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葉巻は高価だ。
一本の葉巻を一時間程掛けてゆっくりと味わう。
貴族紳士には一般的な嗜好品だ。
恐らくアランの好むその葉巻も一級品である。
高い金で腹ごなしの時間を買っているのだ。
クロエからしたら金をかけてまで煙たい思いをするなど信じられない事ではあるのだが。
アランが矢張り旨そうにのんびりと嗜んでいる姿は様になる。
「暫く眺めていると、一人の男が君たちに近寄った。確かあの男は妹君の婚約者だとリシャール家の長男、サミュエルから聞いた。妹君は愛想よく対応していたが、君は不機嫌を隠さず仏頂面を浮かべていたな。相手の男が君を値踏みするような視線を張り巡らせると鼻で笑ったのが見えた。君は戻しそうな顔をした後に足早に去っていった。———そう、その表情ときたら、堪らなかったなあ」
再びのんびりと葉巻を咥えると、まるで芳醇なワインを楽しむように煙を口の中で転がしている様だった。
そう、クロエはエマのさっぱりした性格がとても好きで、リシャール家とランベール家は祖父の代から親交が厚く、両親も友人同士である。
それとは別に、エマとは親友といって差し支えない程の交流をしていたが、エマの婚約者だけは駄目だった。
リシャール家は傾き掛けの貧乏子爵家であるランベール家と違い、裕福な貴族家である。
永らく続いた良い関係を続けてくれる非常に人の良い家系である。
が、エマの婚約者である男性は、貧乏人と付き合いのある事を良く思っていない様だと風の噂で聞いた。
エマ自身は隠している様だったが、人の口に戸は建てられない。
もれ聞こえる噂と、当の婚約者の態度でクロエは推し量った。
あの虫ケラを見る様な目が嫌だった。
だからクロエも虫ケラを見る様な視線をたっぷり浴びせてやったものだ。
エマはクロエが婚約者の男性となるべく会わない様に気を遣ってくれていたが、我が物顔でリシャール家に土足で踏み入る婚約者を止める事は出来なかったのだ。
まるでクロエの方が招かれざる客だとでも言わんばかりの態度にクロエは怒り心頭だった。
しかし、大事な親友の婚約者と揉める訳にはいかないといつも済んでの所で我慢していた。
「さっぱり話しが分からないのですが、結局リシャール家で丁度良さそうな私が見つかったという事ですね?それで、アラン様のお慕いしている方は、あのブロンドの髪の綺麗なメイドのお嬢さんという事で良いのでしょうか」
クロエは虫唾が走る嫌な記憶を封印して、落ち着けた心でアランに尋ねた。
「大筋それで問題無いが……。ん?メイドと言ったか?ブロンドの髪のメイド?誰だ?エミリーの事か?何故そこでエミリーが出てくるんだ。君の思考回路はベールに包まれていて私には理解の及ばない所が多いな。きちんと説明してくれないか」
再び一口吸ってから、シガートレイで灰をポキリと折ってから持ち直し、葉巻を持った手で話しを促された。
「ですから、第二夫人にされるのか、愛人になさるのかは存じませんが……いえ、いいえ、そんな事は私が知らなくても良い事でしょう。ですから、エミリーというメイドを側に置くための隠れ蓑として私をお買い求めくださったのでしょう?」
アランは再び口につけていた葉巻の煙で盛大にむせた。
———あんな煙たい物、咽せて当然ね。
クロエは冷めた視線で咽せるアランを暫く黙って見つめた。
「エ、エミリーを第二夫人に?愛人に?冗談では無い。君は何か勘違いをしているな」
「では彼女が一方的に慕っていると?他の方がいるのですか?それとも私が把握する必要の無い話しなのでしょうか?」
矢継ぎ早に質問するクロエに面食らいながらもアランはクロエの勢いを止める様に葉巻を持っていない方の手で制した。
「エミリーとは君が邪推する様な関係では無い。他にも何も、君を貰い受けると決めた時に過去の関係は総て清算してきた。それではまるで私が婚約者がいながらも他の女性と寝る不埒者みたいではないか」
「違うのですか?」
「違う!」
「呑む、寝る、打つ。金持ちの男性の嗜みでしょう?」
「それは金持ちに限らないだろう。どちらかと言うと遊び人の放蕩者の嗜みだろうが」
「ルソー伯爵様は違うのですか?社交界でもかなり派手に遊び回っていると友人のエマから聞いた事がありますが……」
「退屈しのぎに昔はいくらか遊びはしたが、そこまで派手に遊んだ記憶は無いな」
「昔?まさか、年端もいかない頃から爛れていたのですか?伯爵様……不潔です」
クロエがサッと距離を取り、アランを見下す。
アランは左胸を抑えて身悶えした。
「矢張り君は良いなあ。しかし、不潔とは何だ。成人している男が真っ白の方が余程気持ち悪いだろう。一番酷かった時期でも二十歳は越えていた。遊びだした頃も十七、八くらいだったぞ?普通だろう?もう十年以上前の事だし、時効だと思うが」
「伯爵様、一体幾つなんですか?」
「今年で三十八だ。年甲斐も無く若い妻を娶ろうなどと、恥ずかしい限りだが」
シガートレイに葉巻を預け、空いた手で髪をかきあげる仕草は壮絶な色気が漂っていた。
「待ってください。良くて二十六、七くらいじゃ無いんですか?恐ろしく若作りですね。まあ、それは良いです。では何故私なんかを妻に?ん?そうか、そうなんですね。ご自分の生殖器官の衰えを若い妻でカバーなさりたいんですね。それなら納得です。でも伯爵様、探せば一人や二人くらいは血の繋がったお子さんがいそうですよね」
クロエが考えながら話すと、アランは溜め息を吐いた。
「これが世代のずれなのか?いや、ただ意思疎通が取れていないだけか?クロエ、君とはもう少し深く話し合う必要があるな」