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さて、当日の夕日が沈む頃の事である。
朱色を纏ったネイビーの夕闇が辺りを覆い隠す頃。
クロエは銀糸の刺繍がふんだんに盛り込まれたミッドナイトブルーの色のドレスを纏っていた。
さながら夜の帳の様な絹の銀糸が煌めくドレス。
エンパイアラインのドレスは女性にしては高めの身長のクロエに似合っていた。
明るいグレージュの髪は綺麗に纏めており、その胸元には富の象徴のような大振りの宝石をあしらったチョーカーが輝いていた。
隣に立つアランは細身の漆黒の礼服を纏う。
ポケットチーフにはミドナイトブルー。
袖口に留められたカフスはクロエの瞳と同じアッシュグリーンの宝石。
絵に描いたような成金コスチュームにクロエは血反吐が出そうな悪寒を堪えた。
婚約披露パーティー自体は恙無く進んだ。
列席している参加者に軽く挨拶をし、立食形式で和やかな宴となった。
アランと共に並び、次々と舞い込む列席者達への対応をしていると、見知った顔が近付く。
「エマ!」
クロエが思わず笑顔で声を掛けると、エマ・リシャールも笑顔で近づいて来た。
「やっ!元気そうね。安心したわ」
「ええ、なんとかね。……アラン様、エマです。ご存知でしょう?」
クロエが二人を引き合わせるとアランとエマは笑顔で挨拶をする。
「久しぶりだな。兄君は息災か?」
「ええ、元気でやってますよ。アラン様、お幸せそうで何よりですわ」
クロエはエマが元気な顔を見るだけで毎回嬉しくなる。飛び抜けて綺麗な容姿をしているわけではないが、花が咲いた様な笑顔のエマは非常に愛らしい女性なのだ。
三人で暫く談笑していると、どこからともなくエマの婚約者であるシモン・デュポアがやってきた。
「エマ、そろそろ僕を伯爵に紹介してくれないか?」
わざとらしく伯爵を強調する辺りが本当に性格が悪いとクロエは思った。
「アラン様、私の婚約者のシモン・デュポア様です。シモン様、こちらアラン・ルソー伯爵です。兄の友人でかねてより我が家とは親交のある方ですわ。シモン様はクロエとは何度か会った事がありますね?」
「ルソー伯爵、ご婚約おめでとうございます。とんだ貧乏くじを引いたようですね」
「貧乏くじ?さて、何のことだろう」
アランが分からないという風にクロエを見る。
クロエも緩く首を振る。
馬鹿の戯言にいちいち付き合う程暇では無いからだ。
「ランベール家の娘ですよね?あの貧乏貴族の。伯爵程の方であればもっと良い娘を迎えられたでしょうに。彼女のことは少しばかり知っていますがね、顔の良いだけの偏屈な娘ですよ。私も、エマの様な妾の子を貰う羽目になったので、貧乏くじはお互い様ですかね?」
下品な笑い声を発するシモン。
周囲の人間達の冷めた視線に気付かずに高笑いを続ける。
相変わらず底の浅い人間だとクロエは思った。
エマが顔を蒼褪めさせながら控えめにシモンの袖を引く。
可哀想なエマを見ていると、クロエは沸々と怒りが湧いてきた。
一言言い返してやろうかと虫ケラの様な貧相なシモンを睨んでいると、アランが制した。
「デュポア卿、貧乏くじとは確かに言い得て妙ですね」
アランの言葉にクロエはサッとアランを睨み付ける。
するとアランはゾクゾクと身を震わせ頰を染める。
咳払いを一つしてから更に高笑いを続けるシモンを見る。
「そうでしょうとも!僕と貴方は貧乏くじを引いたんだ。いやあー、可笑しいなあ」
「いいえ、デュポア卿。貧乏くじを引いたのは私と貴方ではありません」
アランの思い掛けない言葉にシモンはきょとんとする。
「僕と貴方が引いたんじゃない?」
「ええ、そうですよ。貧乏くじを引いたのは私の婚約者であるクロエと、貴方の婚約者であるエマ嬢だ」
大胆不敵な笑みを浮かべるアランに、絶句したシモン。
「なっ……?!なんだと!名誉毀損だ!僕を誰だと思っている!次期デュポア伯爵だぞ!」
「ふふ、知っていますよ。次期伯爵ですよね?まあ、私は既に伯爵ですがね。名誉毀損というなら金貨をやろう。私はクロエ曰く成金伯爵だからな。金ならくれてやる。デュポア卿、最近領地経営が上手くいってないそうじゃないか。だからリシャール家のエマの輿入れであぶく銭を稼ごうという算段だと噂だぞ?貧乏貴族は君の方じゃないのか?デュポア君。そんなに金が欲しいならくれてやる。しかし、エマとの婚約は破断だ。私はエマのオシメも替えていたのだ!妹と変わらぬエマと、私の大事な婚約者を侮辱するとは言語道断!」
今度は高笑いをアランが初めて使用人に金貨の詰まった袋を持って来させると、ワナワナ震えるシモンに金貨を投げつけながら追い払っていた。
シモンは怒りに顔を染めた虫ケラ風に金貨に追い払われて帰って行った。
クロエもついでに金貨を投げ付けた。思いっきりぶつけた金貨に悲鳴をあげるシモンの姿は爽快だった。
力士の塩の様に金貨を投げ付けるアラン……笑笑