが……。ちょっと予想外だな、君は。矢張り世代のズレなのか?」
「アラン様が私より年上だとは思えないですよ?だって貴方、見た目だけじゃなくて思考回路も若々しくていらっしゃるから」
「そんな事を言うのは君だけだ」
「皆んな陰で思ってますよ。ただ貴方ってエキセントリックな人だから藪から棒に突いたら面倒臭そうだから声にして言わないだけですよ」
クロエが毒付くとアランはやっといつもの調子を取り戻し始めた。
「そうか?ふふ、私は面倒臭そうか?」
「面倒臭そうじゃなくって面倒なんですよ、実際」
「ふふふ、面倒か。そうかあ、私は面倒なんだな。やっぱりクロエは最高だなあ」
クロエはアランが小さく笑う声が好きだ。
小さな子どもの様な少し鼻にかかった笑い声。
自分よりも大きい成人男性ではあるが、可愛くて好きだった。
「クロエ、クロエ。調子に乗っているから今言ってしまうが、いいか?」
「そういった前置きのお話しは碌な事がないので余り聞きたく無いですね」
クロエが渋面を作り拒否の姿勢を表すとアランは矢張り大喜びした。
「もっと君を困らせたいから、やっぱり言う事にする!キスしたいのだ。駄目か?」
「なんだ、そんな事」
クロエはそう言ってアランの頰に一つ口付けた。
「まるで子どもじゃないか」
そう言ってアランはクロエの両手首を捕まえて引き寄せると、片手で抑えた。
空いたもう片方の手でクロエの顎を捉えると、少しだけ上を向かせた。
短い時間、じっと見つめられていたかと思うと、吸い寄せられるように唇を奪われた。
少しだけ開かれたアランの唇から覗く真っ赤な舌先がクロエの下唇をしっとりと舐めると、背筋に甘やかな痺れが這い寄る。
思わぬ快感にうっかりクロエが口を開けてしまうと、アランが舌先を差し入れてきた。
口内に広がる葉巻の甘い残り香を移す様にアランは口付けを深くした。
上顎を舐められるとクロエは腰から砕ける様にアランにもたれかかる。
最後に、ちゅっとリップ音を響かせて二人が少し距離を取ると、どちらのものか分からない唾液が糸を引いていた。
甘い余韻が二人を包んでいた。