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クロエは婚約披露パーティーに向けて慌ただしい生活を送っていた。
招待状の準備や当日の食事の手配。
会場となるホールのセッティングの打ち合わせから、当日来る楽団との打ち合わせ。
多種多様な煩雑とした物の手配を少しずつこなしていった。
クロエにとっては初めての事ばかりで、使用人たちに支えられながら何とか乗り越えて行った。
クロエが自室で招待者のリストを最終チェックしていると、部屋の扉がノックされた。
控えていたアンリが扉を開けると、そこにはアランが立っていた。
「クロエ、君、何か忘れてないか?」
入って来るなり部屋の中央にあるソファセットに遠慮なくアランが座る。
この男はどこに行ってもすぐに自分のテリトリーにするのが得意なのだ。
「えっ?私、何か不手際を?」
クロエが不安そうに尋ねると、アランは不敵に笑った。
「一番大切な物を忘れているらしかったから私が用意しておいた」
アランが指を鳴らすと、数人のメイドがトルソーに豪華なドレスを着せた物を抱えて入室して来た。
「これは……」
「婚約披露パーティーで君が着るドレスだ。金に物を言わせて最高級の素材を使って総レース仕上げにした。通常短期間では無理な仕様のドレスだが、金貨を積んで突貫作業させた。ふふ、どうだ?」
アランがニヤニヤしながらクロエを見る。
「アラン様、相変わらず鼻に付く成金っぷりですね。これはちょっといやらしすぎませんか?」
クロエが呆気にとられて言う。
「そのいやらしい成金ぷりが良いんだろう?」
「はっ?私は金をくれる人は好きですけど、いやらしい成金は嫌いですよ」
「ああ、クロエ、それだ!最近私を詰れない程元気が無かったからな。その罵倒を聞いて安心した」
「私の健康具合を詰りで測るのやめてくれませんか?」
アランの物言いに可笑しくなってクロエは笑い出す。
「アラン様、とても嬉しいです。ありがとうございます」
「婚約披露パーティーの準備を頑張ってくれてありがとう。君の手配は完璧だ。後はこの美しいドレスを纏った君が居れば」
「本当に口の減らない方だわ」
「ふふ、諦めてくれ。私は君を楽しませる為に言葉は惜しまないと決めているのだから。ほらっ、おいで」
アランが両腕を広げて抱擁を強請る。
「まあ!貴方三十八にもなってまだまだ子供なのね、抱っこをせがむなんて」
クロエは苦笑しながらアランを抱き締めた。
「初めて君が抱き締めてくれた」
「そうだったかしら?そんな事まで覚えているなんて貴方やっぱり不気味よ」
「不気味っ!それは良いなあ。毎日抱き締めてくれたらカウントは止める」
「高いわよ?」
「また金か。君も好きだなあ。だが、そんな分かりやすい君が好きだ。毎日元気に詰ってくれるのならば、言い値で買おう」
「呆れた成金伯爵だわ……」
アランは盛大に吹き出した。
二人のやりとりを見聞きしていたメイド達も笑い出す。
幸せな絵の様なひとときであった。
★
婚約披露パーティーはとうとう明日に迫っていた。
全身を磨きぬかれたクロエはガウンを纏い、湯冷ましを口にしていた。
「クロエ様、緊張していますか?」
アンリがクロエの髪を梳きながら尋ねる。
「緊張?まあ、してない事はないけれど、明日は屋敷の皆も一緒でしょう?だから平気よ」
「そうですね、アラン様も居ますしね。———クロエ様が来てくださってから屋敷の雰囲気は随分と良くなりました。本当にありがとうございます。アラン様、ちょっと変わった所もある方ですけど、見捨てないでくださいね」
「あら?このお屋敷、雰囲気が悪いなんて思った事無いわよ?」
「クロエ様がいらっしゃる二カ月くらい前から変わったんです。それまでアラン様が連れてくる女性は、そのー、少し言葉は悪いんですが、感じの悪い方ばかりでしたから。使用人に対しても非常に横柄で、皆が辟易していました。だから、本当にクロエ様がいらっしゃってくれて嬉しいです」
「それは私の育ちが悪いからよ」
「まさかっ!」
「本当にその通りなのよ。子爵家は貴族とは名ばかりの平民と大して変わらない暮らしをしていたんですもの。本当だったらアラン様にとってはこの婚約はマイナスしかないのよ」
「いいえ、いいえ!それは違います!アラン様はお金と引き換えに大切なものを買われたんです」
「大切なもの?」
「心です。人を慈しむ心を」
「……」
「……」
「……アンリはロマンチストなのね」
「もう!クロエ様が黙るから私が恥ずかしい奴になってしまったじゃないですか!」
「アンリ、ごめんね。機嫌を直して」
クロエが堪らず笑うと、アンリもばつが悪そうに苦笑を返した。
「心ねえ。それじゃあ元々のアラン様は成金悪徳伯爵で心がないって事になるわね。つくづく救い様の無い人だったんだわ」
「悪口はこれくらいにして、休みましょうか」
「そうね。明日は大切な日だから」
クロエはガウンをアンリに手渡し、寝台に入った。
アンリがランプの灯りを小さくしてから、おやすみなさいませ、と言って出て行った。
クロエはその日、驚く程ぐっすりと眠った。