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ナタンから連絡が来たのは二日後のことだった。

急ではあるが、その日の午後なら都合がつくということになって、クロエは急ぎ支度をした。


伯爵家のエントランスに降りると、既にそこにはヴラドが無言で佇んでいた。

漆黒に近い、濃いウォルナットの伯爵家の扉に馴染んだ影のようなヴラド。

その白い素肌が無ければ彼を見つけることは出来ないだろう。

それくらいに気配を消しているのだ。

階段からクロエが降りると、いつの間に移動したのか、手を差し伸べてくれた。

「ヴラド、今日は頼みます」

クロエがヴラドの手に手を重ねながら言う。

「はい、奥様」

目を伏せて、クロエの手を取っていない右手を胸に当て、ヴラドは礼をした。

クロエが階段を降り切ったことを確認すると、一歩後ろに下がり、クロエの背後を守るように付いてきた。











中流の貴族たちのタウンハウスが並ぶ通りにルソー伯爵家の馬車が停まった。

中からヴラドが先に降り、恭しく手を差し出す。

遅れてクロエがヴラドに支えられて馬車を降りた。

「ここね。エマとナタン兄様は先に行っているらしいから。行きましょう」

クロエとヴラドは目の前にある、ジラール伯爵邸を見上げた。

訪ね人の名は、モネ・ジラール伯爵。

ナタンの友人であり、私財を投じて救済院で医者をする変わり者の伯爵だ。

領地経営などの殆どを先代伯爵時代から支える家宰や執事に任せ、自身は趣味の研究や救済院での仕事に没頭しているとナタンは言っていた。

「ヴラド、付いてきて」

クロエが背後にいるヴラドを振り返る。

「はい、奥様」

こんなに目立つ容姿だというのに、ヴラドは存在感を消滅させた。











モネ・ジラールとは、実に変わった人物であった。


丸々とした体躯。短い手足。首は顔と身体の肉に埋まっているのか見当たらない。

丸い形の眼鏡を低い鼻に乗せ、皺くちゃの白衣を引っ掛けるように着ている。

クロエが通された部屋も、到底客人を招けるような部屋では無く、所狭しと本が積み上がっている。

だが、渦高く積まれた書物は主人の妙な拘りを感じる置き方ではあった。

その部屋の唯一の安全地帯、中央のテーブルセットにエマとナタンは付いていた。

「ナタン、彼女だね??」

挨拶も無く、クロエがテーブルに近づくより前にモネが発言する。

じろりと丸い眼鏡の下の小さな瞳でクロエを睨め付ける。

やや驚いていると、ナタンに着席を勧められる。

ヴラドはクロエの背後に佇んだままだ。

「やあやあ、良く来たね!僕はモネ。ナタンの友達さ。君はクロエさんだね?エマさんの友達の。そしてエマさんはナタンの兄妹。不思議だね!昨日までは顔も知らなかった僕たち、でももう友達さ。そうでしょう?ナタン!」

一息に低い小鼻をひくひくさせながらモネが言う。

「モネ、落ち着け。お喋りはレディに嫌われるぞ」

ナタンが宥めると、モネは丸い肩を落とす。

「これだからつまらない。僕は人付き合いは嫌いさッ!」

にっと歯をむき出しにして笑う。

嫌いといいながら、人好きするような笑みだ。

「僕は臓器の方がよっぽど馴染み深いんだ。貴族も平民も、王様も!中身は皆んなおんなじ臓器さ!紳士的な麗しい貴族男性だって澄ました綺麗な貴族女性だって道端に転がる浮浪者だって腹を開けたらおんなじ赤黒い胃や腸のオンパレード!興味深いだろ?お嬢さんッ!」

モネは三白眼の小さな瞳をこれでもかと見開いて語る。

間違いなく、変人だ。

アランやランベール家の人々とは違うタイプの変人だ。

「確かに興味深い話ではありますけど、その話はまた今度に致しませんか、ジラール伯爵」

クロエが素っ気なく返す。

「ややッ!お嬢さん、いや、クロエさん!ジラール伯爵だなんて水臭い!モネと気軽に呼んでくださいな。クロエさん、また今度なんて言って二度と来ない気じゃないか?」

モネは尻切れの眉毛を吊り上げた。

「モネ……、今日は俺たちは別の要件で来たと説明しただろう?」

ナタンがモネを制する。

「むむ、それじゃ仕方ない。さて、何の話だったかな?」

「最近流行っているというクスリの事よ」

エマが補足した。

「あー、あの粗悪品かい?あれは良くないね!鎮痛剤に使っている薬品を素人が加工した粗悪品さッ!薬は用法と使う量を守らなきゃいけないけど、あれはそれ以前の問題さッ。非常に危険なクスリだよ」

暫くギョロギョロと空中を見つめていたかと思うと頷きながら、モネは語った。

「北国のリシアから流れてきたクスリさッ。ワニとか呼んでいるらしいよ。うちの救済院にも何人かいるよ。でも、依存性が他のおクスリと段違いだから、もう打つ手無し。お手上げだよ」

「ワニ?」

クロエが問うた。

「うん、ワニ。こっちではそう呼ばれるらしいよ。実際に乱用者を見たら成る程と思うかもしれないね。皮膚が爛れて黒くなったりする様子から来ているらしいよッ。命を縮める人食いドラッグさッ」

憤慨した様子でモネは言う。

「その、ワニ?の使用をすると実際にどうなるんですか?」

エマが聞く。

「一般的には、多幸感や快感が得られるらしいけど、流石に試した事は無いからなあ。ワニは依存性が高く、筋肉や血管を壊死させるおクスリだから、僕だって手は出せない」

モネが歯を剥いて笑う。

どうやら彼なりのジョークを披露してくれたらしかった。

「入手経路は?」

「それを調べるのは衛兵の仕事。僕は衛兵じゃなくて医者なのッ!」

これは完全に詰みである。

「その衛兵が当てにならない」

ナタンは溜息を吐いた。

一同を沈黙が覆った。

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