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さも呆れたと言わんばかりのアランの態度にクロエは些か憤慨するが、確かにアランの言う通り話し合いは必要だと思った。
この得体の知れない男性とこれから一緒になるのならば、避けては通れない道だろうと思ったからだ。
クロエは仕切り直す様に二度三度小さく深呼吸を繰り返した。
甘く喉に絡みつく様な葉巻の芳香がクロエを捉えて離さないという様に室内に充満していた。
アランは立ち上がり、窓を開ける。
爽やかな冬の気配の増した冷たい風が吹き込んだ段で漸くクロエは大きく深呼吸をした。
その様子を見て、アランはクロエの近くの椅子に腰掛けた。
「君は私の行動に自分の理解出来るものを当てはめたいようだが……。私も上手く説明を出来る自信がないのだ。だが、あの日クロエの醒めた眼差しを見た時に強烈に欲しいと思ってしまった。それでは駄目か?」
「二十以上も歳下を?貴方が悠々と遊んでいた二十歳前後にやっと産まれた娘ですよ?」
クロエの驚きの声にアランは額を抑える。
「言いたいことは大体解るがこれ以上おじさんを虐めないでくれないか?」
「おじさんって……。なんだか急に老けて見えてきました。ほらっ、この目尻の辺りに笑い皺!貴方!笑い皺が出来る程良く笑う方なんですか?この二度会っただけでも人形の様に笑う姿しか見た事ありませんよ?案外成金の悪党って訳でもないのかしら?」
身を乗り出し、すぐ側の椅子に座るアランに肉薄すると、アランは身を引いて両手でクロエを牽制した。
「若作りと言ったり老けてると言ったり君は勝手な人間だなあ。しかも私は成金の悪党か?随分な評価だな。しかし、いいなあっ」
アランはクロエを腕で制しながら肩を震わせて大きく笑った。
「だって人買いみたいでしたよ?しかも、極限られた人しか知らない私の個人的な趣味やドレスのサイズや好みまで調べるなんて気味が悪いです」
「ふん?人買いか、全くその通りだが、普通に考えれば親の方が歳が近い相手に嫁ぐなんて分かりやすい物が無いと無理だろうと思っていたが。それに、相手の情報を調べるなんて商談では当たり前の事だと思っていたが?しかも、調べるまでも無く、君の父上から手紙を戴いて好みや懇意にしているブティックの情報が書いてあったからその通りに手配しただけなんだが?」
「えっ?お父様が?なんて余計な事を!私てっきり貴方が私を暴く変態か何かでは無いかと考えてしまいましたよ」
「変態か!それは良いなあ。確かにそうだな。可笑しいな、こんなに笑える人が私の婚約者になってくれたのか、本当に金貨百枚では安すぎた」
アランはとうとうお腹を抱えて笑いだした。
目尻にはくっきりと浮かぶ笑い皺を見たクロエは唐突に思った。
彼との結婚で私は幸せになれるかもしれない、と。
そして、クロエは大嫌いな成金の筈のアラン・ルソーという男に僅かながら好感を感じ始めていたのだ。
マイナスをプラスに変えるこのアランという男は矢張り油断ならない相手だとも思った。
しかし、以前の様な刺々しい気持ちは、もう一片も持ち合わせていなかった。
「クロエ、君ほど魅力的な女性が社交の場に出て誰か他の男のものにならなかったのは私にとっては幸運な事だ。君であれば、金もあり、若く、地位もある好人物との結婚も出来た筈だ。しかし、私に捕まってしまったのだ。諦めてこの屋敷を居心地の良い様に変えてくれ」
そう言ってアランは立ち上がり、紳士的にシガールームの扉を開き、クロエをエスコートした。
余りにも様になる姿に、やっぱり悪い男かもしれないとクロエは思った。
クロエを狂わす悪い男。
年の功なのか、クロエは逆立ちしてもアランに適いそうもないと思った。
★
クロエがルソー伯爵邸に来てから早くも一月が経った。
その間に、アランの寝室に忍び込んだ事が原因でエミリーはクビになった。
クロエとしてはさして気にしないからクビは可哀想では?とアランに進言した所、非常に嫌そうな顔をした。
自宅で寛げ無いのは拷問だ、と言ったアランに確かにそうだなと頷いたのだ。
アランは若さだけでクロエを選んだ訳では無いらしいのはその一件で良く解った。
エミリーもクロエと同じぐらいの年齢であったからだ。
ぼんやりとクロエが自室で茶をしながらこの一月の出来事を振り返っていると、部屋のドアがノックされた。
アンリが扉を開けて、二、三言話すと、扉を閉めて振り返った。
「クロエ様、アラン様が帰ってこられるようですよ」
そうだ、アランは領地の視察の為に一週間程屋敷を不在にしていた。
それまで毎日顔を合わせていた人物が欠けるのは意外と寂しいものだと思い知らされた一週間だった。
アランが帰ってくる。
クロエはアンリに手伝って貰い、素早く身嗜みを整えて、エントランスに続く階段に急いで向かった。
使用人達と共に並び、アランを出迎えた。
「お帰りなさいませ」
アランはクロエを見ると、飛び切りの笑顔を浮かべた。