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夜が明けて、朝の光が白銀の世界になってしまったクレマン侯爵領を照らす。
太陽の光が白い雪で乱反射する様は、さながら夢の様な景色であった。
昨夜はあんなに怯えていた雪に、心を洗われる様な景色を見せつけられ、クロエは不思議な心持ちになった。
———結局はアラン様がどうこうではないのね。
クロエはそっと左手に輝く指輪を右手で包み込んだ。
クロエは考える。
アランの態度に憤慨していたのは確かだが、総ては自分の心と環境、もしくは年齢的な物のバランスによる物ではないのか、と。
例えば、アランが落ち込んでいた際に、クロエが物凄い幸運を手にした瞬間だったらどうだろう。
可哀想に、私はどこにも行きませんよと伝えていたかも知れない。
また、例えば、クロエがアランから完全に逃げられない状態であったならばどうだ。
例えばアランに半生をかけて償いをしなければならない状態だったとしたら、むかつきはするかもしれないが、ぐっと我慢していただろう。
例えば、アランと同じくらいの年齢だったとしたら、仕様の無い人だと笑って許したかも知れない。
もっと言うならアランに今程関心がなかったとしたら、何を言っているとは思いはしても、私の心を疑うなんて、という気持ちにはならなかっただろう。
つまり、タイミングが良くなかったのだ。
アランに総てを受け入れられ、また、受け入れた気にもなっていたから腹立たしかったのかもしれない。
こんなにクロエを夢中にさせた癖に、気持ちを疑うなんてという心境になってしまったのだ。
アランには十分その気持ちを伝えていたつもりだったのに、結局それはクロエがつもりになっていただけだったのだ。
相手に関心があるからこそ、疑い、すれ違う。
ランベール家の父、ロベルトの言う通り、言葉はタダなのだから惜しんではいけないのだ。
特に大事な相手には。
これから生涯を共にしようという相手にこそ、惜しむべきでは無いのだろう。
アランはクロエよりも年上ではあるが、アランの心の不安を取り除く努力を怠ってはいけない。
年上だから分かってくれるだろう。
人生の積み重ねがある分、幼いクロエを理解してくれるだろう。
男性はそんなことで傷つかないだろう。
そういったクロエの思い込みともいえる驕りが今回の一連の出来事を起こしてしまったのだ。
「クロエ、そろそろ出よう」
不意に背後から声がかかる。
松葉杖をついたアランが不器用に立ち尽くしていた。
「アラン様……。この前は傷付けて申し訳ありませんでした」
「この怪我の事か?気が付いたら一緒に落ちていたのだ。無意識に身体が動いて自分でも驚いた。だから、クロエの所為じゃない」
「その怪我もそうですが、貴方の気持ちを傷付けてしまってすいませんでした」
アランは驚きの表情を浮かべる。
「君が私を傷付けた?」
「ええ、あの時貴方が不安になる事などない。私は貴方の事をちゃんと愛していますと伝えるべきでした」
「えっ?!なんだって?」
アランは更に驚く。
「ですから、ちゃんと伝えるべきでしたと」
「いや!待て、その前だ。君はなんと言った?」
「えっ?ええ、ですから貴方を愛していますと……」
「君が私を愛してる?」
クロエはアランが何を言っているのか分からず困惑する。
「え、ええ。それが何か?」
「君が愛しているのは金を持っている私だろう?」
「はっ?金を持っている貴方も愛していますが、貴方自身も愛していますよ。……まさかキスまでしたのに伝わっていなかったんですか?」
アランは頷く。
「前に一度好きだと言われたが、あれは金持ちが好きだと同義くらいに思っていたな。君が居なくなってからよくよく考えたが、まあ、君が金込みで私を好きだと言ってくれるなら、絶対に君が離れない程の、クレマン侯爵でも叶わない程の一財産を築けばいいだけだと考えたのだ。でも、ふふ、君、私を愛しているのか。ふふふ、これは愉快だな」
アランは途端に上機嫌になる。
クロエは呆れながらも、ほんの少し笑った。
「クロエ、早く行こうじゃないか。クレマン侯爵邸へ!」
アランは軽快に松葉杖を操る。
クロエは側に寄り添って、甲斐甲斐しく支える。
木こりの山小屋を後に、二人はクレマン侯爵邸へと歩み出した。
★
あんなに嫌がっていたアランは、姉のシルヴィアに会ってもご機嫌だった。
シルヴィアが呆気にとられる程の上機嫌ぶりにクロエは溜め息を吐いた。
———本当に、分かりやすい人。
「アラン、久々の姉に何か言う事は無いのかしら?」
シルヴィアが胡散臭そうにアランを見る。
「姉上、お久しぶりでございます。長らくご無沙汰しておりましたが、お元気そうでようございました」
アランは矢張り上機嫌だ。
「貴方、クロエ様に振られてピーピー泣いていたそうじゃない。三十八にもなって情け無いわね」
「ご心配無く。クロエは私を愛しているそうですから!ふふ、あははは!」
アランの態度が癇に障ったらしく、シルヴィアの顳顬に青筋が浮かぶ。
本当に仲の悪い姉弟のようだった。




